ハワイに行くと言えば、これまでは殆ど「ホノルル」がある「オアフ島」へ行くことが多かったと思いますが、知人が6人、ゴルフツアーを組んで「ハワイ島」でプレーを楽しんできました。この画像は奥さんも同行されたHさんから送っていただきましたが、撮影者は奥さんと伺っています。興味深い画像を沢山有り難うございました。
沢山撮影された写真の中から、主としてハワイ島の風景やおししそうな料理の画像を送ってもらいました。
ゴルフ場は溶岩原を開削し、他所から大量の土を運んで造成されていて、コースに向かうレンタカーの車窓からこんな風景も。
この画像を見て『味はちょっと大味でしょう?』と聞いたら、『いやモノスゴウ旨かったで』と。う~ん。
どの料理も例の如く、日本人には一人前の量が多すぎるので、皆さんで取り分けて
食べたそうですが、これは『フライドオニオン』だそうです。町には、『そんなに太らんでも・・というアメリカ人が一杯やった』そうです。
ゴルフ場は日系資本の経営で手入れもきちんとされていたそうです。
阿智胡地亭はホノルルで市営バス(クリック)に乗ったことを思い出しました。
ハワイ島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハワイ島(The Island of Hawai‘i)は、アメリカ合衆国ハワイ州(ハワイ諸島)の島である。ハワイで最大の島であることからBig Islandとも呼ばれ、その面積は10,458 km²、日本の四国の約半分程度である。
島の人口は148,677人(2000年国勢調査)と、ハワイ州の島としてはオアフ島に次ぐ。また、同島東岸の都市ヒロは、日系移民によって開発された都市である。 ヒロは、歴史的に津波により数度壊滅的被害を受けた経験から、太平洋津波博物館Pacific Tsunami Museumが設置されており、津波に関する研究が行われている。
ハワイ島内の南西にある町、キャプテン・クックはキャプテン・クック(J・クック)がハワイの原住民に殺害された場所であり、ケアラケク湾にはその記念碑がある。 また、ハワイ王朝を統一したカメハメハ大王の出身地も島内にあり、ホノルルのイオラニ宮殿前にあるのと同様の銅像が、同島東岸の街ヒロと、同島北端のハヴィ(カメハメハ大王の出生地)に各1体づつある。
沢山撮影された写真の中から、主としてハワイ島の風景やおししそうな料理の画像を送ってもらいました。
ゴルフ場は溶岩原を開削し、他所から大量の土を運んで造成されていて、コースに向かうレンタカーの車窓からこんな風景も。
この画像を見て『味はちょっと大味でしょう?』と聞いたら、『いやモノスゴウ旨かったで』と。う~ん。
どの料理も例の如く、日本人には一人前の量が多すぎるので、皆さんで取り分けて
食べたそうですが、これは『フライドオニオン』だそうです。町には、『そんなに太らんでも・・というアメリカ人が一杯やった』そうです。
ゴルフ場は日系資本の経営で手入れもきちんとされていたそうです。
阿智胡地亭はホノルルで市営バス(クリック)に乗ったことを思い出しました。
ハワイ島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハワイ島(The Island of Hawai‘i)は、アメリカ合衆国ハワイ州(ハワイ諸島)の島である。ハワイで最大の島であることからBig Islandとも呼ばれ、その面積は10,458 km²、日本の四国の約半分程度である。
島の人口は148,677人(2000年国勢調査)と、ハワイ州の島としてはオアフ島に次ぐ。また、同島東岸の都市ヒロは、日系移民によって開発された都市である。 ヒロは、歴史的に津波により数度壊滅的被害を受けた経験から、太平洋津波博物館Pacific Tsunami Museumが設置されており、津波に関する研究が行われている。
ハワイ島内の南西にある町、キャプテン・クックはキャプテン・クック(J・クック)がハワイの原住民に殺害された場所であり、ケアラケク湾にはその記念碑がある。 また、ハワイ王朝を統一したカメハメハ大王の出身地も島内にあり、ホノルルのイオラニ宮殿前にあるのと同様の銅像が、同島東岸の街ヒロと、同島北端のハヴィ(カメハメハ大王の出生地)に各1体づつある。
今の「両国」がある地は、武蔵の国である江戸からすれば、隅田川の向うの往時の下総の国、葛飾の郡になりますが、北斎の時代には大江戸都市圏に属して、本所と呼ばれた土地です。
江戸の市中にあった吉良上野介の屋敷が、仇討ちの噂で不穏なりとは言われずとも、幕閣から当地に移転を命じられたのは、当時は江戸郊外の認識があったのでしょう。そういう意味では襲撃を予想していた吉良さんも、首を切らさんように、厳重な警護の構えを敷いていたようですが、周到な準備を重ねた大石テロ部隊に寝込みを襲われました。
両国を歩くとこんな石標をあちこちで見る事ができます。
上は伊豆韮山で日本で初めて大砲を作った江川さん。
こちらは初代三遊亭円朝サンの住居跡。
この場所で歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥サンが息を引取られた。
確か演劇評論家の河竹登志夫はこの河竹黙阿弥の直系の係累(曾孫?)だと思います。
お菓子屋の「国技堂」は“揚げあんこおかき”だけで長年店を張っています。
食べてみましたが、また寄ってみようとまでは?
江戸の市中にあった吉良上野介の屋敷が、仇討ちの噂で不穏なりとは言われずとも、幕閣から当地に移転を命じられたのは、当時は江戸郊外の認識があったのでしょう。そういう意味では襲撃を予想していた吉良さんも、首を切らさんように、厳重な警護の構えを敷いていたようですが、周到な準備を重ねた大石テロ部隊に寝込みを襲われました。
両国を歩くとこんな石標をあちこちで見る事ができます。
上は伊豆韮山で日本で初めて大砲を作った江川さん。
こちらは初代三遊亭円朝サンの住居跡。
この場所で歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥サンが息を引取られた。
確か演劇評論家の河竹登志夫はこの河竹黙阿弥の直系の係累(曾孫?)だと思います。
お菓子屋の「国技堂」は“揚げあんこおかき”だけで長年店を張っています。
食べてみましたが、また寄ってみようとまでは?
代表作に「富嶽三十六景」「北斎漫画」などがある葛飾北斎は1760年 江戸本所割下水に生まれました。現在の東京都墨田区両国です。
その功績は海外で特に評価が高く、1999年雑誌『ライフ』の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人でただ一人、ランクインしています。両国に「北斎通り 」があるのを今回初めて知りました。
原画を墨田区役所が所有していてそのレプリカをロードサイド展示しています。
国技館の横にある江戸東京博物館の後ろを通って北斎通りに向かいましたが、その途中に大きな銅像がありました。徳川家康の銅像でした。東京に家康の銅像は殆どないので有志が建立したそうですが、物好きなお金持ちの方々がおられるものです。
その功績は海外で特に評価が高く、1999年雑誌『ライフ』の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人でただ一人、ランクインしています。両国に「北斎通り 」があるのを今回初めて知りました。
原画を墨田区役所が所有していてそのレプリカをロードサイド展示しています。
国技館の横にある江戸東京博物館の後ろを通って北斎通りに向かいましたが、その途中に大きな銅像がありました。徳川家康の銅像でした。東京に家康の銅像は殆どないので有志が建立したそうですが、物好きなお金持ちの方々がおられるものです。
酷暑であろうが秋風が吹こうが花の絶える事がないランタナ。葉に触ると独特の香りが立つ。外来種であるハーブの種類の繁殖力は恐ろしい。思い切り刈り込んでも間もなく前よりも獰猛に茂り、周囲の草花を圧迫する。ハーブ類は日本では土に下さずに、プランターで楽しむべきらしい。
21日にKさんから頂いたメールにこう書かれていました。
「今日の関東地方は雲一つない秋晴れ。
いつもの里山で、専門の先生による植物観察会が行われました。今日撮った5点と、数日前の2点(ススキ、ダイコンソウ)の写真を送ります。
秋の里山に多く自生する野菊は種類が一杯あって、野菊だけの本も出版されたとのことです。
今日は、ユウガギク、
ソオシロヨメナの2種類の写真です。
ノハラアザミ
ヤマハッカ
ススキは、黄色の小さなイネ科特有の花を咲かせています。
ススキの花は初めて見たような気がします。」
ダイコンソウ
トップの画像はアキノキリンソウ
「今日の関東地方は雲一つない秋晴れ。
いつもの里山で、専門の先生による植物観察会が行われました。今日撮った5点と、数日前の2点(ススキ、ダイコンソウ)の写真を送ります。
秋の里山に多く自生する野菊は種類が一杯あって、野菊だけの本も出版されたとのことです。
今日は、ユウガギク、
ソオシロヨメナの2種類の写真です。
ノハラアザミ
ヤマハッカ
ススキは、黄色の小さなイネ科特有の花を咲かせています。
ススキの花は初めて見たような気がします。」
ダイコンソウ
トップの画像はアキノキリンソウ