阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

図書館の帰りに韓国の食堂「マニマニ チキン」でランチ

2024年02月29日 | 食べる飲む

図書館の帰りは時分どきだったので家までの途中にある一番近い食べ物屋である「マニマニチキン」に入ってみた。

 この店は同じ韓国系の店だがコロナパンデミックの前とは店名や業態が変わった。

 

生マッコリと定食について出た「韓国おかゆ」

 

私はブデチゲ定食をオーダーした↑。ちょうどいい辛さで完食した。

相方はどこの韓国店でも頼む「石焼ビビンバ定食」をこの店でも試した。量も質も大満足だったったそうだ。

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 海外で暮らしている日本人に何故日本を出て外国に住んでいるのかを聞いた英語YouTube  

2024年02月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事

Why Did You Leave Japan? -Japanese living abroad

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02月28日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年02月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年01月29日(日)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年02月29日 | 東日本大震災ブログ
2012年01月29日(日)
 
ダボス会議」で日本人が原発論議の提言
 
菅前首相 原発巡る国際的議論を
1月27日 9時46分  NHKニュース

菅前総理大臣は、スイスで開かれている「ダボス会議」で、東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえて、原発の安全対策についてもっと国際的に議論をするべきだと呼びかけました。

スイス東部で開かれている「ダボス会議」では、26日、東日本大震災をテーマとする非公開の会合が開かれ、菅前総理大臣が、東京電力福島第一原発の事故を踏まえて、原発の安全対策について講演しました。終了後、菅氏は記者団に対して「国際的に、原発も何らかのルール作りが必要ではないか」と述べて、原発の安全対策について、もっと国際的に議論すべきだと呼びかけたことを明らかにしました。

 さらに菅氏は、省エネ技術の開発や再生可能エネルギーの利用促進を進めていくことで「原発に依存しなくても、十分にエネルギー供給が可能になる」と述べ、将来的には原発に頼らない社会を実現すべきだと強調しました。これに先だち、菅氏は「マイクロソフト」の創業者で、途上国の保健衛生対策に巨額の資金を提供しているビル・ゲイツ氏と共同で記者会見を開き、日本として今後ともアフリカやアジアの感染症対策に資金援助する考えを示しました。

 これに関して、ゲイツ氏はNHKとのインタビューで、「日本が震災で厳しい状況にあるなかでも途上国の支援に取り組むことはすばらしい」と述べ、日本の貢献を高く評価しました。

☆「ダボス会議」。世の中結局は人次第。この会議に参加する人たちの影響力は強力だ。どんな会議か興味があればお調べください。
 
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東電に汚染焼却灰を「記念品」として町長が渡す
 
汚染焼却灰「記念品だ」 福島・塙町長が東電に手渡す

2012年01月26日木曜日 河北新報
ドクロマークの容器に入れた汚染灰を持って交渉に臨む菊池町長=25日、東京都千代田区の東電本店

福島県塙町の菊池基文町長は25日、東京電力本店(東京)を訪ね、白河、会津地方の自主避難者も福島第1原発事故の損害賠償の対象に入れるよう求めた。高い放射線量が出て処理できない汚泥の焼却灰を持参し、「福島を分断することは許されない」と訴えた。

 菊池町長は灰をドクロマークの紙を張った容器に入れ、交渉に臨んだ。「この灰は捨てる場所がなく、成仏できない。花咲かじいさんは木に灰をまいて花を咲かせたが、この灰は人を滅ぼす。白河、会津地方は蚊帳の外に置かれたが、われわれはこんな恐ろしい灰とともに生活している」と述べた。

 東電の西沢俊夫社長は「誠心誠意対応する」と答えた。菊池町長は交渉後、皮肉交じりに「記念品だ」と言い、灰の容器を東電の役員に渡した。

 灰は塙町など西白河郡の4町村でつくる衛生組合のし尿処理場の廃棄物。1キロ当たり8000ベクレルの線量が検出され、約3トンが行き場を失って処理場の車庫に保管されている。

 菊池町長は白河、会津地方の26市町村長で構成する原子力損害賠償対策本部の一員として参加した。本部は国の原子力損害賠償紛争審査会の指針が白河、会津地方の自主避難者を損害賠償の対象から外したことに異を唱え、指針が賠償の対象とした浜通り地方などの23市町村の住民と同様に賠償するよう要求した。
 
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再び住めるのか不安 警戒区域除染
 
警戒区域除染 「再び住めるのか」 避難住民、不安消えず
2012年01月27日金曜日 河北新報

「放射線量だけでは除染の難易度や見通しを判断できない」と強調する児玉教授=福島県二本松市

警戒区域や計画的避難区域に、再び住むことはできるのかどうか。環境省は26日、福島第1原発事故で放出された放射性物質の除染工程表を示したが、長引く避難生活を送る住民らの不安は消えない。具体的な工程表策定や徹底的な除染を求める声が根強い。

 警戒区域が含まれる福島県双葉郡の7町村の中で、最も早い「ことし3月」の帰村開始を打ち出している川内村。除染も先行している。

 環境省福島環境再生事務所は26日、川内村北東部の3分の1を占める警戒区域で、国が行う生活空間の除染方針を明らかにした。同区域の160世帯で春先から作業を本格化させ、積雪期の11月までに完了させる。

 村は同日、いわき市と郡山市で避難者向けの説明会を開いた。いわき市に避難した会社員男性(56)は「セシウム以外の放射性物質の問題や、雨が降ったときの飲み水がどうなっているか、まず徹底的に調べるべきだ」と言う。

 川内村は警戒区域の中で初の帰還が予定されており、男性は「若い人も納得できるように進めてほしい」と訴えた。

 全域が警戒区域と計画的避難区域の浪江町も26日、役場機能移転先の二本松市で、復興検討委員会を開いた。除染をめぐり、住民側委員からは「本当に住めるようになるのか」「線量が下がったとしても、帰らない人もいる」という意見が相次いだ。

 「(年間被ばく線量)20ミリシーベルトとか50ミリシーベルトという線引きは誤解のもと」と切り出したのは、専門家委員として出席した児玉龍彦東大教授(システム生物医学)。

 児玉氏は取材に「除染自体は汚染物を削れば必ずできるし、国と東京電力や経済界、大学が協力すべきだ。ただ何年かかるかは実際にやってみないと分からず、20ミリシーベルト以上は、住みながら除染というのは難しいと考えるべきだ」と強調した。

 環境省の工程表に対し、福島第1原発が立地する大熊町の渡辺利綱町長は「住民が分かりやすいよう、具体的な数値を盛り込んだロードマップが必要だ」と注文する。

 「除染は復興の第一歩」と渡辺町長は指摘。「住民に対しては今後、国もきちんとした説明をしてほしい」と求めた。
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東京都が電気料金値上げに猛反発
 
報道ステーションより。今日、東京都の猪瀬副知事が記者会見し、「非常に東電はなんか殿様商売で威張ってるな、押しつけてるな」と、東電の電気料金値上げに猛反発した。東京都は東電第三位の大株主。都は、電気料金値上げの根拠や経営の合理化策を具体的に示すよう要望書を出した。猪瀬副知事がまずやり玉にあげたのは、東電の子会社のリストラだ。都内に本社がある子会社24社のうち17社が都心の一等地にある。これらを品川などに移すと共に整理統合して半分に減らすべきだとしている。そして自社ビルや一部所有権を持つビルが7棟あるうち3棟を売却すると78億円の削減となる。こういった東電の埋蔵金みたいなものを明らかにしないと簡単に値上げには応じられないとしている。

0120126 東京都が電気料金値上げに猛反発 投稿者 PMG5
 
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原発稼働ゼロでも電力制限しなくても良さそう
 
枝野経産相:今夏、電力制限令せず 原発稼働ゼロでも
毎日新聞 2012年1月27日 13時34分

 枝野幸男経済産業相は27日の閣議後の記者会見で、今夏の電力需給について、「いかなる状況でも電力使用制限令をせずに乗り切りたい」と述べ、定期検査入りした原発を再稼働せず、すべて停止した状態でも、昨年夏に東京、東北電力管内で実施した電気事業法に基づく電力使用制限令を発動しない意向を表明した。枝野経産相は「これは強い意思だ。それができる可能性は相当程度ある」と強調したが、具体的な裏付けは示さなかった。

 電力使用制限令は企業など大口需要家の使用最大電力を制限する措置。東電、東北電管内で実施した昨年夏は、最大電力を10年夏より15%削減するよう要請。自動車業界が工場稼働の休日シフトなどの対応をとった。

 経産相は原発稼働ゼロになった場合、「相当電力需給が厳しくなると予想されるが、事前にできることを最大限やり、節電の協力はお願いしなければならない」としたうえで、「日本の産業に大きな影響を与えることなく乗り切るための検討は進めている。電力使用制限令によらず乗り切れる十分な可能性がある」と述べた。

 また、東京都の猪瀬直樹副知事が東電の企業向け電気料金値上げに対し、説明が不十分と批判していることについて「有力株主の東京都の指摘は重く受け止めるべきだ」と述べ、都の要望を反映させるよう東電に求める考えを示した。【野原大輔】
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「市民と科学者の内部被曝問題研究会」の設立
 
被ばく研究の団体設立へ 政府批判の研究者ら
2012年1月27日 20時59分  東京新聞

東京電力福島第1原発事故に関連し、政府の被ばく防護策に批判的な研究者や医師ら6人が27日、東京都内の日本記者クラブで記者会見し、内部被ばくによる影響の研究や市民向けの勉強会に取り組む団体を設立することを明らかにした。

 団体は「市民と科学者の内部被曝問題研究会」。ホームページを開設するなど準備を進めており、4月から本格的な活動を始めたいとしている。

 会見には、太平洋ビキニ環礁での水爆実験で被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員大石又七さんも出席。「被ばくの研究は常に政治の圧力を受けてきた。中立の立場で研究することが重要だ」と話した。(共同通信)
 
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集団疎開の提言
 
年1ミリ以上「集団疎開を」=広島被爆の医師ら、政府に提言-
(2012/01/27-20:37)時事ドットコム

 東京電力福島第1原発事故を受け、学者や医師らが設立した「市民と科学者の内部被曝(ひばく)問題研究会」が27日、東京都内で記者会見し、政府に対し、年間1ミリシーベルト以上の被ばくが見込まれる地域の子どもを集団疎開させたり、妊産婦や病人を安全な地域に移したりすることを求める提言を発表した。

 提言は、原発を推進してきた学者ら「原子力ムラ」以外のメンバーで委員会をつくり、事故原因を究明することなども求めている。
 研究会のメンバーで、広島への原爆投下で被爆した肥田舜太郎医師は「日本人は放射線の被害を教わっていない。もっと勉強し、放射線と縁を切らなければいけない」と訴えた。米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」元乗組員の大石又七さんは「(日本は)全然進歩していない。原発を導入した人たちの責任が問われなくて良いのか」と憤りをあらわにした。
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神戸市東灘区の住吉川から岡本(本山)を経て阪神青木駅まで歩きました。         10年ひと昔 2014年2月28日の本ブログに掲載

2024年02月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

住吉川の両岸には遊歩道があって、一年中ウオーキングやジョギング、犬の散歩に活用されています。




下流側

上流側

水道橋から本山方面。向こうに見える白い建物は神戸薬科大学と、その向こうの甲南女子大学?でしょう。

岡本の交差点

昔からある一本だけ屹立している棕櫚の木は、車で走っているときは気づかず通り過ぎます。

電車に乗って通過するだけで気が付きませんでしたが、摂津本山駅の階上駅の改装工事は、

エスカレーター工事だけを残して完成していました。昨年の大雨のときは地下道が冠水して大変でしたが、もうあの事態は起こりません。

 浜側から駅舎を見た画像(トップの画像)
    国道2号線方面

阪神青木駅まで歩いて御影駅に戻りバスで甲南病院で下りました。




草ぼうぼうだった妖精の家の敷地は草刈されていました。妖精はもう長く留守をしているようで、住んでいる気配を感じませんでした。


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教育者としての養老孟司が生徒に求めるのは「学ぶ態度」だけだ。その態度とは?

2024年02月28日 | にんまり話

◎ 学ぶ態度とは「自分が何も知らない」 それだけだ。

◎ いわゆる「熱く」なることに抵抗感がある。それは戦争そして敗戦という、一つの価値観の大転換を、幼い頃目の当たりにしたことが

  大きく影響していると思う。「一億玉砕」とか「鬼畜米英」なんて大騒ぎの挙げ句、一夜でころっと変わるのを体験していると、

       大勢が熱く騒いでいるのに接すると、「危ねえぞ」という危機感が作用してしまう。

◎ 教養とは何か 「教養とは 人の心がわかる心」である。

◎ ストレスとは、気持ちと実際とが食い違う時に生じる。その「実際」が社会の問題であるなら、個人には手のつけようがない。

  世直しは大変に決まっている。だからふつうはそう思って大勢に従う。でもどこかでそれが壊れるときがくるかもしれない。

  そのときは仕方がない。「自分を通す」しかない。それができるかできないか、それで人生が違ってくる。・・一部略・・

  それでも、一生に一度くらいは、自分を通す必要があるかもしれないんですよ。それを「自分の人生」というではないか。

   そんなふうに、私は思っているのである

 

                   いずれも 引用元 「ヒトの幸福とはなにか」 2023年11月11日 筑摩書房 刊

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02月27日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年02月28日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年01月28日(土)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年02月28日 | 東日本大震災ブログ
2012年01月28日(土)
 
静かなるプロテスト ~反骨の画家 ベン・シャーン~
 
NHK・日曜美術館「静かなるプロテスト ~反骨の画家 ベン・シャーン~」
 
福島原発事故による放射能の甚大な被害。原子力が抱える人類規模の問題を、50年前、静かに告発した画家がいた。20世紀アメリカを代表する画家ベン・シャーン(1898~1969)。彼の晩年の代表作が、1954年の第五福竜丸被爆の事件をテーマにした「ラッキー・ドラゴン」シリーズ(1960)である。
日本では、2006年に「ここが家だ~ベン・シャーンの第五福竜丸~」というタイトルの絵本として出版され、大きな注目を集めた。焼津港を出港した船が漁をする様子、被爆の瞬間、死の灰、そして久保山愛吉さんの死など、事件の経過が克明に描かれた絵本。
シャーンはその後も連作を描き続け、アメリカでも原子力の開発に警鐘を鳴らした。

リトアニアの貧しいユダヤ人の息子として生まれ、幼い頃両親とともにアメリカに移住したシャーンは、ニューヨークで石版工として働き、大学で学んだ後、画家の道を志す。出世作となったのは、二人の社会主義者の移民が強盗殺人のえん罪で処刑された「サッコとヴァンゼッティ事件」(1931)のシリーズだった。裁判の経過を淡々とドキュメント風に描いた作品は大反響を呼ぶ。

以後シャーンは常に社会の不正から目をそらすことなく、貧しい人々、弱い立場の人々の哀(かな)しみや痛みを深いまなざしで描き続けた。見る者の心にそっと手を差しのべるような絵。福島の原発事故、格差社会に怒るアメリカの若者たちのデモ、時代はまさに国境を越え、シャーンが見据えた苦難に満ちている。
番組では20年ぶりに日本で大回顧展(絵画イラストなど200点、写真300点)が開かれるのを機に、ベン・シャーン芸術の今日的意味を読み解く。 出演:山田太一さん(作家・脚本家)、江成常夫さん(写真家)、アーサー・ビナードさん(詩人)
 
2012年1月28日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ムラに歯向かったばっかりに落選した自民党議員
 
この国と原発:第4部・抜け出せない構図/2 議員立法に業・官の壁

一部引用・・

「電力に落選させられた」 

昨年8月、再生可能エネルギー固定価格買い取り法(再生エネ法)が成立した。電力会社に対し、太陽光など自然エネルギーを使って個人や事業者が発電した電力の全量買い取りを義務付ける法律だ。

 「感慨無量ですね」と、愛知和男・元環境庁長官は言う。

・・中略・・

 飯田氏らと勉強会を重ねた愛知氏らは、00年4月には法案を完成させ、各党に持ち帰っての手続きに入った。ところが、同年6月に衆院が解散。宮城1区の愛知氏は民主党の新人、今野東氏(現参院議員)に1万5000票差で敗れた。予想だにしなかった敗戦だった。

 「東北電力が何もしてくれなかった。後で気づいた」と愛知氏は振り返る。それまでの選挙では社員を動員してもらい、日ごろからパーティー券も買ってもらっていた。「選挙の応援は経営側が私、労組は民主党と決まっていた。でも、あの選挙で動いたのは労組だけだった。『ああ、そういうことをするのか』と思ったね」

 愛知氏の落選後、自然エネ議連は橋本龍太郎元首相を会長に迎えるが、事務局長の加藤修一参院議員(公明)は「予想に反し、動きは鈍かった」と話す。やがて橋本氏は「法案は政府提案で」と言うようになり、議員立法は立ち消えになった。

 愛知氏は「議連には電力業界に近い『監視役』もいた。我々の動きは役所に筒抜けだったと思う」と話す。

 一方、通商産業省(当時)は自然エネ議連発足直後から、別の法案作成の動きを活発化させた。紆余(うよ)曲折を経て、買い取り義務のない「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」が02年に成立。飯田氏は「通産官僚と電力の壁に阻まれた。官僚側は政策決定の主導権を奪われることを警戒していた」と話す。

全文は こちら
 
2012年1月28日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 / 日本社会の仕組み改良 |
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土佐の高知に反乱を起こして原発誘致を止めた元警察官がいる。
 
原発マネーに負けなかった男 (高知)

○ 島岡幹夫さんたちの地道な原発反対運動が、漁業のできる海を残した。

1975年、旧窪川町に原子力発電所建設計画が持ち上がった。島岡幹夫さん(当時38歳)は、この時、高知県窪川町自民党支部広報副委員長だった。25歳までは大阪府警の警官だった人である。この種の話は、一般の人が知る前に保守系の有力者の間で根回しされるの常である。

 ある会合で計画を打ち明けられた時、町の有力者がだれも反対しない中で、彼だけは、「ちょっと待ってくれ!」と異議をはさんだ。放射能が気がかりだったのである。その時、放射線治療の末に52歳で亡くなったお母さんの死体を思い浮かべたと言う。有機農業をやっていたから本能的に放射能を嫌ったということもあったかもしれない。

「窪川町には、当時、農業と畜産で80億、林業で30億、縫製工場などの加工産業を合わせると、150億近い収入があったのです。四国有数の食糧生産地なのに、たかだか20億や30億の税収に目がくらみ、耐用年数30年程度の原発のために、2000年続いてきた農業を犠牲にするのは、愚の骨頂です」というのが、島岡さんの主張であった。しかし、窪川町自民党支部の中で、彼のこの正論に同調する人はなく、彼は孤立感を深めていった。

全文はこちら
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2.ポップス黄金時代

2024年02月27日 | 辛好のJukebox

2.ポップス黄金時代

【歌えるオールディーズ 146】 ダイアナ (ポール・アンカ)

One Way Ticket (To The Blues) 歌詞 Neil Sedaka 恋の片道切符 ふりがな付 - うたてん (utaten.com)

カラーに口紅/ 歌詞

Unchained Melody [日本語訳・英詞付き] Bobby Hatfield / The Righteous Brothers

 

 

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たまたま出会った  桂文珍さんと笑福亭鶴瓶さん    またまた遭遇 六甲山の麓のイノシシ           茶話 20

2024年02月27日 | エッセイ

たまたま出会った    

 落語家二人

新大阪のホームで列車の入線を待っていた。

車内で読む「週間文春」と「お~いお茶」を確保した後は、
いつもの癖で目の前を行き来する人達をバードウォチングならぬピープルウォチングを楽しむ。

背をしゃんと伸ばして夏物を涼しげに決めた奥さんの後を、ゴルフウェアーらしいポロシャツを着た旦那が荷物を持って
トボトボついていく。アタッシュケースを持った紺のスーツの若い女性が男の同僚社員らしいのと急ぎ足で通り過ぎる。

若い男女の外人が6、7人でトランクの山を横においている。ツアーらしいがガイドはいないなあ。
女性が小柄だし、着ているものの色とコーデネイトが洒落てるからからアメリカ人じゃなくてラテン系みたい。

あら、向こうからくるおっさんあれは桂文珍みたいやなあ。荷物をカートで引っ張っている。
お伴なしで一人で動いてるんだ。彼は私のすぐ隣に来て立ち止まった。やはり文珍だった。

5、6年前に阪急六甲から梅田まで隣どうしに座った桂文珍とはこれで3度目の遭遇だが、
いままでになく自然体で周囲の人は誰も気付かない。気のせいか彼は少し仏頂面に見えた。

テレビと違うのは薄いサングラスをかけているだけだ。彼は早く来すぎたのか私の乗った列車には乗ってこなかった。

②21のB席は窓際3列の真ん中の席だった。

この伊丹空港発の羽田行きフライトは乗客に子供が多く満席だった。

シートベルトを締めてぼんやり乗って来る人をみていたら、笑福亭鶴瓶みたいな男が通路をこちらに来る。
その後ろに名前は知らないがテレビで顔は見たことがあるのが続いている。

みたいではなく間違いなく鶴瓶だった。彼は20のD席、若いのが20のC席に座った。
飛行中二人は半分の30分ほどスケジュールの話をしていた。あのダミ声の大阪弁で。

着陸して皆が席をたったとき、彼の前の席の女性が後ろを振り向いて握手を求め、それに対して笑って握手を返していたくらいで、
殆どの人は気付かないままで機内から下りていった。

運動会などの集団の中から自分の子供をすぐ見分けられる視覚の識別能力は、動物の始源的な能力の一つらしいが、
例え一度も会ったことがない他人でもいったんインプリンテイングされたイメージと同一人物が目の前に現れたら、
無意識かつ即座にその人だと認識するという経験は何度あっても面白い。

またまた出会った   イノシシ カンバック    

夜11時過ぎ、飼犬のうち若い方のムーが突然ワワーンと外に向かって異様な吠えかたをした。あっイノシシがまた現れた。
人に対する吠えかたと全然違うのですぐそう思ったそうだ。

相方が道路際の2階の部屋の窓から外を見ると、20mほど離れたゴミの集積所のところに大きなイノシシが1頭とウリンボウが
一匹ビニール袋に鼻を突っ込んでいる。時間が遅いのでバスはもう通らないが、乗用車が何台もそこを避けて大きくふくらんで減速して上がっていく。


集積所の前の一家は総員で玄関の塀ごしに顔を出してこわごわ覗いている。そのお隣はガレージのシャッターの前に置いていた
ビニールをあわてて取り込んでいる。(私は冷酒をやりすぎてこの時間は白河夜船だったので翌朝聞いた)

その一週間ほど前は真夜中にムーが吠えるか吠えないうちに、家の前のお宅の玄関でドーン、ドーンという大きな音がした。
覗いてみたらやはりウリンボウを連れたイノシシがアルミ製の柵に体当たりしているのが見えたそうだ。
前にアルミの柵の中に置いていた生ゴミをやられた事があるおうちだ。


一年ほど前近所の何軒もアルミ製の柵や玄関がイノシシの体当たりで捻じ曲げられ、取り換えざるを得なかった。
うちと隣は建ったのがほぼ40年前と古いので柵は鉄製だが、鉄製のものはどの家も被害がない。
推測だが鉄の(かなけ)のイオンの匂いを避けるのかもと思う。

つまり先祖代々、猟師のトラバサミなどの鉄のワナで痛い目にあってきたので、鉄から逃げるDNAがあるのかも知れない。
理由は不明だが鉄製の物には向かってこないというのは不思議な事実だ。

神戸市が六甲山麓の地区の住民の声を聞いて昨年ようやく「イノシシ迷惑防止令」を出して、餌をイノシシにやるのが禁止されてから、
彼らが近所をうろつくのが少なくなってほっとしていた。

今年の梅雨の長雨や気候不順で六甲山の自然のエサが少なくなったので、またもや人家の近くに出没しだしたのだろうというのが、
朝飯どきの我が家の結論だった。

   2003.8.10作成

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「反面教師にしてほしい...」双葉町井戸川町長インタビュー      2012/01/17

2024年02月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事

「反面教師にしてほしい...」双葉町井戸川町長インタビュー

福島第一原子力発電所のある福島県双葉町の井戸川町長は1月15日、脱原発世界会議に参加。OurPlanetTVのインタビューに応じた。
 
井戸川町長は、福島第一原子力発電所からわずか3キロの地点に自宅がある。地震が起きた。

おきた当時は、車の中にいて、原発への影響をまず心配したという。結果的に、翌日早朝に避難指示となり、町民の避難を誘導中に、1号機が爆発。第一原発からのチリを直接かぶったという。

その後、線量計で身辺の計測。汚­染の広がりが想像を超えていたため、福島県内では、被曝による危険性があると判断し、避難所を埼玉県に置くことを、自らの判断で決定したことを明らかにした。
  
現在、政府は、双葉郡に、放射性廃棄物の中間貯蔵施設を建設しようとしているが、井戸川町長は、真っ向から反対を表明

。今月12日、その検討を行う電源地域政策協議会の第1回目の会合を欠席したが、インタビューの中で、今後一切、同­協議会には出席しない方針であることを明らかにした。
 
また、原発を誘致した責任については、「その責任はある」ときっぱり。どのように責任を表したら良いか考えているとしたうえで、

「どの原発にも危険性はある」として、原発を誘致した自治体すべ同罪であるとの考えを示­した。また原発の再稼働に関しては、

「今回の事故を最後にしなければならない」として、自分たちを「反面教師にして欲しい」と話した。
 
井戸川町長は、脱原発世界会議の首長会議に出席。他の自治体の首長に対し、福島の子どもたちの避難を受け入れて欲しいと、別室で話をしたという。

「国が定めている基準は上­限年間1ミリシーベルトじ。除染には時間も費用もかかる」として「子どもたちを国で避難させてほしい」と涙をうかべて、訴えた。

 

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02月26日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年02月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年01月27日(金)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年02月27日 | 東日本大震災ブログ

 

2012年01月27日(金)
 
不都合な電力需給試算をないことにした国家戦略室
 
電力需給:政府今夏試算「6%余裕」伏せる
 毎日新聞 2012年1月23日 2時30分

 今夏の電力需給について「全国で約1割の不足に陥る」と公表した昨夏の政府試算について「供給不足にはならない」という別の未公表のシナリオが政府内に存在したことが、分かった。

 公表した試算は、再生可能エネルギーをほとんど計上しないなど実態を無視した部分が目立つ。現在、原発は54基中49基が停止し、残りの5基も定期検査が控えているため、再稼働がなければ原発ゼロで夏を迎える。関係者からは「供給力を過小評価し、原発再稼働の必要性を強調している」と批判の声が上がっている。

 ◇再生エネ除外、「不足」のみ公表 

公表された試算は、東京電力福島第1原発事故を受け、エネルギー戦略を見直している政府のエネルギー・環境会議が昨年7月にまとめた。過去最高の猛暑だった10年夏の需要と全原発停止という想定で、需要ピーク時に9.2%の供給不足になると試算した。

 この試算とは別に、菅直人首相(当時)が昨年6月下旬、国家戦略室に置いた総理補佐チームに、電力需給の実態把握を指示。経済産業省に対して、発電所ごとの設備容量・稼働可能性、地域ごとの再生可能エネルギーの稼働状況など、試算の根拠データの提出を求め、再試算させた。

 その結果、現在の法律に基づいて電力会社が調達できる再生可能エネルギー容量は759万キロワット(原発約7基分)あったのに、公表された試算は供給ゼロだった。また、一部火力発電所で定期検査による稼働停止時期を猛暑の8月に設定したり、大口契約者への格安電気料金と引き換えに需給逼迫(ひっぱく)時の利用削減を義務づける「需給調整契約」による削減見込みもゼロとしていた。夜間の余剰電力を昼間に利用する「揚水発電」の供給力も低めに設定されていた。

 再生可能エネルギーによる電力供給などを盛り込むシナリオで計算し直すと、電力使用制限令を発動しなくても最大6.0%の余裕があった。再試算は昨年8月にまとまり、菅首相に報告されたが、公開されなかった。

 国家戦略室で同会議を担当する日下部聡・内閣審議官は「国の政策を決定する過程で、後になって『足りませんでした』とは言えない。慎重に堅い数値をまとめた。供給不足を導く意図はなく、昨年11月に公表した対応策で、再生可能エネルギーや火力発電の増強を必要な取り組みに挙げた」と説明する。

 一方、国家戦略室の総理補佐チームで再試算に携わった梶山恵司・富士通総研主任研究員は「電力会社の言い分をまとめた極端な前提に基づく試算。その数字が、原発再稼働を容認する政治家らの発言にもつながった。再試算は菅政権末期の混乱で公表できなかったのではないか」と問題視している。【永山悦子】
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東京都世田谷区は入札で電力購入先を決めることにした
 
“脱東電”電力購入先を入札で
1月23日 17時41分 NHKニュース

原 発事故をきっかけとした電力不足を受けて、東京・世田谷区はことし4月以降に公共施設で使用する電力について、電力自由化に伴って参入が進む事業者も含めて入札で決めることになりました。

世田谷区の電力の購入先は、現在、東京電力1社ですが、原発事故をきっかけとした電力不足を受けて電力供給源の多様化を図ることになりました。規模が大きな施設のうち、区役所の庁舎や区民センター、それに小中学校などの111の施設について電力の自由化に伴って参入が進んでいるPPS=「特定規模電気事業者」も含めて入札で決めます。

 入札は来月下旬に行って、ことし4月1日から来年3月末の1年間、落札した事業者から電力を購入することにしています。対象の施設の電気料金は、年間で合わせて6億7000万円かかっていますが、競争入札を導入することでおよそ3%に当たる2000万円を削減できると見込んでいます。

 また、東京電力が明らかにしていることし4月以降の企業など向けの電気料金の値上げが始まると、削減効果は最大で1億6400万円に上るとみています。世田谷区によりますと、これだけの規模で電力供給源を多様化させるのは東京23区では初めてだということです。世田谷区の保坂展人区長は「電力の供給を1社が独占する今のままの体制で本当にいいのか考えるきっかけとしていきたい」と話していました。

電力の自由化は、各地域の電力会社が独占していた電気事業への参入を緩和したもので、市場原理が働き、電気代の削減や効率的な資源の活用につなげようと平成12年から始まりました。PPS=特定規模電気事業者と呼ばれる民間の事業者が、自前の発電設備で作った電気などを電力会社の送電線を借りて販売することができるようになりました。

 現在では、50キロワット以上の電気を使うビルや学校、店舗などが電力会社や民間の電気事業者から電気を買う相手先を自由に選ぶことができるようになっています。

PPSは送電線の使用やトラブルなどに備えてバックアップを頼むための料金を電力会社に支払っており、設備にトラブルなどがあっても、停電になることはありません。PPSについては、都内だけでも立川市が去年4月から本格的に導入して17%前後の経費を削減させ、これまでに100を超える自治体の視察があったほか、小平市や多摩市がことし3月1日からの導入を決めるなど、「脱東京電力」の動きは広がりを見せています。
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まだ法案がないのに国家予算が下りている原子力安全庁(仮称)
 
新原子力規制組織の謎

一部引用・・

党本部で、政府から、新原子力規制組織の説明を聞く。

あきらかに、原子力ムラの汚物の臭いがぷんぷんする。

最初の資料の最初にこう書いてある。「環境省に、国家行政組織法第三条による独立性の高い外局として、原子力安全庁(仮称)を設置」。

ちょっと読むと、公正取引委員会のような独立性の高い三条委員会をつくるように読めるが、そうではない。単なる環境省の外局なのだ。

そこを突っ込まれて、「三条委員会ではなくて、三条機関です」。こういう誤解をするような書き方をわざとして資料をつくっていることからして、この案はまともではない。

来年度予算の中に、すでにこの新組織の予算が入っている。504億円。

この組織を設置するための法案が国会に提出されていない、つまりこの新組織の内容が決まっていないのに、予算が査定され、要求されているというのは、無茶苦茶だ。

組織の中身が決まっていないのに、どうしてその組織の予算が出せるのか。しかも、新組織の発足は4月1日という。

自公政権が消費者庁を設置した時は、まず、内容を決めて設置法案を臨時国会に提出し、それに基づいて予算を組み、通常国会で予算と法案を成立させて、9月に組織が発足した。

原子力安全庁の他に原子力安全調査委員会なる委員会をつくることになっている。なぜ?

全文はこちら
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落語家 五代目柳家小さんと二・二六事件     

2024年02月26日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

今日は今から88年前の1936年2月26日に、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、

「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件のいわゆる「二・二六事件(ににろくじけん)」が起こった日です。

その1483名の兵の中に上官の命を受け、警視庁襲撃に参加した 五代目 柳家小さん、本名小林盛夫さんがいます。

§  小さんは1915年(大正4年)1月2日、長野市生まれ、東京・浅草育ちで、現在の韓国と同じように徴兵制度のあった

当時の日本のくにたみの義務として兵隊に取られて、髪もないのに事件にかみました。

 当時、柳家小さんは、前座(先代の四代目小さん門下で栗之助と言っていた)だったが、徴兵され麻布の三連隊に入隊したのが昭和11年。

いきなり一兵卒で野中大尉の指揮の下で警視庁の襲撃部隊に加わりました。

『翌日部隊は、決起軍として何大臣だかの官邸を占領したが、その晩上官の一人が、「おい、小林二等兵、お前は落語家だそうだから、

士気を鼓舞するために、何か一席やれっ!」と、命令した。

みんな、どえらいことをしでかした緊張感と、空腹でしょんぼりとしている中で命令となれば仕方がない。

「えー、落語に出て参ります人物はてえと、大抵我々同様で…」と始めたのが、お馴染みの『子ほめ』。

 この噺はくすぐり沢山で、普段寄席でやるとウケる噺なのに、始めから仕舞いまで、誰もクスリとも笑わなかったそうだ。

「面白くないぞッ!」のヤジに、「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから。」と返した。

§  二・二六事件の決起軍は結局、若き昭和天皇の怒りを買い叛乱軍とされ、決起軍は反逆罪で処罰された。

この時、襲撃された大臣や将官の家の警護の警官や憲兵は、かなりの人数が問答無用で各所で決起軍の若い指揮官達に射殺された。

 射殺された彼らの殆どは東北や九州の農家の二、三男だった。

反乱軍となって処刑された将校は自分で自分のクジを引いたと言えるが、柳家小さんの小林盛夫らの二等兵クラスはどうなったか? 

 上官の命令に従っただけで、自分らの何の思想的行動でもなかった彼らは、その後 極秘裏に満州などの激戦の前線部隊に送られ切り込み隊に使われた。

従って兵らの消耗率は高かったと言う。柳家小さんも勿論戦地に送られたうちの一人だった。彼は召集期間を勤め上げ日本へ帰還したが、

暫くすると再召集され今度は仏領インドシナ(現ベトナム)の戦線へだされている。



 § 国を憂えた純粋な若手将校たちは貧しくとも(大尉の一人の父親は慶応高校の英語の教師などで、必ずしも貧しくはなかったが)

漢文の素養もある家庭階層出身が殆どで、宴会の高歌放吟にも漢文調の歌を好んだ。

 しかし柳家小さんこと小林盛夫さんや現場の警官の出身階層からすると「将校さんたちよ、オノレをなんぼのもんとおもてるんや」としか思えないのでは。

本人が純粋に思い込んでいる愛国心や正義感ほど、はた迷惑なもんはないと言うのが、

日々をフツーに暮らしたい下々の者のしみじみの目線から見た二・二六事件への思いだ。

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 私は反乱兵 五代目柳家小さん   音声記録:五代目柳家小さん226事件を語る - DEEPLY JAPAN (goo.ne.jp)

 柳家小さん「226事件を語る」

五代目柳家小さん「穴泥」

 
 
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【自民党裏金問題、課税への不公平感が確定申告を直撃している現実をどうするか!?】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#313

2024年02月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事

【自民党裏金問題、課税への不公平感が確定申告を直撃している現実をどうするか!?】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#313

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