2003.1.26記
東京に出張すると泊るのはつい神田になる。会社員になって連続して勤務した土地は神田美土代町の13年間が一番長い。
ホテルはインターネットの「旅の窓口」で予約するのだが、2社目の勤務先の本社がある芝公園や浜松町の近辺よりまず神田のホテルを探してしまう。
神田ステーションホテルに泊まると、だいぶ前から近くに気になる看板の店があった。ホテルを出たすぐ右のガード下に「里」という看板が上がっている。
もうかなり前になるが、神田駅東口すぐ近くに「里」という4、5人も入れば一杯になるカウンターだけの小さい飲み屋があって、おかみが一人でやっていた。
大阪から出張して同期入社の中島と二人で飲む時、時々彼に連れられて一緒に行った。
一人でやっている彼女はおかみさんというには痛々しい感じだが、それでも、ものに動じない明るい人だった。
客は誰もが彼女のことを○○ちゃんと名前を呼んでママともおかみとも言ってなかった。当時の彼女はそういう歳回りでもあった。
あるとき中島と店の前を通りかかったら、その店の電気が消えていて、聞いたら、近くに店が移ったと言う。
その晩は彼がそこへ行こうとも言わなかったので自分としては「里」は、結局どこに移転したのかもわからずそのまま縁が切れた。
そしてそのあとは、神田駅に向かって店の前を通るたびに、ここで中島と時々飲んだなあと思い出す場所でしかなかった。
半年ほど前に一度、「里」という看板が出ている店の前を通りかかったことがあるが、暖簾もなく障子がピシっと入り口を塞いでいて
中の様子は一切何も見えず、一見さんお断りのような、なじみ客相手の店のような感じがして、そのまま入らずじまいだった。
先週久しぶりにこのホテルに泊まった時、また看板の「里」の字が目にとまり、ロゴもやはり見覚えのあるロゴだったので、思い切って店に入ってみた。
いらっしゃいとこちらを見て言った人は少し歳をとったように見える彼女だった。先客は一人で、なじみらしかった。二人で笑顔で話をしていた。
店は前の二倍かそれよりちょっと広く、調理場を囲んだコの字型のカウンター席が12、3席でそれでも一人でやっているのは変わりなかった。
ビールを頼んで2、3杯飲んでから、ここへ移ってどれくらい経つのかと聞いたら5年だと言う。
前の店にいらしてくださっていたんですかと聞くので、中島君に連れられて時々行ったことがあると答えると、すぐに、
中島さん、ここんとこ暫く顔を出してくれないので皆でどうされたのかなあって言ってるんですよと言った。
じゃあご存知ないんだ、一年ちょっと前に亡くなってしまいましたと答えると、彼女の笑顔がとまってしばらく黙った。
病気ですか、そうですか、早かったのね。ちっとも知らなかった。良く来てもらったんですよ。そして少し唐突に、中島さんにはうちの犬も貰ってもらったんですよ。
もし元気ならあの犬13才になるわと言った。
でもここんとこ、お酒の飲み方が凄くてね。そんな一遍にぐいーって飲み方しないほうがいいよってよく言ったんだけど。
亡くなった前年の秋口から年が明けた2月頃まで、大田区の新しい勤務先の工場に時々連絡して品川あたりで中島と何回か
二人で飲んだのだけど、なんか怖いようなピッチで飲んだのを思い出した。
店は始めて32年だが、前の場所で最初4、5年手伝っているのを入れると、35、6年店をやっていること、
中島は間があいても20年以上は通ってくれたこと、大田区の工場の帰りにもよく寄ってくれたことなど話してくれた。
小さな黒板にその日出来る品が10品ほど書いてあり、その中に「セリのおひたし」があったのでお銚子とそれを頼んだ。
暫くして大きな器に入って出てきたセリはちょうどいい茹で加減で量が思いのほか多く、きれいな青い色の残るセリのほのかな香りと
熱燗の日本酒がよくあった。
話を聞いていた先客が、○○ちゃん今日はいい日だね、ずっと気にしてたことがわかってと言うと彼女は微笑みながら、でもちょっと強い口調で、
私にはちっともいい日じゃないよ、悲しい日だよと言葉を返した。
その時、女性客が一人で入って来て、先客の横に座り、最初から熱燗を頼んだ。この人、この店の数少ない女の常連客で、
売れない女優なんですよと前からの知り合いらしく先客が紹介してくれ、彼女もニコッと軽く目礼してきた。
こちらは一見の客なのに、この店の客は人懐っこい。
そのあと、ぼちぼち客が入ってきた。どの客もどの客も、今晩「里」に来ることが出来て「うれしゅてたまらん」と
田辺聖子さんなら表現するだろういい笑顔で入ってくる。
ジャンパー姿の客が入って来ておかみの真正面に座ろうとしたが、彼が座るか座らないうちに彼女が言った。
ねえ、中島さん亡くなったんだって、いまこのお客さんから聞いたとこなんだけど。
隅の席に座った自分の席から、入ってきたこの角刈りの客の横顔を見たとき、自分と同年輩か少し上と見た。
こちらに向きなおった彼は、精悍な顔の眼のひかりが強かった。
よく海外出張もしていた人ですよね。ここんとこ大田区の工場に勤めていた中島さんだよね。
この店でよく一緒に飲んだ自分が知っている中島と、今亡くなったと聞いた中島が本当に同一人物か無意識だろうが、確認する言葉が続いた。
そうですか、いつ頃ですか、おいくつだったんですかねえ。まだ若いやね。どこの土地の出の人だったんです?
いつもここに入ってくるなり、今度こんなとこ行ってきて、こんな事があったよなんて周囲おかまいなく喋りだしたりしてねえ。
まあ、だけど豪傑のように見えるけど神経のこまやかな人だとあたしは思ってたよ。
ひょっとして定年で会社を退いて、たしか家は市川かあっちの方よね?こっちへ来る事がなくなったのかな~なんてお噂してたんですよ、
とおかみが彼の言葉に続いた。中島の家に貰われた犬の兄弟犬が彼の家にも貰われていて、その犬はもう死んだらしかった。
こちらも、中島とは同期入社だったこと、彼の新婚家庭に寮の仲間で押しかけて、皆腰を据えてしまい、すぐ飲んでしまうので
新婦の奥さんがアパートの前の酒屋からビール瓶を数本ずつ、何度にもわけて、皆にわからないように割烹着の下に隠して買って来た事、
同じくらいしか給料を貰ってなかったはずだから、その月の家計は大変だっただろうなとそのことが今も忘れられないこと。
お互い出張の時は若い時から大阪や東京で良く飲んだ事、千葉の家にも何回か泊めてもらったこと、自分が神田勤務をしていた厄年の頃、
会社に出ることが出来ない日々が長く続いた時、当時東予に居た彼の家に電話して、東京の心療内科の医者を紹介してもらったこと。
お互い自分の知っている中島の話をしあって、お互いにうなずきながら飲んだ。
こないだのあれはうまかったね、次はいつ入る・・。
かならず今度は、お出でよねというような話が客とおかみの間に流れていく。
この店では始めてのネクタイ姿の人が入って来て隣に座り、○○ちゃん、明日はこないだ言ったように休みが取れて、
松本へ行って来るよとおかみに言ってるので、信州の方ですかと声をかけると、いや、自分は東京の人間だけど、学校が向こうでね。
明日が去年死んだ友人の祥月命日なんで、仲間が集まって奥さんと子供と仏壇の前で一緒に飲むんですよ。おいくつだったんですか?56歳でした。
そのうち、先程長く話した人が軽く会釈して、今日は供養になりましたと言って帰っていった。この店はねえ、うまいもんが食べたくなると
時々小岩から来るんですよと明日無事有休が取れて友人の法要にいけるのでホッとしたのだろう、隣の席に座ったサラリーマン風の彼が、こちらに向けて話をつづけた。
追加で頼んだイカの一夜干しもいい柔らかさで、あぶり加減もよく、うまみが一味違った。
おおぶりのコップの焼酎のお湯割を飲み終る頃、もう店もいっぱいになってきた。代金を聞いて千円札3枚を出し100円玉一個のお釣りをもらい、
中島が長年つきあっていたこの店のお仲間の皆さんに心中さよならを告げ、おかみにごちそうさんと言って店を出た。
ちょっと歩き、もう一度振り返ると前の店の入口にはあった、ある政党の常設掲示板が今度の店にはなかった。
そういえば店の中にもそれらしい掲示は何もなかった。
時が移り、客も変わりおかみの心持も変わったのか、それとも現実的になったサヨクの今のありようなのか、それはわからないが,
中島はそれとは無関係にあの空間で、店の常連に好かれ、飲み仲間を作って長らく楽しんでいたのは間違い無いと思った。
長年気になっていた遅配物をようやく届けた郵便配達人のようにホットしたが、本当は、任務をおえても配達人はお届け先では飲んではいけなかったのかも知れない。
それとも、もしかしたら届けてはいけない郵便物だったかも知れない。
だが、彼が20数年間、気のおけない人達と過ごした会社を離れた異空間に、もう一度だけ身を置かしてもらった。
つい数日前、人間は死んだらどこへいく、知っている人たちの胸の中に飛び込んで行くという文章を何かで読んだばかりだった。
あの中島がここにもまだ居るなあと店で感じ続け、二度とは入らないだろうあの店が、あのおかみと常連客の皆さんと一緒に出来るだけ
長く続いて欲しいと思いながら、もう後ろは見ないでホテルに向かった。
--------------------------------
今日10月26日は中島隆一君の祥月命日だ。 阪急オアシス石屋川店に行ったら水耕栽培のサラダ用のセリを売っていたので買った。あいかたが「おひたし」にしてくれた。
ネットから引用:
刀根早生柿(とねわせがき)は平核無柿(ひらたねなしがき)の枝変わりです。
平核無柿は、山形県鶴岡市の鈴木重光氏の農園で発見され、その後、奈良県天理市の刀根淑民氏の農園で平核無柿の枝変わりが発見されたことから
刀根早生(とねわせ)と命名されました。
刀根早生は、合わせ柿です。合わせ柿とは、渋柿をガス処理を行い柿渋を抜いたものです。刀根早生の特徴は、形が偏平で角張っており種はありません。
大変、甘くジューシーで果肉が柔らかいことも特徴の一つです。
☟小腹用のカップ麺の置き場から一つ取って食べた後のデザートに刀根柿はぴったりだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2004年アテネ五輪があった当時はカテーテルによるステント挿入の技術はまだ確立していなく開腹の外科手術でした。
退院した後書いて知り合いにメールした体験記です。
#67<隠居の茶話・その四①> 2004.09.04 記
売れない落語家の 阿智胡地亭辛好 が今日も今日とて、楽屋横の隠居部屋に上がりこみ、席亭のご隠居と毒にも薬にもならない話で盛り上がっております。
隠居:
おう、ようやく顔を出したか。はらあ切ったっておめえのカミサンから聞いたが、いってえどのくらい切ったんだい?
辛好:
ミゾオチからせがれのすぐ上まで真っ直ぐに20センチくらいのもんでさあ。
隠居:
で、詳しく聞いてなかったが、なんで腹なんぞ切る羽目に?何か不義理でもしたのかい。
お前さんみたいな売れねえ噺家にもご贔屓筋が何人かついてるみたいでな、看板が下りてるがどこか出稼ぎにでも出かけたのかとか、
いつから高座に戻るのかとか聞いてくれるお客様もいたんだよ。
辛好:
そいつはナンと嬉しい話じゃあござんせんか。ありがてぇこった。
実は少し昔、安芸の国の席亭で3年ほど高座に上がっていたんでやんすが、5年ほど前、席亭指定の施療院で春の健康診断を受けたんでさあ。
指定目入の診断をこなしたあと、くすしの院長が「ちょうど息子が他院の修業を終えて戻ってきたんだが、超音波腹部検診のカラクリを入れて
くれってねだられて“回向(エコー)”のカラクリを買ったばかしなんじゃが、特別割引銭で見るがどうじゃ」って言うじゃあありませんか。
それまで「回向」なんぞやったことがないもんで、おもしれぇと思って「ようがす」って言ったら、若が喜んじゃって詳しく見てくれるってやりだしたが、
途中からえらく真剣な顔になったんでさあ。
隠居:
どうしてまた?
辛好:
「腹部大動脈瘤がありますね、破裂するかも知れんけん、すぐにでもそっち方面に明るい「くすし」に見てもろおてください、紹介状も書きます」
って言うじゃあござんせんか。あんまり真剣に言うので翌週市民病院の心臓血管外科で見てもらったら、この秋にでも手術をしたほうがいいが、
するかどうかを決めるのはアンタだと言うン。
隠居:
くすしに自分で決めろと言われても患者はちょっと迷うわな。
辛好:
手術をするにもカミサンが近くにいねえと万事不都合だと思って、カミサンにこんな事になったが家の近くに心臓血管外科に強い病院がねえか
調べてくれって連絡したら早速、 印多蜘蛛網であれこれ調べてくれて、家の近くの労災病院に心臓血管外科の「神の手」がおられるらしいと。
それで夏休みの1日にこの病院に行き、腹のCTを撮ってもらったら「本来約20ミリ径の大動脈が35ミリまで膨らんでいるなあ。
形状がなだらかなので、まだ手術はしなくてもいいと思う。そやけど半年に一回はチエックに来てもらわんと」となってそれからずっと見てもらっていたんでさあ。
隠居:
それで?
辛好:
安芸の国から地元に戻って何回目かの検査で50ミリ程になって先生も次はそろそろ手術やなあと言われていたんだが、
なんせこの大動脈瘤ってやつは自覚症状がまるでないン。
原因は動脈硬化らしいんだが自覚症状が全くないもんで、生活習慣を変えもせずこないだまで飲む吸う打つを懲りずにやってきたン。
隠居:
そういやあ、お前の好きな司馬遼太郎さんも確か腹部大動脈が破裂して惜しい人を無くしたが司馬さんの奥さんの話でも
動脈瘤をお持ちなのは本人も周囲も気づいてなかったそうだなあ。
確かに、司馬さんの写真で煙草をくゆらしてない写真は一枚もないなあ。
辛好:
ホントに司馬さんは同時代にあんな人を持てたのは有難いことで、それだけにあんなに早く亡くなったのは心底勿体無いことでさあ。
司馬さんと同列に並べてもらう気は毛頭ねえが、病気としては同じに違いがねえ、ってことでいずれはと思う気持ちと、
身体にメスが入る、しかも全身麻酔の手術ってえのは生身のカダラには一生どえれえストレスが残るって聞いているもんで
正直出来たらやりたくないって気持ちでいたン。
ところが半年前くらいから夜、布団に入って天井を向くと、腹の一部が時々ぴくんぴくんと動くのを感じるようになって
そろそろ年貢の納め時かなとは予想していたんでさあ・・。
それで7月中ごろに見てもらったらCTのフィルムを見たとたん、先生いわく「こら切りごろや、よう育てはったなあ」
「どれくらいになってます」「60ミリくらいやねえ」 「風船膨らますとおんなじでな、瘤いうのんはある時から急に大きなるねん」
それまでに調べていたんで、径が55ミリを超えると破裂率が年間33%になり、いったん破裂すると死亡率50%を越えるって
知ってたこともあり、その場でもう手術を観念して先生と相談して入院日も決めたン。
隠居:
そうか、そんなもんを後生大事に育てて、この5年ほど好き勝手やってきたんじゃな。
辛好:
そういう事なんでさあ。まあそれでも8月16日に入院して20日に手術、9月1日に退院てえことで順調な経過の方らしいのは有難いことで。
ただ心臓から下りてきて両下肢へ伸びる「人」型の大動脈部分を人工血管と取り替えるのに、腹割いて腸を掻き分けて背骨のすぐ 前に
位置する大動脈を一望に見えるように出して、3箇所でいったんクリップして血流を止めてってなことをしてるんで、長時間空気に
さらされた大腸なんぞのハラワタが元の場所にうまく戻り、ストレスで反乱を起こして壊死しないようこっちの方の対処も
大変ってことらしく、4日間点滴だけだったン。
それなのにじっと安静にしていたら腹の傷口と腸が変に癒着したらいかんからと、15時間の集中治療室から病室へ戻ったらその時点から
点滴液のハンガーを自分で押してトイレへ行けと 言われて・・・・。(思い出したのか殆ど涙声)
隠居:
噺家が泣いてどうする。それにまだ下腹に力が入らないのか声がまともに出てねえなあ。
今日はもういいから茶をいっぺえ飲んで帰りな。入院のあれこれはまたこんだ聞かせてもらうから。
辛好:
そんじゃあ、今日のところはお腹のお開きという噺まででお開きに。
しっかり傷がくっつくまで、しばらく大人しくしてまさあ。
ただ退屈だからこの歩いて来れる隠居部屋にはまたすぐ遊びにきますんで。
#67<隠居の茶話・その四②> 2004.09.08記
売れない落語家の 阿智胡地亭辛好 が今日も今日とて、楽屋横の隠居部屋に上がりこみ、席亭のご隠居と毒にも薬にもならない話で盛り上がっております。
隠居:
おう又、来たな。おめえさん、こないだは、手術中自分で自分の腹切りの一部始見ていたようなことを話していたが、確か全身麻酔だったんだよな。
辛好:
それはそうなんでやんすが、あの話は手術前の手術説明会と術後に病室で先生に聞いた話なんでさあ。
隠居:
手術説明会ってえのは何のことだい?
辛好:
アタシもなんせ初めての経験だったんだが、近頃の(因報務度懇宣度)「同意説明」っていう奴らしく、
手術前の血液テスト、アレルギーテスト、自己採血2回、カテーテルでの血管造影撮影で手術対象箇所のレントゲンなんぞ
が済んだ後、医者方が手術設計をして、それを患者本人と親族・関係者に説明するって言うン。
外科部長は何人来てもらって、聞いてもらっていいですよなんてね。
隠居:
じゃあ、自分がどんな手術をされるのかその場で事前に何でも聞けるンじゃね。
辛好:
これまで5年付き合ってきた心臓血管外科の脇田部長と今回、辛好の主治医になったN先生の二人が出てきて脇田部長が黒板に図を書いて、
手術内容とか時間とか説明してくれたン。
この病院で同じ手術を年間20例から30例やっており、成功率はほぼ99%だから安心して欲しいが、
100%安全だとは言えませんなんてね。怖気がついて患者に止めますなんぞとと言われないようにソフトに丁寧に説明してくれたン。
ただ、こっちがどれくらい切るんですかって聞くまでは、切り口なんぞのことを具体的に向こうから言わなかったのは笑っちゃった。
聞いて「ヤダもう手術は止めた。オレ帰る」なんて言い出す奴が時々いるに違ぇねえって思ったね。
面白かったのは、最後の方に若手のN先生が「この手術だけは手術しても患者に感謝されない手術なんだよね」って言うんだよね。
「なんでです?」って聞いたら、破裂の原因が取り除かれるから、破裂そのものはもう起こらねえんで、手術の後の痛みだけが残って、
恨まれこそすれ感謝は後々までされないんだと。
隠居:
なるほどそう言われてみれば、そういうこった。こいつはおもしれえ。
辛好:
まあ、手術説明会のもう一つの目的は「手術同意書」、「輸血同意書」にスムーズに署名してもらうことにもあるんだなと思ったね。
それと裏を返せば、あれの本音は医療訴訟に備えているんだ。
それからこれとは別に麻酔科の担当医との面談もあったなあ。アレルギーやこれまでの煙草と酒の付き合いなんぞ聞かれましたよ。
そしてインタビューの後、「麻酔同意書」にも署名だよ。
それから当日の手術室の担当看護師、今は看護婦って言わないんだね、も病室に来てアタシの顔を見ていった。横浜市立大学病院だったかで
手術患者の取り違えがあってから、トリプルチエックくらいで顔を確認する仕組みになったんだと思ったね。
隠居:
そりゃ当たり前といえば当たり前だが、安心だね。それで手術は何時間くらいのもんだったんだ?
辛好:
1時25分に看護師が呼びに来て、一時間ほど前からつけていた麻酔液の入った点滴ハンガーを自分で押しながら手術室へ歩いて行った。
入り口で身内と別れて、なんか台に乗ってくれと言われて、乗ったらでは始めますと言われてからはもう覚えがなかった。
それから次に気がついたら身内がベッドの上から覗きこんでいたな。後で聞いたら5時20分に終わりました、
目が覚めたからどうぞってN先生が呼びに来てくれて、集中治療室に入ったって。
予定が3時間で麻酔処置など前後一時間って言ってたから殆どピタリの時間だったみたいでさあ。
隠居:
麻酔がうまく醒めねえで、管を取ったり暴れる奴もいるらしいがお前はどうだったい。
辛好:
先生には名前を呼ばれて普通に返事をして醒めたらしいが、その後が大笑いでさあ。
カミサンと娘の顔が見えたとたん「ヨッ、どういう訳かここに美人が二人いるよ」って言ったらしいン。
カミサンはこんなときに身内にヨイショしてどうするって思ったって。
ワタシはこれを後で聞かされた時、芸人の悲しいサガを思ったン。
それからもう一つ、「出血も少なくて自己採血の半分の400cc使うだけで良かったんだって」と手術後の身内に対する手術結果の
説明で聞いた事をカミサンが言ったら、ワタシが「日頃の冷血人間は、血液の量まで少ないんだ」って訳のわからないことを口走ったってさ
隠居:
お前いつも身内から冷たい人間って言われてるから、そういう時に気にしてることが出るんだよ。
辛好:
そんなことがあって、翌日の午前中に病室に戻ったら、すぐさまリハビリですって言われて、トイレもベッドから起きて行けって、
まだ縫ったばかりの腹を抱えてどんどん歩いて動けって。
点滴も丸4日間で後はオカユになった。
手術の後の医者の関心は、どうも人工血管が中でちゃんとくっつくのは当たり前、腸がだんだん動くかどうかが問題らしくて、
ひっきりなしに看護師が来て腹に聴診器を当てて、あっ腸が中で動き出しましたなんて嬉しそうに言 うン。
1日一回傷口の消毒に来たとき初めて見たが、縦線の切り口はあまりカッコのいいもんではなかったすよ。
24時間腹帯を締めて、切り口が離れてヘルニアにならないように、ゼッタイに腹に力を入れるなと無理難題を
言われてるのがいまだに一番弱ることでさあ。
日頃あまり意識してなかったが人間、声を出すにも下腹に力入れてるン。
この手術後の最大の難関は雲古みたいなン。初めて雲古が少量出たと報告した時は先生も看護師も喜んだね。
便秘予防の漢方薬が出て飲むんだが、なかなかうまくいかないのでふと思い立って、下腹を刺激するために
「声に出して読む日本語」をやろうと思って、「般若心経」を称えるようにしたら臍下丹田が整ってきたらしく、
腸が動き出したン。「般若心経」でも「サラダ記念日」でも「風の又三郎」でも李白の「靜夜思」でも何でも言いンだが、
声に出してみて「息を長く吐く」ことの大事が又わかったン。
隠居:
まあ、お前はそんな御託を並べて冷房の効いた病室で五輪を見ていりゃいいんだが、どうだい手術で入院したという経験は。
辛好:
いやあ、職人芸の凄腕の先生方も有難いが、月並みながら、24時間中、検温、血圧、腹の聴診器、点滴とやってくれる看護師チーム、
ルームメークのおばさんなど、誰一人欠けても自分のイノチは、うまくまわらねえとつくづく思ったねえ。ホントに他人様に吾が命を預けっぱなしだよ。
隠居:
それとなんだかんだ言っても暑い中、病院に通った身内が一番心配で大変だったはずだから、おめえが無事に医療事故もなく家に帰れて良かったよ。
辛好:
病院から家に帰って最初の夕飯のときに次女いわく、広島で偶然コブを見つけてもらって、神戸で腕のいい先生にめぐり会うなんてオトッツアンやっぱ悪運が強いよね。
そしてカミサン曰く、それもそうだけど、この病気は結局、自業自得なんだよね。
ワタシはこれを聞いて心づくしの退院祝いのお赤飯を噛みしめながら、人生、誰のせいでもない、自分のクジは自分で引くンだと改めて実感したんでさあ。
隠居:
まあ、ちょっとキツクは聞こえたかも知れないが、きっと身内の嬉しさの裏返しだと思わないといけないよ、それは。
それにしても、おまえさんが入院中自分でやったことと言えば、冷房の効いた部屋でアテネをミテネてただけのことだな。
お後がよろしいようで。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
手術後3か月して一回経過を見て頂いて以来、2004年以降無罪放免ですが、やはり動脈硬化は腹部大動脈血管だけでなく心臓の冠動脈にも生じており、
7年前に同じ神戸労災病院で冠動脈狭窄の3本の血管へのステント挿入カテーテル手術を受け、手術後ずっと循環器内科で2か月に一回の検診を受けています。
上映作品
現存しない建物や都市空間、日常に埋没した隠れた風景の「生きた姿」を見せてくれる映画がある。大阪を舞台に撮られた映画作品の登場人物の背景にある「建築」に執着するユニークな映画祭。今年は「非・定住者たちの大阪」をテーマに4作品を厳選。土地や家、そして部屋にも縛られない「非・定住者たち」が描き出す「大阪」と「建築」を目撃せよ!
泥の河
1981年/日本/105分
◎監督:小栗康平◎脚本:重森孝子◎原作:宮本輝◎撮影:安藤庄平◎照明:島田忠昭◎録音:西崎英雄、平井宏侑◎美術:内藤昭◎音楽:毛利蔵人
◎出演:田村高廣、藤田弓子、朝原靖貴、加賀まりこ、柴田真生子、桜井稔、初音礼子、西山嘉孝、蟹江敬三、殿山泰司
♦堂島川が安治川と名を変える中之島の西端辺りが舞台の宮本輝の原作世界が(名古屋の中川運河を借りて)再構築されている。うどん屋を営む両親と信雄が暮らす川縁の「バラック」。その対岸に係留された吉ちゃんと銀子の姉弟が生活のために体を売る母親と暮らす「家船/廓船」。川、橋、階段、壁、窓を挟んで隣り合う水の世界と丘の世界、子どもたちの世界と大人たちの世界、同じ空間に存在しながらも別の位相に存在する多層的な世界観とその境界面が描かれている。
大阪の宿
1954年/日本/122分
◎監督:五所平之助◎脚本:八住利雄、五所平之助◎原作:水上滝太郎◎撮影:小原譲治◎照明:矢口勇◎録音:道源勇二◎美術:松山崇◎音楽:団伊玖磨
◎出演:佐野周二、細川俊夫、乙羽信子、恵ミチ子、水戸光子、川崎弘子、左幸子、三好栄子、藤原釜足、安西郷子
♦大阪に左遷されてきた独身の会社員で、物書きとしての顔も持つ三田が仮住まいするのは土佐堀川沿いの「旅館・酔月」。三人の女中たちが洗濯をする水辺、夜な夜な酔っ払っては三田に絡みにやってくる芸者うわばみと三田が夜に流す水辺と対岸の建物、土佐堀川に直行する舟入や水路にかかる橋など、今はない土佐堀川沿いの水辺の風景も堪能できる。三田が一目惚れする女事務員貴美子を追う視線は中之島公会堂周辺の当時の様子を捉える貴重な映像でもある。
めし
1951年/日本/97分
◎監督:成瀬巳喜男◎脚本:田中澄江、井手俊郎◎原作:林芙美子◎撮影:玉井正夫◎照明:◎録音:◎美術:中古智◎音楽:早坂文雄
◎出演:上原謙、原節子、島崎雪子、進藤英太郎、瀧花久子、二本柳寛、杉村春子、杉葉子、小林桂樹、花井蘭子
♦大阪に転勤してきた倦怠期の夫婦が暮らす天神ノ森の「長屋」。同じ出来事が反復される起伏の少ない家庭の諸室が様々な角度から丁寧に捉えられる。長屋の隣人との視線や会話を通して描かれる近代都市生活における旧知でない他者たちの間の距離感の描写も興味深い。途中、夫婦を訪ねて転がり込んできた夫の姪が躍動する大阪観光のシーンでは中之島公会堂や大阪証券取引所など、現存する近代建築の当時の姿が発見できる。
貸間あり
1959年/日本/112分
◎監督:川島雄三◎脚本:川島雄三、藤本義一◎原作:井伏鱒二◎撮影:岡崎宏三◎照明:下村一夫◎録音:鴛海晄次◎美術:小島基司◎音楽:真鍋理一郎
◎出演:フランキー堺、淡島千景、桂小金治、浪花千栄子、沢村いき雄、乙羽信子、渡辺篤、西岡慶子、頭師満、藤木悠
♦通天閣を望む夕陽ヶ丘の崖際に建つ「青柳アパート屋敷」は、一癖も二癖もある住人たちが暮らす、いまで言うシェアハウス。頼まれると断れない与田五郎を取り巻く住人たちの欲望と思惑が蠢くベクトル場さながらに、この「アパート屋敷」の建築全体が回転し続けているような錯覚に陥る。住人たちのドタバタ劇に微動だにせず同じ方角を向いて立ち続ける狸の置き物がかろうじてこの回転空間を大地に繋ぎとめているのだろうか?
トークショー開催!!
10月28日(土)の18:30『貸間あり』上映後
ミルクマン斉藤(映画評論家)、堀口徹(建築映画探偵)、山崎紀子(シネ・ヌーヴォ)らによる建築映画クロストーク!
入場料金
当日券
一般1,400円/学生1,200円/シニア1,100円/会員・高校生以下1,000円
建築学科学生割引:1,000円(要学生証提示) イケフェス参加者割引:1,000円(要大阪市公式ガイドブック提示)
※連日朝より当日分の整理番号つき入場券の販売を開始します。
ご入場は各回10〜15分前より整理番号順となりますので、前売券なども受付にて入場券とお引き換えください。
スケジュール
Copyright2017,Cinenouveau,All right reserved
会場は阪神百貨店10階のレストランフロアーにある「美々卯」だった。いつもながら設営は奈良のZさんがやってくれた。多謝。
その4人のうち91歳になるTさんは36年前に当時の会社定年の55歳で会社を辞められた。Tさんはそれから会社の世話には一切ならずご自分の頭と手と足で
人のつきあいを大切にしてこれまで自主自立の仕事人生を歩いてこられた。そのお元気さと頭の回転の速さは36年前と全く変わっていない。
うどんすきを初めて世に出した「美々卯」に入ったのは何年ぶりだろう。
Tさんからお話があった。奥さんを失くされてから一人暮らしていた家をお子さん家族に譲って来月から老人ホームに入ることにしたと。
その間の経過や施設の選び方やケアマネージャーとのやりとりなどの貴重な情報を縷々教えて頂いた。
80歳と75歳の面々はまさに我が事として真剣にお話を伺った。
91歳のTさんは今も新聞を読んで面白い記事があると毎日スクッラプしているという。後で読むとか読まないとかはかまへんねん、
おもろいのを見つけたら切り抜きすることが面白いねんと。
もう一人の先輩80歳の神戸のNさんは今年も冬は北海道でスキーをする予約をしたそうだ。テニスも続けているしコーラスグループや
一人カラオケも前から楽しまれている。お二人には好奇心の強さと持続、また人つきあいを楽しまれ続けた来た共通点があるなと思った。
次はホームに入られたあとその体験談を伺う会で集まりましょうと約束して散会した。
ちなみに91歳のTさんは今から41年前貿易部に所属して初めての海外出張先、インドネシアスマトラ島のメダンとジャワ島の首都ジャカルタへ
3人で行った時のメンバーの一人だ。今当時のお年を計算すると50歳。今回お隣に座ってお話したが頭のキレと回転は出張でご一緒した当時と全く一緒だった。
Tさんには以前にたった一つ不可思議なことを言われたことがある。10数年前に始まったこの関西の集まりの企画に、阿智胡地亭さんは反対したそうやなぁと。
2017.10.15 〜 2017.10.21、閲覧記事数:18544 PV、訪問者数:2855 IP、Gooブログランキング1536 位 / 2,776,624ブログ
☆先週はブロブ開始以来初めて一日平均400名の方にアクセスして頂きました。
⇒この時期になると旨い魚が食べたくなり16日の昼過ぎから約一時間余りかけて しまなみ海道伯方島の
光藤旅館に夕食に行った。
女将さんも覚えてくれてとても気安くしてくれます。 丁度、60歳前後の女性4名が宿泊され、同室で
食事をしました。お聞きすると2名は東京、2名は札幌だが仲良し4人組なのでどこかで合流してレンタカー
で愛媛、尾道を周っているとのこと。 光藤旅館はインターネットで調べた模様。
小生から女将さんには、兎に角旨い魚を食わせてくれとだけ言って何が出るかはおまかせしておいた。
刺身(カンパチ、はまち、イカ、あこう)は鮮度抜群でとても甘くて思わず笑顔が出る。美味い!!👆
次は1人一箱のウニが出てきた。 豪快にワサビ醤油で頂くと独特の味と香りがあり贅沢感あり。
光藤お馴染みのピンピン跳ねている活車エビがきた。 宿のお姉さんが皮をむいてくれて小皿に並べてくれる。
ワサビ醤油で頂くととにかく甘い!! (まだピクピク動いているのでマズイ訳はないですよね)
25cmもある幻の魚と言われる【あこう】の煮つけがド~ンと目の前にして大感激!!
直前まで生きていたので身がプリプリで味付け最高。(都会なら相当高いですね)
時間をかけてじっくり味わい、これでもう帰ってもええな、と思ったくらい腹一杯になった。
車エビの塩焼きが15匹。 カルシュウム補充のため頭~尻尾全部頂くが、ほぼ満腹状態なので頑張って時間をかけてトライしてみる。
先ほど、えびの踊り食いを6匹頂いていたのでトータル21匹です。
次は牡蠣フライで暖かい内に一個頂くと美味しい。 しかし全部はもう無理。
タコのとシイタケの天ぷら。 これも一個だけ頂いたがウマイ! しかし、お腹に収容余力がない。
出た!! かなり大きなサザエ。 これは満腹だが頑張って食べるしかないでしょう。
にし貝の一種【あかにし貝】のバター炒め。 歯ごたえがよくこれも美味しい。しかし、もうお腹は限界です。
新米で炊いた美味しそうなおにぎり。 お米大好きな小生も何とか一個頂くのが精いっぱい
最後に高級品の【新高梨】のデザート。
一切れを相方と半分にして頂いたが普通の梨と違いとても甘い。
結局、にし貝のバター炒め、車エビ塩焼き、タコとシイタケの天ぷら、おにぎり、新高梨は食べきれずに持ち帰りすることになった。
翌日オーブンで温めると大変美味かった。
上記の他にはギザミ(ベラ)の三杯酢もありましたが撮り忘れました。
光藤はランチが評判で以前利用したのですが、女将のお母さんの体調悪く面倒見るためランチは
しばらく中止。 但し宿泊や夕食のみはOKとなっているようです。
☆う~んと唸るしかない。やはり四国は伊予の国に住む御夫婦は海の幸に恵まれてござる。
東京在住のM先輩から携帯メールを頂きました。
⇒阿智胡地亭さんは、乾緑郎「忍び秘伝」は読みましたか。信玄全盛時代の諏訪から始まり、諏訪一族の末裔が猿飛サスケまで連なるという伝奇的小説です。
奥手な巫女が主人公ですが、歴史の闇を繋いだ筋書きは私には面白いものでした。
メールを頂いてすぐにパソコンに向かいました。 楽天で探すとありました! 本体1600円が古本で送料なし210円。ポイントがあるので0円で入手しました。
着いたとたん読みだしたら止まらない、282頁の本はアッというまの読了でした。
先ほど読み上げてM先輩にお礼の感想を送りました、
⇒久し振りに次はどうなるどうなるとトイレに立つのも惜しい思いで読んでしまいました。小気味がいいテンポで文章がすすみますね。
以前、茅野の守矢家(クリック)の敷地に隣接する又従弟の実家に行った時あるエリアに入ったら体が自然に震えだした体験を思い出しました。
守矢家が代々祀ってきたミシャグチ神の本尊の社がすぐ近くにあるのでその結界に足を踏み入れたようでした。そういう人が時々いるという話でした。
諏訪の凶神は出雲の神をうらむ諏訪の縄文人の怨念?まさか猿飛左助が諏訪一族と真田一族の血を引くとは!!伝奇小説の面白さを堪能しました。
ネットの紹介文:
永禄4(1561)年、川中島――。甲越双方6割の兵が命を落とす地獄の戦を左右した兇神「御左口(ミシャグチ神)」。その力を利用すれば、
天下もたやすく手に入るとされる兇神をめぐり、武田・上杉両軍、謎の忍者・加藤段蔵、若き日の真田昌幸、そして山本勘助が暗躍する書き下ろし長編時代エンターテインメント!
朝日時代小説大賞&「このミス」大賞W受賞作家の受賞第一作!
天下を左右する“兇神”をめぐる暗闘を描く
書き下ろし戦国時代エンターテインメント
乾緑郎の恐るべき豪腕にまたも唖然、呆然、驚嘆!
―――八重洲ブックセンター本店 内田俊明氏
歴史の空白を奇想の力で描きあげる筆力は比類なし!!
―――三省堂書店営業本部 内田剛氏
この妖異! この感動!! これぞ新・時代伝奇の傑作!!!
―――ときわ書房本店 宇田川拓也氏
これ池袋。
— umekichi (@umekichkun) 2017年10月20日
もはや街頭演説じゃなく、学会と自民党員の前で演説ぶってるだけじゃんか。
こんなへタレな総理大臣見たことない。
道路は庶民の物。明日、秋葉行くから普通に通せよなぁ。 pic.twitter.com/0ECsdQtRuO