有楽町駅のガード下のコインロッカーに荷物を預けて、少し銀座方面の香りをかいでから竹橋に向かいました。
地下鉄の竹橋駅を上がって5分も歩くと東京国立近代美術館があります。
8月15日から10月15日の期間は、倉敷の大原美術館と国立近代美術館のジョイントで「モダンパラダイス-東西名画の饗宴」という企画展が催されています。
ミーハーの私は一粒で2度美味しいかもと行ってみました。両美術館所蔵の同じモチーフの東西の名画が並べて掲示されているのは面白い。
それにしても教科書や美術書の写真ではなく「実物の画」から発せられる「気」は物凄いものだといつも思います。
館を出るときはぐったりしました。画家の渾身のエネルギーがこちらに向かってくるせいだろうと思います。
webによると;
「野草名 サフランモドキ (サフラン擬) 学 名 Zepyranthes carinata Herb.
科名 ヒガンバナ科、 花期 6月~8月 、生育地 人家周辺の道端、垣根。草丈 花茎は30cmほど。観賞用帰化植物。本来は1800年代中頃に観賞用に持ち込まれた西インド、メキシコがもとになる帰化植物なのですが、今では広く野生化しています。 わが国に渡来した当時は間違って「サフラン」と呼ばれていましたが、本物のサフランと区別するために後にサフランモドキと改名されたものです。」とありました。
外壁を見たら夏の戦士たちの地中の鎧が残っていました。
右端の抜け殻は一昨年の夏からここにあります。
藪ランの色がますます濃くなってきました。
元の武家屋敷の道を歩いていたらガジュマルの根がきれいと言うか怪奇と言うかの模様を描いている場所がありました。
ここまでになるのにどれだけの年数がかかったのかと思いました。
空港から那覇市内へモノレールが走っています。沖縄県では唯一のレールを使った交通機関だそうです。左右をキョロキョロ見るのに忙しかった。
首里城にはいくつも門がありました。これは最初の歓会門(かんかいもん)です。どの門も実戦のための門ではありません。
琉球国は中国と薩摩の間に立って、広く東南アジア貿易で立国する国策を取ったため「尚武」の国ではなく「文の国ー守礼の国」を通しました。
そのためか琉球の武家の礼服は他国であれば文官と見られるに違いない服装です。
復元された首里城の正殿。ベンガラの朱色が建物によくマッチしていました。
夜はコープコウベの「ステーション」で紹介されていた沖縄料理の店「うりずん」に行きました。地元のグループと観光客でチョー満員でした。
☆ちゅら海水族館へ行くため、レンタカーで沖縄道を那覇から北へ走り、終点の許田インターで下りました。
その間、日本の高速を走ってこれだけ次ぎ次ぎと米軍の基地が現われるのは沖縄県だけでしょう。
調べてみると沖縄県の面積の10.7%が米軍の基地になっていました。又、日本全国の米軍基地のうちほぼ75%が沖縄県にあるそうです。
まだ若い女郎蜘蛛が網(web)を張っていたので、空をバックに写しました。
蜘蛛の巣は人の通り道にあって、気をつけていたのですが、撮影した翌日、
気がついたら自分がそこを横切ってしまい、網は壊れ、蜘蛛はどこかへ行ってしまいました。
実物の網は簡単に壊れ、影響は一匹ですむけど、仮想のwebがイカレたら
網は世界中につながっているだけになんか恐ろしい。
「えのころ草」は(いぬ<狗>ころ草)から来た名前だそうです。
この房は確かに犬の尻尾に似ていますが、これで犬の子や猫をじゃらすと
喜ぶからとも言います。
写真は角度を90度間違えたのではなく、房の重みで垂れたのです。
追加です。2年前に六甲の表通りから一つ山側の裏通りにあった、捨てられたような無住の洋館の庭で見つけた女郎蜘蛛です。
こんな沢山の獲物をキープしている網は初めて見ました。熟女郎でしょうか?触らぬ神に祟りなし。撮影の後はすぐに場を離れました。
ウツボの顔つきとハイエナの顔つきは似ているような気がします。現時点での古生物学の所見では魚類から四股生物が分化したのは3億6千年前だそうです。地球の生命史40億年からするとついこの間のことですから似ていても不思議はありません。今地球で一番のさばって他の生物や植物の存在を脅かしているホモサピエンスと言う種の哺乳類は、アフリカで種として同定してからまだ20万年しかたっていませんが、お互いのコロシアイが止むことがなく間もなく滅びるかもしれません。その方が他の全部の「いきもの」にとってはいいのかも知れませんが。
このヒトデの一種はヅボラな性質で手を伸ばすのをやめたらしいです。
ジュエリーボックスの意匠にしたら評価を受けそうだと思いました。
イトマキエイの名前の由来になった「糸巻き形」を何とかキャッチできました。
大水槽の中を常に遊泳する群がいます。カツオだったか?