新居浜の太鼓祭り(16~18日) 祭りに大接近の迫力!
愛媛県新居浜市に住む泉谷さんからメールが届きました。
⇒地元の祭りは今年もしっかりやったけんね。心配せいでも力強うまだまだ毎年つづきそうなかい。
以下は彼のメールです。
→初日には地元の氏神である萩岡神社社殿に約15度の坂を100メートルかき上げお祓いをする「宮出し」の神事が毎年ある。
まだ夜も明けきらない午前3時半の花火を合図に約150人のかき夫が一気に上までかき上げるという荒業である。
今年初めて見学したが、かなりむ冷え込み真夜中にもかかわらず祭りのパワーに圧倒された。
本殿に駆け上がる準備中の4台の太鼓台(岸の下、萩生西、萩生東、治良丸)
傾斜15度で100メートルの坂にいよいよ挑んだ瞬間
無事本殿に到着し神主のお祓いを受ける
本殿前で差し上げる雄姿を表現して見せる。
一台約五千万円とも言われ金糸銀糸を使用したこの竜の面の力強さと美しさが特徴
重量は多少違うが約2トン500キロあり120人~150人のカキ夫が操る。
4本のかき棒はほぼ樹齢100年以上の檜を使用され、乾燥期間も1年以上かけたものを使用する。
↑トップの画像
上がりも下りもかき夫の肩だけで全て行うのでバランスが大変そうでした。皆さん肩を痛めながらも支える台車無しで必死に頑張っていた。
宮出しのあとは自部落を回りご祝儀を集める。 我が家の前を通過中。
(上部地区の夜のカキ比べ)
初日の夜は萩生地区だけの9台のかき比べが行われた。 提灯とライトアップで昼間とは違った風情がある。
自部落太鼓台の応援に観客も1000人以上と多かった。
愛媛県は新居浜市の住人泉谷さんからの便りの3回目です。
⇒50cm級のスズキが新鮮で安かったのですが捌くのが大変なので断念した
愛媛県は新居浜市の住人泉谷さんからの便りの2回目です。
⇒丁度、電力会社の高い煙突の向こうが今治のしまなみ海道です
半世紀を越えるお付き合いになった新居浜住人のIさんから恒例の春の便りが来ました。その4です。
【池田池】
新居浜の東の端にありウオーキングに人気のある所。
今は桜に囲まれているが、ここは5月の菖蒲が見ごたえがあり見学者が多い。
5月になると菖蒲の花が一斉に咲き競うので楽しみです。
【新居浜、滝の宮公園】
比較的、町の中心部に近く四季折々に市民に親しまれている
【西条の八堂山公園】
八堂のさくらトンネルは見事です。
毎年、来年も見にこれるかな? と思いながら来ています
天気も良く八堂山から瀬戸内海がよく見えます
八堂山の山ツツジは自然とは言え、コントラストが綺麗です。
別の日ですが、この日は天気も良かったので近くの山に行き、約Ⅰ時間でワラビを採ってきました。
タケノコやフキも店頭に並び出したので一緒に煮つけると美味しいですね。
新型コロナウイルスで世界が大変なことになっています。
こんな体験はお互い初めてでしょうが、せめて感染だけはしない様に
注意したいですね。
兎に角、世界中の経済も政治など、もはやガタガタ状態ですね。
しかし、この混乱に紛れて虎視眈々と他国に対し不穏な動きを考えている国も
あるやに噂されておりお人よしもほどほどにと心配しています。
日本の大勢の政治家や官僚は一体どう舵を切るのでしょう? とても心配だし
難しい局面をうまく切り抜けて欲しいが期待は無理か?
高松出身なるも今や新居浜住人が長いIさんから恒例の春の便りが来ました。その3です。
曹洞宗の瑞應寺を訊ねた。 瑞應寺はやっぱり紅葉が綺麗です。
何の飾りも無く凛とした構えに思わず身の引き締まる場所。
樹齢八百年の銀杏の大木も美しい葉っぱが散り、また厳しい冬を待っているようです
瑞應寺には雲水と呼ばれる修行僧がおられ日夜、修行に励んでいる。
丁度、お会いしたのでご挨拶して許可を頂き撮らせて頂いた。
【山根運動公園】
秋祭りには新居浜の太鼓台全てが集結して豪華絢爛にカキ比べをする場所です。
全太鼓台が集結できる場所はこの山根グラントしかないので市民の見物用の石段
が奥に見えます。
【マイントピア別子】
市民が利用できる温泉を有する。
かつては地下800mの銅鉱石採掘のトロッコの入口付近に建てられた。(道の駅になっている)
坑内に作業者を乗せて運ぶミニ列車のレプリカ
内部には菱刈鉱山で採掘した世界一金含有率が高い金鉱石と太鼓台が
飾ってある
マイントピアの桜。
伊予の国 新居浜の住人Iさんからこんな画像付きのメールが入りました。⇒
昨日、近所の人から立派なタケノコを頂戴したので先日、山から採ってきた
ワラビと一緒に夕食に頂きました。とても美味かったです。
タケノコ、サツマイモ、ジャガイモの天ぷら
手羽の中華揚げ
御馳走さまでした。小生は無類のタケノコ好きなので大満足でございました。
◎タニヤン、うまそなかい!近くなら分けてもらいにとんでいくんやけんど、残念じゃわね!
先日のシゲさんらとの卓戦の結果はどやったん?
高松出身なるも今や新居浜住人が長いIさんから恒例の春の便りが来ました。その2です。
Iさんは阿智胡地亭が新入社員として配属された新居浜工場の同じ課の先輩だった。遊びの付き合いは半世紀を越える。
【新居浜、旧桃山短期大学跡】
樹齢も古く昔から花見の人気のスポット。 今年は飲食を禁止されているので人出も
少なく雰囲気は寂しい。 しかし、桜は例年以上に見ごたえがある
家族や友達、会社の仲間と賑やかにお花見をする風景もなく実に寂しい思いですね。
【広瀬公園】
住友家初代総理人として近代産業育成に貢献した人物でその功績を記念して歴史記念館がある。
国の名勝指定を受けて桜の名勝として知られている
ツツジが色鮮やかで素晴らしいです
結婚式の前撮りに出会いました。 スタッフの皆さんと相談しながら楽しそう。 お幸せに!!
高松出身なるも今や新居浜住人が長いIさんから恒例の春の便りが来ました。
⇒ 新型コロナウイルスで世界が大変なことになっています。
こんな体験はお互い初めてでしょうが、せめて感染だけはしない様に
注意したいですね。
兎に角、世界中の経済も政治など、もはやガタガタ状態ですね。
しかし、この混乱に紛れて虎視眈々と他国に対し不穏な動きを考えている国も
あるやに噂されておりお人よしもほどほどにと心配しています。
日本の大勢の政治家や官僚は一体どう舵を切るのでしょう? とても心配だし
難しい局面をうまく切り抜けて欲しいが期待は無理か?
新居浜の満開予想は3月下旬でしたが昔通りの入学時期になりました。
今年の桜は例年に比べるとピンクが鮮やかで全体的にとても美しいですね。
【栗林公園】
久し振りに訪れたがやっぱり桜に比べると松が立派さが目につきますね。
松平藩主の庭園は舟遊びが似合います
橋の下ギリギリを通り抜けて船隠し場に向かう
香川大学卒業のお嬢さん達がいろいろ位置を変えて記念写真をしていた
恐らくコロナウイルス問題で海外の卒業旅行は断念したと思われます。
高松出身ながら間もなく新居浜在住生活が60年になる旧友のIさんからの第2報です。
⇒2019年から大規模の改修工事中の道後温泉に行ってきました。 7年間かかります。
日本最古の温泉として知られ聖徳太子や皇族、古今の著名人が利用との記録があります。
明治27年に三層構造として建設され三階に夏目漱石の【坊ちゃんの間】があり現在も打ち鳴らす刻太鼓
が知られている。 本館東棟は皇室専用の浴室「又神殿」がある。
観光客が子供と一緒に人力車を楽しんでいました
本館の全景。 後方の工事用建物が規模の大きさを示している
「千と千尋の神隠し」のモデルと言われた道後温泉は年間約100万人が利用しています
工事中でも一階の神の湯は営業しています。 仮の入口は本館横にあります
正岡子規の銅像がからくり時計広場のすぐ横にあります。
松山生まれで明治16年に上京、東京大学予備門、帝国大学文化大に進学し夏目漱石、高浜虚子らと
親交が厚く、特にベースボールに熱中し野球ルールを紹介し普及に尽力した。 子規没後100年にあたる
平成14年に野球殿堂入りを果たした。
子規記念博物館
伊予鉄道の道後温泉駅。 明治時代の雰囲気ある建物。
夏目漱石も実際に乗車したマッチ箱のような坊ちゃん列車が待機していた
道後温泉近くにある「からくり時計。 定刻になると下部が一m突然せり上がる工夫をしている
定時になると小説「坊ちゃん」に登場するマドンナや赤シャツなどのキャラクター
が現れ軽快に動く。 観光客はこれを楽しみにしています。
下の写真と上の写真の違いをように見てんよ。
新型コロナウイルスがオオゴトになっていますね。 お互いに十分注意しましょう。
シゲさんが白内障の手術を13日にして無事成功したので3月には快気祝い
と称して卓戦の予定です。
新居浜住人のIさんとは1966年の初夏に初めて愛媛県新居浜市にある工場で顔を合わせてから、もう54年の歳月を閲する時間が流れました。
⇒阿智胡地亭さん
しばらくご無沙汰してました。
ツクシが採れましたので田舎の春の便りをお届けします。
タケノコもこれからボチボチ店頭に並ぶと思いますが、ワラビとタケノコ
の煮つけは大好きなので今から楽しみです。
毎年ツクシも少なくなっています。 以前のように群生しておりません。
時代とともに雑草が増えたり農薬も関係がありそうです。
明日はツクシの卵とじを季節を味わいながら頂きます
一の谷は、四国山脈1,600mの山塊に囲い繞されたる吉野川奥支流第一の幽谷なり。
其の名は遠く源平の昔郡書に記されし鵯超の故戦史を偲ばしむるも故無き非ず。
則ち寿永の昔、屋島に敗れし平家の落人平家平の陣道を下りて此の渓に隠棲せり口碑に傅うる処なり。
其の中に有りし武者山内下七郎及び妻お芳に関わる口伝は弓引場踏詰めの石に残れり亦何時の頃かの合戦に矢数尽きて命脈窮まれる折、芳女咄嗟の機転に天井に貯え置し楮殻を板敷に投落し、其の音に矢数なお無尽の如く寄手の兵共を欺きて以て危急を遁れしことあり眩き走る敵兵の棄て去りし赤鞘数知れず、その語り歳と共に転じてさわだの地名となり今もこの渓に残る也平家武者七人首塚と称する蹟も在り。
遙けき平安の昔源平二氏が興亡盛衰の世を偲びて思弥深からしむ。