阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

利尻の散歩   利尻あちこちその2        2006年の今日  9月23日に掲載

2020年09月23日 | 北海道/東北旅行

利尻島にこんな道標が立っている国立公園がありました。


このおじさんはIkg千円だったかで、昆布を鋏でカットして即売していました。買いたかったけど持って帰るのが大変なのでやめました。

どういう訳か神戸港籍の船が停泊していて、大きな庭石かグリ石のようなものをダンプカーから直接船倉に落としこんでいました。

日本の北端で神戸と記載がある船を見ると何となく嬉しくなるのは不思議です。

向うに礼文島が見えて陽が沈んで行きました。

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黒百合がありました。   礼文島の花・その3          2006年の今日   9月16日に掲載

2020年09月16日 | 北海道/東北旅行

礼文島には峻険な山はなく、長年の風雨で削られたゆるやかな岩や山が
ビロードのように見える草や高山植物で覆われています。

黒百合の花をはじめて見ました。

エゾノハクサンイチゲ。

ハクサンチドリを接写しました。

海岸から見ると山並みはなだらかでした。

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チシマフウロなど  礼文島の花・その2          2006年の今日    9月10日に掲載

2020年09月10日 | 北海道/東北旅行

少し曇り空でしたが雨風はなく、聞いていた通り「高山植物を平地で楽しむ」ことが出来ました。
☆チシマフウロです。
☆サクラソウモドキ

☆レブンキンバイソウ

☆ハクサンチドリ

☆カモメの向うは利尻島

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レブンアツモリソウ   礼文島の花その1          2006年の今日   9月7日に掲載

2020年09月07日 | 北海道/東北旅行

旅行会社の募集要項では、伊丹空港から利尻空港に飛び、そのあと船で礼文島に渡るという旅程でしたが、何か事情が変わって関空から稚内空港、

そこから船で先に礼文島へ渡ると言う当初とは逆周りのコースに変更になりました。

そのお陰と言うか、塞翁が馬と言うか、最初に渡った礼文島で丁度咲き出した「礼文アツモリソウ」をたっぷり、じっくり見る事が出来ました。

レブンアツモリソウとカラフトアツモリソウのハイブリッド。

イワベンケイ

礼文島の岬


2005.6.19記 。

☆2泊3日で利尻・礼文島に行きました。昭和40年の8月に当時流行の学生のカニ族でこの2島に行ってから、丁度40年ぶりです。高山植物の花々を平地で見ることが出来るというのが、当時も利尻島、礼文島のウリでした。

勿論、利尻富士の秀麗な姿は、その頃も今も最大の観光資源です。自分の頭の中に残る当時の印象は、島には花々と海岸に漁師の漁具を格納する納屋が点々と散開するいうイメージだけでした。舗装道路はどこにもなく砂地の道が歩きにくかった記憶があります。全てが木造の建物のみでコンクリート造りの建造物は皆無だったと思います。そして今回、当たり前と言えば当たり前ですが、この島も戦後60年の「土建国家日本」の恩恵を受けていることを実感しました。

そして島の個人住宅の変貌を見て、この2島が本土の観光客の憧れの地であり続けてきたことがよくわかりました。全部が全部ではありませんが、内地では見られない洒落た北欧風の家が島のあちこちに建っています。漁業収入に観光ビジネスの収入がプラスされたのでしょう。

☆ 飛行機が伊丹発から関西空港発に変更になったため久しぶりに湾岸線を走りました。今回はバスで行ったので目線が高く、窓から関空まで外の様子が良く見えました。神戸から関空そしてまだその先までずっと高架道路ですから、恐らく100kmほどの長い長い橋の上を走っているのと同じだと思いました。

神戸から大阪を通って和歌山まで切れ目なく工場と港湾設備が続いていることに改めて驚きます。大阪南港に近づき各種の港湾クレーンを見ていると、ある鋼材センターに自分が販売を担当して昭和44年ごろに納入したクレーンが見えてきて、ああまだ使ってもらっているんだと嬉しくなりました。

☆ この沿岸にえんえんと続く化学工場、製鉄所、配送センターなどを見て走ると、見ている対象は全く同じ湾岸風景なのに、東南アジアから帰国した時は、日本経済の活力は凄いなあと誇らしく思い、欧米から帰国すると、もう少し外観がきれいな街つくりが出来んかったもんやろかと思うのは、比較するその時の自分の“物差し”が違うからでしょうか。

今の日本の工業地区は中国とは異なり、各地の公害問題で沢山の人が苦しんだ長い期間を経て、走っていても公害機器の導入や法による規制などで空気が臭いと言うことがないのは、アジアのほかの国とは大変な違いだと思いました。

☆ 飛行機が飛び立ってまだ30分くらいと感じる頃に窓際に座った相方から、目の下に雪が放射線状に広がっている山がいくつも見えると言われました。まさか日本アルプスではないだろうしと思ったら、機内放送が本機の右下に松本の町が、左側に富山の町が見えておりますとアナウンスしました。早くも長野県の真上を飛んでいたのでした。それから1時間半後に稚内空港に着陸しましたが、風雨が横殴りに吹き付け、温度は6.9度という予想外の天気でした。

☆ ツアーは全員で25人で、そのうち男性は5人だけでした。夫婦連れは二組だけというのも少し意外でした。ホテルの男性用大浴場はどの時間帯もガラガラでしたから、他のツアーも男性が少なかったのでしょう。おかげで露天風呂にゆっくり漬かることが出来ました。

ツアーの全行程を通じて殆どが自分より年配の皆さんの、歩く事、喋る事、食べる事の元気さには驚くしかありませんでした。


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[利尻・礼文 花の旅  2005年6月] のアルバムを作成しました。       初出 2013.04.10

2018年06月01日 | 北海道/東北旅行
☆2005年6月12,13,14日、2泊3日で利尻・礼文島に行きました。当時の文章です。⇒
昭和40年の8月に当時流行の学生のカニ族でこの2島に行ってから、丁度40年ぶりです。高山植物の花々を平地で見ることが出来るというのが、当時も利尻島、礼文島のウリでした。
勿論、利尻富士の秀麗な姿は、その頃も今も最大の観光資源です。自分の頭の中に残る当時の印象は、島には花々と海岸に漁師の漁具を格納する納屋が点々と散開するいうイメージだけでした。舗装道路はどこにもなく砂地の道が歩きにくかった記憶があります。全てが木造の建物のみでコンクリート造りの建造物は皆無だったと思います。そして今回、当たり前と言えば当たり前ですが、この島も戦後60年間に渉る「土建国家日本」の恩恵を受けていることを実感しました。そして島の個人住宅の変貌を見て、この2島が本土の観光客の憧れの地であり続けてきたことがよくわかりました。全部が全部ではありませんが、内地では見られない瀟洒な北欧風の家が島のあちこちに建っています。漁業収入に観光ビジネスの収入がプラスされたのでしょう。
∇をクリックでスタート。アツモリソウなど全70枚の写真があります。画面にマーカーを置くと花の名前(全部ではありません)が出ます。画面変換速度は砂時計で調整できます。右下のフルスクリーンアイコンを押して大画面で見てください。

 ☆飛行機は伊丹発が関西空港発に変更になったため久しぶりに湾岸線を走りました。今回はバスで行ったので目線が高く、窓から関空まで外の様子が良く見えました。神戸から関空そしてまだその先までずっと高架道路ですから、恐らく100kmほどの長い長い橋の上を走っているのと同じだと思いました。神戸から大阪を通って和歌山まで切れ目なく工場と港湾設備が続いていることに改めて驚きます。大阪南港に近づき各種の港湾クレーンを見ていると、ある鋼材センターに自分が販売を担当して昭和44年ごろ納入した、鋼材陸揚げ用の大型ガントリークレーンが見えてきて、ああまだ使ってもらっているんだと嬉しくなりました。
 ☆この沿岸にえんえんと続く化学工場、製鉄所、配送センターなどを見て走ると、見ている対象は全く同じ湾岸風景なのに、東南アジアから帰国した時は、日本経済の活力は凄いなあと誇らしく思い、欧米から帰国すると、もう少し外観がきれいな街つくりが出来んかったもんやろかと思うのは、比較するその時の自分の“物差し”が違うからでしょうか。今の日本の工業地区は中国とは異なり、各地の公害問題で沢山の人が苦しんだ長い期間を経て、走っていても公害機器の導入や法による規制などで空気が臭いと言うことがないのは、アジアのほかの国とは大変な違いだと思いました。
 ☆飛行機が飛び立ってまだ30分くらいと感じる頃に窓際に座った相方から、目の下に雪が放射線状に広がっている山がいくつも見えると言われました。まさか日本アルプスではないだろうしと思ったら、機内放送が本機の右下に松本の町が、左側に富山の町が見えておりますとアナウンスしました。早くも長野県の真上を飛んでいたのでした。それから1時間半後に稚内空港に着陸しましたが、風雨が横殴りに吹き付け、温度は6.9度という予想外の天気でした。
 ☆ツアーは全員で25人で、そのうち男性は5人だけでした。夫婦連れは二組だけというのも少し意外でした。ホテルの男性用大浴場はどの時間帯もガラガラでしたから、他のツアーも男性が少なかったのでしょう。おかげで露天風呂にゆっくり漬かることが出来ました。ツアーの全行程を通じて殆どが自分より年配の皆さんの、歩く事、喋る事、食べる事の元気さには驚くしかありませんでした。

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2006年秋  白神山地と秋田・青森の旅

2013年10月14日 | 北海道/東北旅行

△アイコンクリックでスタート。右下の拡大マーククリックで大型画面に。

白神ブナ林食害の危機 迫るニホンジカ 警戒呼び掛け
2013年10月14日月曜日 河北新報

 白神山地に近い青森県西目屋村の山林で撮影されたニホンジカ=9月6日午後3時20分ごろ(山形大の江成准教授提供)

 青森、秋田両県にまたがる世界自然遺産・白神山地に、貴重なブナ林を食い荒らし、生態系に大きな影響を与える恐れのあるニホンジカが迫っている。
両県では明治時代に絶滅したとされるシカが近年、遺産地域周辺でも目撃されている。関係者は「侵入は時間の問題」と警戒を強める。

 秋田市の東北森林管理局で7日開かれた白神山地世界遺産地域科学委員会の席上、中静透委員長=東北大大学院教授(森林生態学)=は「世界遺産地域にシカが近づいている」と警鐘を鳴らした。
 環境省によると、目撃情報は青森県で2005年以降66件(うち13年は5件)、秋田県では09年以降26件(同3件)寄せられた。9月には、世界遺産地域の外側約10キロの青森県西目屋村の山林で、山形大農学部の江成広斗准教授(野生動物管理学)と、妻で農学博士のはるかさんが雄のシカ2頭を自動撮影カメラで捉えた。
 科学委がシカ問題を議題にするのは3回目。侵入阻止は待ったなしの課題だ。7日はシカの生態に詳しい専門家を招き、意見を聞いた。

 森林総合研究所東北支所(盛岡市)の堀野真一生物多様性研究グループ長は、男鹿半島に18世紀後半、2万7000頭のシカが生息していたという文献を紹介。「シカにとっては新天地開拓ではなく、分布を回復しているだけ。拡大は止められない」と指摘した。

 北里大獣医学部の岡田あゆみ講師(野生動物学)のDNA分析では、青森、秋田両県で確認されたシカの大半は、岩手県にすむシカと遺伝子型が同じだった。岩手から広がっていることを意味し、「北東北3県で連携して対応すべきだ」と強調した。

 科学委の委員で東北芸術工科大芸術学部の田口洋美教授(環境学)は「5、6年のうちに間違いなく白神山地に入ってくる。樹皮を食べられ、水が吸い上げられなくなれば、ブナは立ち枯れしてしまう」と危機感をあらわにした。 科学委は、監視態勢の強化や個体数のコントロールを図るべきだとの見解で一致。国と両県でつくる白神山地世界遺産地域連絡会議に、侵入阻止に向けた具体策を作るよう勧告する。
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2006年秋 秋田・青森・白神山地の旅    再掲載

2012年10月22日 | 北海道/東北旅行
◎アルバムのスライドショーの転換速度は、下のバーの砂時計をクリックして選択してください。
また拡大アイコンのクリックで大画面で見ることが出来ます。

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2006年秋 白神山地・秋田・青森

2011年09月21日 | 北海道/東北旅行
2006年秋 白神山地・秋田・青森

画像切替速度は砂時計で調整してください。
 
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2006年秋 白神山地 秋田 青森

2010年12月26日 | 北海道/東北旅行
(画面クリック)  アルバムを大画面のスライドショーでどうぞ。
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白神山地のブナ林 (リバイバル)

2008年11月06日 | 北海道/東北旅行
2年前の秋、白神山地のブナ林を楽しみました。 



シリーズ「白神山地と秋田・青森」は「こちら」です。


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こちらはレブンアツモリソウ

2007年05月22日 | 北海道/東北旅行
クマガイソウとアツモリソウはどちらもラン科アツモリソウ属です。源平の一の谷の合戦での、笛の名手の平敦盛と彼を討ち取った熊谷次郎直実の名にちなんでつけられています。日本人も時に洒落たことをしますね。 花の名前は花の形が母衣(ほろ)に似ているということで名づけられたようです。
「母衣(ほろ)」とは竹籠などでふくらませた布のことで、騎馬武者が背負い、後方からの矢よけなどにした指物(さしもの)の一種です。戦国時代、母衣を着用して大将に近侍し、伝令などに戦場を駆け巡った“母衣(掛)武者”は、軍団のエリート集団でした。
このアツモリソウは2年前に礼文島で撮影したレブンアツモリソウです。
内地のアツモリソウは赤い花をつけますが、レブンアツモリソウは白い花をつけます。レブンアツモリソウの開花の時期を狙って行きましたが、年によって時期にバラツキがあるそうでまさにピークの時に居合わせる事が出来たのは幸せでした。

シリーズ「利尻礼文あちこち」はこちら
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ハタハタすしとブナをもう少し

2006年11月09日 | 北海道/東北旅行
秋田空港でハタハタ寿司を買いました。麹の味がつよく、甘みが残るので私には一切れで充分でしたが女性軍には大人気で、もう一つ買ってくれば良かったと言いました。


ブナを一本でみるとこんな木です。


ブナづくしでしたがこのシリーズの最後の紅葉の画像2枚です。


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白神山地ー暗門の滝へ

2006年11月08日 | 北海道/東北旅行


旅行のオリジナル行程ではブナ林の散策は一時間になっていました。しかしシーズンのピークとあってか、旅行社が青森空港発のフライトを抑えられなかったらしく、帰りは遠い秋田空港から,しかも17:20発と言う遅い時間の飛行機になりました。幸か不幸か、そのお陰でたっぷり3時間が自由時間になりました。そのため予定になかった「暗門の滝」へ、思い切って行くことにしました。

全部で三つの滝がありますが、第1第2の滝へは登りが急になるので、とっかかりの第三の滝を見て引き返し、途中からブナ林のコースに入りました。全部で2時間10分ほどの山歩きを楽しみました。
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日本キャニオンとJR五能線

2006年11月07日 | 北海道/東北旅行
男鹿半島から十二湖へ移動する山中は薄日が射してきれいな紅葉を楽しむことが出来ました。バスの窓から石灰岩が露出している白い崖ー日本キャニオンーが見えましたが、キャニオンと言う言葉を使うのはアメリカのご本家が知ったら怒るやろなと思う程度の小さな規模の崖でした。

青森県の五所川原と能代の間を走る五能線に、深浦から鯵ヶ沢の間だけ快速電車に乗りました。観光列車化している車輌は窓が足元まで低く、上は天井近くまである設計で海岸の景色がよく見えます。快速は駅から駅までノンストップで45分走りました。

列車を待つ間、深浦駅前の大岩海岸に出ると、きれいな落日を見る事が出来ました。

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ブナ林の保水力

2006年11月06日 | 北海道/東北旅行
ブナ林の中は一時間ほどで周回できる道が整備されていました。
山道だからトレッキング用の靴を用意するようにと旅行社から言われていたので、その積りで行きましたが、他の観光客の中にはタウンシューズのままの人も多く、年配の女性や子供連れの若夫婦がじゅくじゅくの山道を歩くのに難渋していました。革靴にスーツ姿の若いのもいて、これには驚きました。場違いと言うか無知の恐ろしさというか!
道の法面はいつも水が染み出していて、そこに生えるコケはみずみずしく、色の鮮やかに驚きました。


このように道は何十万年の落ち葉が積もってふわふわです。
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