聞き語りをまとめた本のせいか読み易く、図書館から借りてきた日に4時間ほどで読み終えた。
この本は倉本聰の伝記でもあるが日本のテレビドラマ史でもある。
ドラマ制作の過程で起きた数々の事象で、ここまで実名を挙げて具体的に書いていいのかという箇所も多く
迷惑を感じる関係者も多いだろう。
読んで思ったが自分は本当にテレビドラマには疎い人間だった。「北の国から」だけはたまに見てドラマの存在は
知っていたが、かれが描いたドラマがTVで放映された時期は、自分はその時間帯には居酒屋か麻雀屋にいた。
好きな沢村貞子さんや八千草薫さんの名などがたびたび登場する。笠智衆さんの名も大竹しのぶさん、桃井かおりさん、いしだあゆみさんの名も。
彼は俳優をイメージしてドラマを書く人だったのだ。
彼は言う「最近のテレビドラマには奥行も幅もなくなって表面的なものが多くなった」。自分が感じることを他にも多々述べている。
周囲への、また視聴率への忖度はあまりなく、局側と戦ってつぶされずに わが人生を創ってきた人。倉本聰は生涯戦う男でもある。
かれは人間好きでまわりに仲間を作っていった。そして卒業した麻布中高の人脈も彼の人生に大いに資しているのが現実的で面白い。
タレントと役者の違いなど目からウロコの発言も多く、登場する俳優やタレントもまた多彩で、この本は日本のラジオテレビ映画の歴史に欠かせない書物になるだろう。
同業脚本家の山田太一さんの名は登場するが、私の敬愛する向田邦子さんが登場しないのはちと寂しく、何故だろうと思った。
内容説明
『やすらぎの郷』、『北の国から』、『前略おふくろ様』…テレビドラマ界に数々の金字塔を打ち立てた巨人、脚本家・倉本聰が83歳で書き上げた最新作『やすらぎの刻~道』まで
すべてを語り尽くす。大河ドラマ降板の真相は?あの大物俳優たちとの関係は?テレビ局内の生々しいエピソード、骨太なドラマ論、人生観―愛弟子だからこそ聞き出せた破天荒な15の「遺言」。
目次
常に怒りのパッションを持っていないと
原点から学ぶってことが必要
10年ぐらいの修業を経ないと絶対続かない
歴史というのは地続きだ
利害関係のあるやつばっかりと付き合うな
頭の上がらない存在はいた方がいい
都会で競ってる知識なんてなんの役にも立たない
「棄民の時代」から目を背けない
何かを創造するというのは命懸け
夢の鍵を忘れるな
店に入ったら壁を背にして座る
あえて重いテーマをずばりと掘り下げる
美は利害関係があってはならない
“これが最後”という覚悟がいい仕事を生む
神さまが書かせてくれている間は書き続ける
著者等紹介
倉本聰[クラモトソウ]
1935(昭和10)年東京都生まれ。麻布高校卒、東京大学文学部美学科卒。脚本家。劇作家。主な作品に『前略おふくろ様』、『北の国から』シリーズ、『やすらぎの郷』など
碓井広義[ウスイヒロヨシ]
1955(昭和30)年長野県生まれ。上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
一部引用・・青や緑、黄色とカラフルな魚や、頭から足まで各部位が余すことなく並べられた豚肉――。沖縄県の珍しい食材がその場で味わえ、レトロ感漂う南国情緒を満喫できる場所として、長く親しまれてきた第一牧志公設市場(那覇市松尾)が建て替えのため、6月16日を最後に現在の場所での営業を終える。
市場の始まりは終戦から間もない1950年。「県民の台所」から近年は一大観光スポットへとその役割を変えつつ、本土復帰(72年)など沖縄の戦後とともに歩んできた。市場には連日、国内外から多くの観光客が訪れ、沖縄の独自の食文化に触れている。営業休止まで半月余りと迫る中、沖縄を訪れる機会があれば、立ち寄ってみるのもおすすめだ。【岸慶太】
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— achikochitei (@achikochitei1) 2019年5月31日
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幼稚園に通うには商店街の中も通る
図書館の帰りの途中にあるお寺から☟ このお寺に併設されている保育園に二人の孫がそれぞれ6年間お世話になった。
帰りの道筋にあるザクロの木に花がつきだした
千葉県民の「関所」、錦糸町の変化は止まらない? 交通の利便性は抜群、地下鉄延伸計画もある | 駅・再開発 - 東洋経済オンライン https://t.co/74EdC0RfEW #東洋経済オンライン @Toyokeizaiさんから
— achikochitei (@achikochitei1) 2019年5月29日
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彼らは最近、年に2回新百合ヶ丘で定期的に集まるようになった。
会員二人が住む新百合ヶ丘の「梅の花」が定例会場だ。5月某日神戸に住む会員が上京した日を選んで7人が新百合ヶ丘に集まった。
当日のメニュー 後期高齢者には健康的な内容だ
それぞれの近況を興味深く聞き、また思いがけない話のご披露などもあって、年月の風化は勤め人生活で身に着けていた鎧の紐を一人一人解いていく。
いつもようにピータンから。この店のピータンは旨い。
イカとセロリの炒め物
鶏唐揚げ特製ソース掛け つまりは油淋鶏だ
最後はアサリと小柱のガーリックチャーハン 初めてオーダーしたが絶品!
夢蘭から10数分のウォーキングで帰宅する。
兄ちゃんたちが時々家で身長を計ってもらい
計った数字と月日を柱に書いてもらうのをのを見てきた女児
本人:ママ~ 私も計って~!
と柱に背中をつけて立っている。
母親:はいは~い! 計ろうとした母親が、あれっ!と足元を見ると
思い切り背伸びをしていました!!!
ちなみに最近自分で着る服を選び始めた女児は選んだカーディガンを
自分で着ていたのですが、よく見るとタグが(笑)
一部引用・・ジャーナリズムの先達は戦後の日本と寄り添って多くの会見記を残し、天皇の代替わりの時に逝った。
東京・丸の内の日本外国特派員協会で5月16日夕、バーナード・クリッシャー氏を偲ぶ会が催された。かつての日本に駐在する外国人記者の間で「ミスター・ジャパン」と呼ばれ、赴任したら「クリッシャーに会いに行け」と言われたジャーナリスト。昭和天皇に単独インタビューした米国人記者といえば、覚えている人もいるだろう。
東京の自宅で気分が悪くなり、3月5日に心不全で死亡したクリッシャー氏の訃報は、米国ニューヨークでの葬儀が終わった後の3月18日、カンボジア・デイリーが配信した。1993年に同氏が創刊した日刊紙は同国政府の圧力で17年9月に印刷から撤退したもののウエブでの発信を続けている。
昭和天皇と単独会見した伝説のジャーナリスト、バーナード・クリッシャーを悼む https://t.co/8onUkvQ74X
— achikochitei (@achikochitei1) 2019年5月24日
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一部引用・・福島第一原子力発電所事故後、風評被害の払拭や福島県の復興PRのために、国や県から広告代理店「電通」に支払われた金額が240億円にのぼることが、雑誌「たぁくらたぁ」編集部による情報公開で分かった。福島県産農産物の情報発信に66億円。環境省が除染や中間貯蔵施設等に関する広報活動に支払った金額は120億円を上回った。
調査を行ったのは、長野県でミニコミ機関紙「たぁくらたぁ」を発行している野池元基さん。原発事故後の復興PRのために、国や福島県が電通と結んだ契約を調べたところ、2011年から2018年までの7年間に、240億円もの費用を支払っていた。この金額は、福島中央テレビ(日本テレビ系)や福島テレビ(フジテレビ系)の4年分の売り上げに匹敵する。
原発事故後の復興PRに240億円〜電通1社で | OurPlanet-TV:特定非営利活動法人 アワープラネット・ティービー https://t.co/DzxLkX8vpj
— achikochitei (@achikochitei1) 2019年5月24日
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神戸の学生時代からの友人に阿智胡地亭の引っ越し先の街に住む、彼の親しい知人Sさんを1年ほど前に紹介してもらった。
偶然ながらSさんのお孫さんと自分の孫が同じ幼稚園と小学校に通っていて既に孫同士は仲良しだった(笑)。不思議なことで有難いことだ。
そのSさんから教えてもらったバーは開店早々のバーだった。今回マスターに聞くとオープンして今月で7カ月だとのこと。
2杯共にモルトのロックにした。マスターお薦めの初めてのラベルのモルトは美味しかった。