2020年9月30日 6時00分
画像は温度差発電の電飾看板を手にする右から鉄羅組合長、小酒井さん
諏訪市小和田の温泉共同浴場「平温泉」の木造2階建ての建物が来年2月、1921(大正10)年の改築から100周年を迎える。同温泉を管理運営する平温泉組合は温度差発電を利用した電飾看板や、大正時代の入浴優待票を再現した焼き印を製作するなど記念事業を計画。10月1日からは記念事業に充てる寄付金の募集を始め、組合員の子どもの入浴の料金を中学生まで無料化する。歴史ある共同浴場の存続に向けて取り組みを本格化させる考えだ。
■11月23日予定の式典で点灯へ
記念事業は鉄羅康夫組合長(75)=同市清水=が2018年、市内で講演した慶応大学環境情報学部の武藤佳恭教授が温度差発電を提案する新聞記事を読んだのがきっかけ。改築100周年を「何とか祝いたい」と、理事会に諮って記念事業を計画した。
温度差発電装置と電飾看板の設計・製作は、三協精機製作所(現日本電産サンキョー)でオートフォーカスカメラを設計した機械設計士の小酒井正浩さん(76)=同市岡村が手掛けた。同社出身の一級機械技能士で孫を通じて親交のある鉄羅組合長から相談を受け、7月から開発を始め、ほぼ完成したという。
装置は横40センチ、縦30センチ、奥行き12センチ。68度の温泉と水道水をためる二つの水槽で厚さ3ミリの素子を挟み、温度差がある金属の間を電子が移動する現象を利用して発電する。400個のLED電球をともして「祝平温泉百周年」を表現する計画だ。平温泉正面の看板横に設置し、11月23日に開催予定の記念式典に合わせて点灯したい考え。
■寄付金募り特典入会者増を期待
他方、寄付金は100万円を目標に10月31日まで募集する。組合員以外は1口5000円から募り、寄付者には来年3月まで使える30回分の入浴券と記念タオルを進呈する。平温泉の体験を通じて、入会者が増えることを期待する。
■優待票焼き印や子ども入浴無料
このほか、入浴優待票の焼き印を押した記念木札を作り、記念タオルや記念誌も製作して組合員に配布する。10月からは中学生以下の入浴料金を無料化する。地域全体で子育てを応援し、子育て世代の利用促進を図る方針だ。
組合員が高齢化する一方、往時の姿を残す建物に観光客が訪れる平温泉。鉄羅組合長は「組合員を増やして収益を確保し、できる限り現状を維持しながら、平温泉を守っていきたい」と話している。
問い合わせは、鉄羅組合長(電話0266・53・1731)へ。
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◎ 小和田地区は:
⇒旭ガラス月刊PR誌「GLASS & ARCHITECTURE」の記事
「連載 ■コミュニテイセンターとその周辺(13)<小和田>」
昭和46年8月5日発行 著者 本多昭一 発行 旭ガラス(株)
16頁~26頁
「新信濃風土記」という本によれば、天正19年(1591年)に、豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉が、
(諏訪)湖中の高島の漁村50戸を小和田に移して、高島城を築いたということですが、
この「移した」というのが重大事件だったろうということは容易に想像できます。
・・・中略・・・・高島村の人たちは、湖の中の島(現在の高島城のあたり、現在は陸続きですが、昔は湖が大きかった)
に住んで、湖で漁をしたり、田んぼ(現在の小和田田んぼあたり)で稲作をしていたわけですが、日根野氏が
「城をつくりたいので立ち退いてくれ」というので、話し合いで、住居地として現在の小和田の土地をもらうとともに、
特権として諏訪湖全体の漁業権を得たということです。・・・後略・・ 引用終わり。
◎阿智胡地亭の一族を含む小和田の衆はこのときの天正19年以来 太古の昔から住み着いた諏訪湖の中の高島という島を離れて
湖畔の小和田(こわた)の地に居住してきた。小和田の衆は明治維新までこの地区で住民自治が許され、諏訪湖の中から湧く温泉を引いた
小路ごとの大浴場で、裸の論議を尽くして地区の決めごとを話し合ったそうだ。
父の実家には小和田各小路の家々に引かれた温泉の蛇口があり一年365日24時間蛇口をひねればいつでも温泉風呂に入れた。
中学生のころ夏休みに三重県四日市市から小和田の親戚の本家に遊びに行くとこれに魂消て、かつ不思議でならなかった(笑)。
温泉とはいえ家風呂は狭いので本家のいとこ達は地区の共同温泉に入るのが日常で、自分も誘われて何回か入った。
小和田地区にはそういう共同温泉浴場がいくつかあったので自分が浸かったのが平温泉共同浴場かどうかはわからないが、今も懐かしい思い出だ。
〇なお、口承で伝えられている我が一族?の「ファミリィーヒストリー」としては
明治維新まで表向きは諏訪藩の城内で殿様の野菜を作る足軽で、実際は殿様のお庭番だったとか??
藩の諜報部門の家だったから維新の折に文書はすべて廃棄されて文書によるその証拠はないと。
また、神渡りを諏訪大社と藩主に報告する(諏訪大社から幕府へ)八劔神社(click)は 高島の住人の氏神でやはりこの時に小和田の今の場所に移された。
「諏訪まちあるき」のサイトから一部引用・