高松東港からJR高松駅まで無料のバスが出ていました。待ち合わせの時間までJR高松駅周辺をブラブラしていたら、こんな店がありました。
昭和40年代に大阪から四国へ出張する時は宇高連絡船に時々乗りました。ぬるい湯で湯掻かれた、あまりうまくもない素ウドンをどういう訳か必ず甲板上で食べたものです。
看板に釣られてやはり食べてしまいました。連絡船の甲板の上で食べたウドンよりはるかにおいしかったです。
しばらくして約束の時間ピタリに現われた車に載せてもらって、高松市郷東町(ごうとう)の「手打ちうどん源内」まで走りました。
そして泉谷さんお勧めのカレーうどんを食べました。私と藤田さんは中辛、泉谷さんと朝日さんは普通の辛さを頼みましたが、中辛は私にとって丁度良い辛さでした。
オーダーしてからウドンを切り出すので、それなりに時間がかかりますが、肉もウドンもたっぷりの一品でした。
ウドンが出てくるまでは年中店にあるオデンかお稲荷さんを食べるのが、讃岐や伊予の常識です。今回はお稲荷さんを食べました。
「世界遺産の石像のコピーが一堂に並べてあります。コピーもこれだけ立派だと迫力があります。巨大なノイシュバンシュタイン城(白鳥城)も建設中です。来年3月完成とのことで完成後は、近くの姫路城、書写山とのセットで観光客を当て込んでいるようです」とのことでした。トップの画像はメキシコの巨石人頭です。
パリの凱旋門。
アモイ像
始皇帝を守った兵馬俑
小便小僧の集団、Peeの姿は一つでいいような・・
万里の長城は2キロあります。
五百羅漢もありましたが、声をかけたくなるような友人の姿も。
オーストラリア アボリジニの豊満美人像
鳴門の「大塚国際美術館」も一見の価値がある迫力がありました。ギリシャ・ローマ文明の地からすると「極東」に位置する、この列島の住人が古代から持つ“見知らぬ異国の文物”に対する[強い憧れと好奇心]がある限り、日本はまだまだ大丈夫のようです。しかし最近の報道によると、10代、20代の海外渡航者数がここ数年急減しつつあり、中国・韓国の同世代の後塵を拝するようになったとか。
コンビニに日がな往復し、ゲームとケータイの仮想社会で1日過ごしていても、餓死することはないめでたい社会にいれば、わざわざ「何でも見てやろう」と痛い目にも会う「知らぬ他国」へ出る気がなくなるのも、これまた自然の摂理でしよう。
「仮想」の豊かさを享受してる日本は、10年後には世界の「下層」国家になるかも。
神戸の福原に都を築き、栄耀栄華を極めたあの平家でさえも「久しからず」でしたから、人の目が「中だけを向く」この国も歴史の流れに乗って「久しからず」になってもしょうがないか? スミマセン、話が「世怪違算」の方向になってしまいました。
上高地を開いた宣教師ウェストンのレリーフがある場所へ向かっていると雨脚が強くなってきました。
折りよく上高地温泉ホテルの前を通りかかったので、ホテルの喫茶コーナーで40分ほど喫茶タイムにしました。
メニューにビールがなかったので相方に合わせてケーキセットにしました。疲れていたのか珍しく砂糖を入れたレモンテイーも、ケーキも美味かったです。
河童橋の上から見ると河原に下りている人も見えましたが、そろそろ集合時間も迫っていたのでバスステーションに向かいました。
行きは名神の小牧ICから中央高速で諏訪に走りました。帰りのバスは上高地から岐阜県の平湯に出て、高山を経由し先日全面開通したばかりの東海北陸道に入りました。
一宮で名神に乗り入れ平湯出発から5時間のスムーズなドライブで三ノ宮に到着しました。
「大雪山・旭岳は今まで登った山と違い、未だ噴煙を上げ硫黄の臭いが漂う、火山礫の登り難い山でしたが、平日にも関わらず沢山の方たちが登られていました。
特に頂上近くの急斜面はきつかったです。
大雪山の麓が紅葉の季節をむかえたと書いてあったのですが、実際は一週間ほど早かったようです。でも下山した時に、姿見ノ池近くで可愛いリスを見ることが出来ました。」
背景の姿見の池は標高1600mです。
旭岳の頂上は標高2290m。
桜さんは北海道の幌加内で開かれていた「全国そば博覧会」に出店していた知人の店「一考庵」さんのお手伝いを6日と7日の両日して、8日に大雪山・旭岳(標高2,290m)に登ったそうです。9日はいま旬の動物園、旭山動物園で童心に戻って楽しんだとか。いやあホンマ、桜姐さんは、一年早いだけの阿智胡地亭も脱帽するしかない行動力とエネルギーの持ち主ですね。もう少し涼しくなったらまた有味庵で飲みましょう。(ご本人にはナイショですが、しょうみの話お酒でも負けそう・・・)