阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

夕日を見送る               

2022年12月31日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

犬のタロウも一緒に一年を見送る一家。1986年当時、茨城県北相馬郡藤代町にて。

今年もご訪問ありがとうございました。皆様にとって来年がいいお年でありますように。

画© M・M

                  2006年12月31日掲載

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昭和50年代の海外あちこち記   その7      ニューオーリンズ篇  アメリカへ初めての水平引き込み式クレーンの輸出

2022年12月31日 | 昭和50年代の海外あちこち記

1978年と1980年の2回 アメリカのニューオーリンズに行きました。

 ミシシッピイ川河口で、上流からハシケで運ばれるカオリン(お白粉などの原料)を本船に積み替えるのに旋回式水平引込みバケットクレーンが最適ということで、

色々な経緯がありましたが受注が決まり、河口の真ん中に基礎を打ち、その上に日本製のクレーンが設置されることになりました。

水平引き込み式クレーンのアメリカへの輸出はこれが初めてでした。

☟(富山県伏木港へ納入された同型の旋回式水平引込み式クレーン。 アメリカ納入機には車輪はなく固定式で、ロープの先端に大型バケットをつけた。

(旋回式クレーンは上部全体が360度旋回する。

 愛媛県の工場の岸壁から 上部と下部に分けて組み立てしたクレーンを台船に乗せ、高馬力の曳船で太平洋を渡り、パナマ運河を通り、

メキシコ湾に入りサイトの近くまで辿り着いたとき、折あしくハリケーンが近付きタンパ港へ緊急避難するなど紆余曲折がありましたが、

無事クレーンを載せた 曳船に引かれた台船は太平洋を押し渡りミッシッピー河口に到着しました。

そして吊上げ工事も完了し、うまく所期の機能を発揮しお客さんに喜ばれました。

 以下の体験は海上輸送や現地工事の前の、注文が決まった前後の時期のことです。

発注内示後の契約条件の交渉をする場所は、お客さんの本社があるニューオーリンズでした。

  ニューオーリンズの街

 街はミシシッピー河口に位置するせいか、市中はかなり湿度が高く、空港について冷房の効いた飛行機から機外に出ると、

あっというまに眼鏡が白く曇り何もみえなくなりました。 湿度が高い上にホテルの冷房の具合も悪く、下着を洗濯して部屋に吊るしても殆ど乾かず、まいりました。

 郊外に車で出ると木々のどの枝にも高温高湿のせいで地衣類が着き、長い毛をたらしていて何となく不気味でした。

昭和30年代の始め頃、この町に来たことがある亡父の アメリカ土産の中にあった絵葉書を見て、気味が悪かったので覚えており、

その地衣類の実物を自分の目でもみることになり、親子2代でニューオーリンズに来ることになったのも不思議なことでした。

「欲望という名の電車」という芝居の舞台となった町で、当時も路面電車が走っており昔フランスの植民地だった頃の

コロニアル形式の今はペンキも剥げかけた木造の家並みが、森の中にけだるく幽霊のように立っていました。繁栄時から時が経ち、時代に取り残された町がここにもありました。


 ジャズとフレンチクオーターとナマズ料理

 ニューオーリンズと言えばジャズです。もちろん土曜日、日曜日は出張チームのみんなでフレンチクオーターに繰り出し、遅くまでジャズを楽しみました。

 

そして名物料理はナマズ料理と言う話です。夜が来るのが楽しみでした。

まあ刺し身は無理としても焼き物、煮物などどういうふうにやっつけてくれるのか。土地で有名なレストランに入り、

バドワイザーを飲みながら待つこと暫し、出てきたのはナマズのフィッシュボールの揚げ物が皿にどさりでした。

 

 やはりそこはアメリカでした。フライドボールの山を前にして一人ため息をつきました。おいしかったけど「洗鱠」や「鯉こくならぬ鯰こく」を想像したのが間違いでした。

期待が大きかっただけに落胆の度合いが大きかったです。

 南部という土地柄を感じた

あのじとっとした空気の中で北部のニューヨークと違って、何となく去勢されたような黒人が遠慮がちに町を歩いていました。

本屋でもプレイボーイなどの雑誌が置いてある一角にはロープが張ってあり黒人は入れないようにしてありました。

白人女性のヌード写真は彼らには見せないということだったのでしょう。

 

先日テレビの深夜放送で、シドニーポワチエが主演した「夜の熱気の中で」という映画を20数年ぶりに懐かしく見ました。

南部の町に別件捜査に来たNYの黒人刑事が殺人事件に巻き込まれ、偏見の目の中で地元の署長にも反発されながら、

事件を解決して去っていくという流れ者ヒーロー西部劇を当時の南部に置き換えた映画です。つい終わりまで見てしまいながら、

南部と北部での黒人系の人達の意識の差や白人系住民の彼らの扱いの差を、通り過ぎのよそ者ながら感じたことを、あのニューオリンズの出張の記憶と共に思い出しました。

 頭では、差別はよくないと思っていても、夜 ニューヨークで(当時  ニューヨークの今は崩壊してなくなったOneワールドトレードセンタービルに

会社のニューヨーク支店があり、アメリカ出張の時には必ず寄っていた)一人で飯を食いに行きホテルまで帰る道すがら、

ビルの間で目だけが白く光って見える黒人にじっと見られた時の気味の悪さは、理屈ではなく体がすくみました。

アメリカという国は日本と違って大変な幅の人間を含んで成り立っているんだなと、その大変さをつくづく思います。

それと同時に、映画や小説に出てくる少数民族の扱いが変わって来ているように、少なくとも表向きは公平性を拡大していることにも凄い連中やなあとも思います。

 (2002年頃メールで友人知人に発信)    (画像は全てネットから借用。当時、阿智胡地亭が撮影した写真ではありません。)

 

 

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ハイビジョン特集 日本のいちばん長い夏 NHK・BShi 2010年7月31日を見た。

2022年12月31日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年07月31日(土) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載

NHKのサイトから引用。

ハイビジョン特集 日本のいちばん長い夏
NHK・BShi 7月31日(土) 午後8:00~9:50

東京オリンピックを翌年に控え、高度経済成長のただ中にあった昭和38年、東京銀座の料亭に28人が集まった。終戦を語る座談会が開かれたのである。

集まったのは、終戦当時、政府の中枢にいた迫水久常、鈴木一、松本俊一、池田純久、ソ連大使・佐藤尚武、スウェーデン公使・岡本季正、海軍の富岡定俊

、陸軍の今村均、荒尾興功、一兵卒だった大岡昇平、扇谷正造、岡部冬彦、会田雄次、池部良、そして徳川夢声などそうそうたるメンバーだった。

彼らの話から、ポツダム宣言発表後もソ連仲介の和平工作に期待をかけた中枢、本土決戦の完遂を主張し続けた陸軍、空襲下の市民生活や飢餓にあえぐ前線、

「聖断」による終戦など、昭和20年の“長い夏”が多面的に浮かび上がってくる。

番組では、この座談会を企画した作家・半藤一利氏(当時「文藝春秋」編集者)の証言なども交えて、この座談会をドラマ化する。

演じるのは、田原総一朗、鳥越俊太郎、市川森一、島田雅彦、山本益博、林望、青島健太、湯浅卓、中村伊知哉、富野由悠季、江川達也、立川らく朝、松平定知など現代の文化人。

座談会で出席者それぞれが語った生々しい発言を再現し、戦争体験を語り継ぐことの大切さを伝える。

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12月30日に目に留まったSNS・メディアの記事

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錦糸町の「焼き鳥 永ちゃん」で食べた焼き鳥丼は望外の旨さだった。

2022年12月30日 | 食べる飲む

某日雷おこしの買物があったので錦糸町に出た。買い物の前に昼食にすることにして、相方が事前にネットで調べていた「焼き鳥 永ちゃん」に向った。

店まではそれなりの距離があった。時分時を過ぎていたので他のお客さんは一人だけだった。

メニューの一番先に書いてある「焼き鳥丼」を頼んだ。

材料よし、タレよし、焼き方よし。大満足だった。芋焼酎のお湯割りを頼んだら、ご主人から旨い「イカの塩辛」をサービスで出してもらった。

何とも旨い塩辛だった。芋焼酎のお湯割りも一層おいしくなった。しかも小ハンバーグも二つサービスで・・。

 正直こんな「イカの塩辛」を出せる店なら夜も酒を飲みに来たいと本気で思った。

初見の我々二人へのお店の家族の対応から、店がやっていけるかどうかは、お客に来てもらってなんぼの気持ちでお店の人がやっているんだなと感じた。

 店を出る時に、つい 大満足でしたョと声をかけてしまったら お店の3人のにっこり笑顔が帰って来た。

店を出てから この間、買って本当においしかった雷おこしの店に向った。

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パン2斤をトリ合うトリたちは真剣そのもの  船橋からの便り         13年前の今日2009年12月30日の本ブログに掲載

2022年12月30日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

よく熟して食べごろのピラカンサスの収奪戦が短時間で終わった翌日、船橋のトリスキー・ブレッドスロアさんの家のベランダの外で、窓が開くのをいまかいまかとトリたちが待っていたそうです。

そのバトルぶりを船橋社中の社主さんから送って頂きました。

☞「トリどうしで目と目が合っているのが、迫力あります。正に、鳥たちの、えさトリ合戦です。

スズメは、毎日、枝にすずなりになります。ヒヨもパンを求めて、護衛をしながら、パンをキャッチです。

ピラカンサスが食べつくされた木で、毎日パン取り合戦です。戦国時代です。

 スズメが羽を広げると、大きく羽ばたくのですね。可愛い上に、真剣さが伝わります。昨日は、まわりにスズメがどっといて、

真ん中にヒヨがいたそうですが、一瞬の事です。先ほど、2斤のパンを買ってきました。モデル代をあげなくてはね。

ムクも団体、そこへカラスにハトが来ます。ハトは、図々しく、手すりに止まってパンよこせと注文します。見ていると結構 楽しいです。」

 ♪緊迫した空気が画面に張り付いています。野鳥にとってはやはり、12月から3月くらいまでは食物探しに死に物狂いの時期なんだと思いました。

パンのつぶてが窓から飛び出してくるトリスキーさんちのベランダの周辺は、どのトリたちにとってもありがたいエサ場なんですね。

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「昭和の仕事」と言う本が示す日本人のある階層の歴史 

2022年12月30日 | 乱読は楽しい
2010年07月17日(土) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載
書評を読んで、自分が小学校の下級生時代を過ごした北九州の戦後も描かれているらしいと思って買った。
 
元手のない人間がそれでも生きていくために、身体一つを使って働く。
 
それは江戸のもっと昔からやってきた仕事でもあり、それらの仕事は昭和の30年代まで残っていた。

 その仕事の120種類くらいについた人にインタビューした内容が主になっている。

なぜその仕事、職種が、日本の社会から消えていったのかを考えるよすがになる本だ。

なんとまあ沢山の手仕事が世の中から消えていったものよとびっくりする。

江戸には坂の下でたむろしていて、大きな荷車がくるとそれを坂の上まで後押しをして駄賃をもらう「立ちんぼウ」というのがいたと、落語で知った。

そのような類の仕事?手間仕事で日々を過ごすしかなかった人間が昔の都会には一杯いたのだ。

 著者の分析は思ったより表面的で、文章も紋切り型の表現が多く、おいおい学生の作文では無いんだけどと思う箇所が多いが、あまり類書がないせいかそれなりに面白い。

決して表の歴史に記録されることがない、無名の人たちの暮らしを、文字に残すと言う史料価値がある本ではある。

54頁から引用

高木語録③『人夫は死に潔い』

「人夫は死というものに潔いよいといったほうがいいかもしれませんね。自分が働けなくなったときは、ちょうど、お迎えが来ると信じているところがあります。

うまいこと年をとってくると体が動かないものですから、案外事故に遭う。病気で死ぬとか、うまいことお迎えが来るのです。急死するんですね。

ルンペンにしろ放浪やっている人にしろ、あの人たちはちょうどいいときにお迎えが来て、適当なところで死ぬんです」

本の内容紹介(webから):

戦後、高度経済成長を経験した「昭和」という時代から学ぶことは多い。著者が注目したのは忘れられた仕事の実態である。

担ぎ屋、唄い屋、三助、隠坊、木地師、ねこぼくや、羅宇屋(らうや)、ポンせんべい屋、よなげや、香具師、門付け、蛇取り師、カンジンどん、まっぽしさん……。

戦後引き揚げ者でもあるひとりの放浪詩人高木護の聞き書きを柱として、生きるためにやってきた仕事、さらに各地で細々と続いている職人仕事なども含めて、

そこから見えてくるほんとうの豊かさと貧しさ、そして人はなぜ働くのか、その根源的な意味を問いかける。

ーーーーーーーー

 
 この一冊には140種類以上の「昭和の仕事」が紹介されている。
 NHK朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』は本書の主人公である高木護氏が食(職ではない)を求めて放浪した時代と重なる。
その職は紙芝居や貸本屋などになるが、信じられない貧困、貧困というよりも飢餓から脱出するための術が紹介されている。
驚く事に、高木護氏は食う術を失い、乞食に弟子入りしているのである。乞食には乞食の道があるという。

 伝説のフォークシンガー高田渡の『相子』の作詞をしたのが高木護氏と分かって二度驚くが、氏の職業人生は放浪人生となる。
 その高木護の言葉。
《運がよくて二人分稼げるようになれば、稼げない人に廻さなければいけませんね》
 その高木氏の酒場での写真が載っているが、「焼酎一杯飲むことの何たる幸せなことか」というキャプションに当方も思わず頬がゆるむが、
平成の大不況など足もとにも及ばない飢餓の世界がつい数十年前の日本の姿であったことを覚えている日本人が少なくなってきている。
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12月29日に目に留まったSNS・メディアの記事

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ビリヤニを食べてから「東京大神宮」を経由してJR飯田橋駅の西口に向かった。

2022年12月29日 | 東京あちこち

パキスタン料理店にはJR飯田橋駅の東口から行ったが、帰りは腹ごなしに坂を上る西口に向った。坂の途中に「東京大神宮」がある。

若い女性がひっきりなしに入っていくので境内に上がってみた。

大きな会館があって結婚式場や宿泊設備もあり 何となくビジネス神社のかほりが漂うのを感じた。

自らの神社名に「大」をつける神経はいかがなものかと神社の由来を帰宅して調べたら

やはり明治の国家神道の流れの中から作られた明治に出来た新しいものだった。

だから東京大神宮はこの土地の氏神さまでも産土(うぶすな)神社でもない。そのせいか日本のあちこちにある古代からの「やしろ」や「神さびた」という空気の神社ではなかった。

しかし首都の真ん中の利便な立地のおかげもあって多数の参拝者に恵まれていて、あらめて今自分は人口集積地・東京エリアにいるんだと感じ入った。

 そしてこの神社が会館方式の神前結婚式場を日本で初めて設けた神社で、別途伊勢神宮の東京出張所の役割を担っていることも知った。

JR飯田橋駅の西口のビルで一休みしてから帰宅した。西口の商業ビルの上から見た中央総武線と外堀。

 

 

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世相川柳の破壊力は凄い!

2022年12月29日 | 俳句、川柳

2010年07月13日(火)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

「良さそうな奴がワル」わが父語録      東京 新橋裏通り

原発に反対しつつ家電増え          神戸 西郷隆雄

職人を気取る頑固なだけの人         八尾 立地骨炎

走攻守三つ揃った妻の口           蓮田 谷和也

一兵卒、一兵卒と偉そうに          千葉 姫野泰之

この薬ほどは助けにならぬ夫         神戸 触太鼓

墓までの秘密はワシも二つ三つ        大分 春野小川

政治家に政治検定受けさせたい        倉敷 中路修平

外人が外人に勝つ国技館           橿原 大和三山

孫の靴サイズ半分値段倍           神戸 西郷隆雄

民放のようになっても受信料                        近江八幡 日なた猫

根気ない国民性と思われそ                            中間 西幸子

兵役も飢えも知らずに終われそう                 東京 焦点外

何屋だろ?スーパーメディアクリエーター   川越 麦そよぐ

なんとまあ江戸の人だよベートーベン         相模原 水野タケシ

タレントが離婚したからなんなのよ             静岡 寺田ハンナ

あのレベル選んだ人もそのレベル               尼崎 にしやん

文字化けのような寝言を妻は言い              新潟 橋立英樹

わがままを君は言い張る正直と                さいたま 火星落花生

タレントを集め騒ぐなNHK                    蓮田 はんなりや

夫って考えたなら他人だし                      米沢 佐藤陽子

  =いずれも毎日新聞web「万能川柳」から=

 

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NHKの100分で名著「中井久夫スペシャル」で、中井久夫さんの学識の大きさ広さ深さをあらためて知った。第4回は2023年1月9日再放送

2022年12月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事

内容紹介の全文はこちら

 一部引用

治療困難とされてきた統合失調症の解明、阪神淡路大震災被災者のPTSDのケア、精神科看護師の育成等々に取り組み、人々の苦しみに徹底的に寄り添い続けた「こころの医師」がいます。中井久夫(1934-2022)。日本を代表する精神科医です。中井は、私たちが見過ごしがちな「心の問題」「人間の本質」を、単なる学術的なアプローチだけではなく、私たち一般人にも深く響く瑞々しい言葉を使って縦横に論じてきましたが、この8月に惜しまれつつ世を去りました。番組では、彼の代表作「最終講義」「分裂病と人類」「治療文化論」「戦争と平和 ある観察」「『昭和』を送る」等を読み解き、「私たちにとって心の病とは何か?」「私たちが社会の中に生きる意味とは?」「人が再生していくには何が必要か?」といった問題をあらためて見つめなおします。

中井久夫は当初ウィルス学を志すが研究体制に疑問を感じて精神医学へ転身。当時治療法が確立されておらず、治療困難とされていた統合失調症の症例と運命的な出会いをします。「時系列でグラフ化する」というウィルス研究時に培った方法を使うことで、これまで誰も注目しなかった寛解過程の中に、治療に向けてのいくつもの重要なファクターを発見。「風景構成法」など治療効果をもつ検査法を構築し、患者-医師間の関係を大きく改善していきました。そんな経験を踏まえて中井が執筆した著作の数々は、結果的に独創的な「文化論」「人間論」ともなっており、専門家の領域を超えて一般の多くの人たちが「自らの心の問題と向き合うための名著」として読み継がれています。

それだけではありません。中井久夫は、鋭い知性と深い教養を武器に「病の意味」「文化の役割」「戦争と平和」等のテーマについて精神科医としての観点から考察を続け画期的な著作を執筆していきます。中井の著作は、価値観がゆらぐ現代にあって、私たちが「人間とは何か」「時代とは何か」を見つめなおすための大きなヒントを与えてくれるのです。

番組では斎藤環さん(筑波大学教授・精神科医)を指南役として招き、中井久夫が追究し続けた独自の精神医学やその応用研究を分り易く解説。彼の代表作に現代の視点から光を当てなおし、そこにこめられた【人間論】や【文化論】【平和論】など、現代の私達にも通じるメッセージを読み解いていきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第4回は2023年1月9日に再放送があります。

第4回 精神科医が読み解く「昭和」と「戦争」 ~「『昭和』を送る」「戦争と平和 ある観察」~

【放送時間】

2022年12月26日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

【再放送】

2022年12月27日(火)午前5時30分~5時55分/Eテレ

2022年1月9日(月)午後1時5分~1時30分/Eテレ

※放送時間は変更される場合があります

【指南役】斎藤環…筑波大学教授。精神科医。著書に『世界が土曜の夜の夢なら』、『オープンダイアローグとは何か』など。

【朗読】寺田農(俳優)

【語り】小口貴子

なぜ人は戦争をするのか? なぜ平和は長続きしないのか? 敗戦のとき小学校6年生だった中井久夫が、「戦争の切れ端を知る者」として書いた文章が

「戦争と平和 ある観察」だ。

戦争は「過程」であり、平和は「状態」であるという、精神科医としての経験を踏まえた鋭い洞察。

それは、語りやすい戦争に対して、平和を維持していくための言説には並々ならぬ努力が必要だということを深く示唆してくれる。

第四回は、精神科医としての透徹したまなざしを通して、全く新しい角度から「戦争と平和」の様相を照らし出す

更に、日本にとって激動の時代だった「昭和」という時代がどんなものだったかを克明に浮かび上がらせる。

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飯田橋のパキスタンレストラン「スルターン」で「ビリヤニ」と「ニハリ」を堪能した。

2022年12月28日 | 食べる飲む

某日 飯田橋の「スルターン」という店にちょっとランチタイムをずらして午後一時過ぎにビリヤニを食べに行った。

先ずジントニックを頼んだらパリパリ煎餅「パ-パル(パパド)」をツマミに出してくれた。適度に塩味が効きスパイス数種の味がする。

チキンビリヤニは当然インディカ米で(ねばりのあるジャポニカ米ではなく)インド米のスパイス豊富な炊き込みご飯はやっぱりうまい。

ニハリがメニューにある店は滅多にない。ラム肉を柔らかくなるまで煮込んであってスパイスが効いていて

スープの最後まで食べきった。  ニハリ:マトンの骨付きすね肉の煮込みカレー

店はランチの一人客が多かったが 老夫婦が来店し「ニハリ」や「ビリヤニ」をオーダーしたので不思議に思ったのか

パキスタン人のオーナーが席に来てしばらく話し込んだ。

話によると(彼の日本語の発音もアクセントも完璧だった)37年前にパキスタンから来日、しばらく会社勤めをしたが20年前にこの店を開いたそうだ。

 コロナ禍でもビリヤニを目指すなどの来客はあり 以前のほぼ80%まで来客数は戻ったと。

「来日当初、小岩や市川などに住んだのであの辺りは住みやすいところと知っている。総武線なら近いからまた時々店に来て下さい。」

二人とも何も残さず全てを奇麗に腹中に納め この店にはまた来ることになりそうだね、と話しながら店を出た。

 

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2010年7月 民族学者 「梅棹忠夫さん」が亡くなった

2022年12月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年07月09日(金)  「阿智胡地亭の非日乗」掲載

高校生の頃、中尾佐助さんが書いた「秘境ブータン」という本を読んで、ブータン人は丹前によく似た衣服を身につけ

注連縄を張って結界にし、弓を引くことが国民共通の楽しみなどを知って親しみを持った。

 それから日本だけではなく、日本とそれ以外の国や地域のことに急激に興味を持つようになった。

その頃に梅棹忠夫さんの「文明の生態史観」を読んだ。

西洋と日本の文明はどちらが進化している、していないではなく、平行に進んでいるという考え方は、開国以来、西洋に追いつけ追い越せで、

何となく日本は遅れているという考えからすると、新鮮でまことに嬉しかった。

それから彼の「知的生産の技術」という本も衝撃的だった。

生産はモノのことと思い込んでいるところへ、実は眼に見えない知的活動のアウトプットに、やり方次第で大いに生産性の差がある、という発想はこれまた新鮮で驚いた。

どちらの本ももう内容は殆ど覚えていないが、10代の終わりに、この本を通じて日本に「梅棹忠夫」という、独創によって立つ人間がいるということを知った。

彼が千里の「国立民族学博物館」を彼の一派の連中と作ってくれたのは、言葉を操るだけの学者ではなく、実践としての学問をやってきた学者の証明だと思う。

 1920年(大正9年)生まれ、享年90歳。

彼の前に梅棹なく、彼のあとに梅棹なし。自分が生きている同時代にこの人を持っていた幸せに感謝します。合掌。

Wikipedia梅棹忠夫

朝日新聞web「天声人語」2010年7月9日から引用

 「知のデパート」の静かなる閉店である。享年90。民族学者の梅棹(うめさお)忠夫さんが老衰のため亡くなった。

生態学から文明批評へ、究めた領域と足跡は理系文系の垣を越えて広がる。そしてどの「売り場」も千客万来だった

▼本人を前に、哲学者の鶴見俊輔さんが先見性をたたえたことがある。「過去50年については、私の知る限りで最もよく当たった人です」と。

〈情報産業〉なる造語で今日を見通したのは半世紀近く前。国家を語っても、女性や日本語を論じても眼識は鋭かった

▼「本というのは、しょせん誰かが先に言ったことが書いてあるだけ」と、文献より実地調査を重んじた。世界を歩き回り、自らの耳目で紡いだ新説は独創にあふれ、

時の常識を覆しもする。「梅棹学」の真骨頂だろう

▼欧米への劣等感がくすぶる時代に、ユーラシア大陸の端という共通点から、日欧の文明を対等に論じた。

日本を特殊視する欧米人には「こんな事例は世界史にいくらもある」と反論し、返す刀で優越に浸る日本人を戒めた

▼米国から名高い社会学者が訪れた時である。日本の学者はみな英語で話すのに、梅棹さんだけ通訳を介した。

いぶかるゲストに「私の考えは、私の英語で話すにはデリケートすぎる」。楽しい会話は後輩たちを魅了し、いつも談論風発の中にいた。

▼65歳で失明するも「雑用が減った」と前を向き、口述で活動を続けた。書斎でもあった国立民族学博物館は、研究資料の扱いを思案中だという。

公開するならひと仕事だ。なにせ梅棹デパート、在庫の量が半端でない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

千里・万博公園の民博(国立民族学博物館)に行く  - 阿智胡地亭のShot日乗 (goo.ne.jp)click

国立民族学博物館のウメサオタダオ(梅棹忠夫)特別展の展示click

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12月27日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年12月28日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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小泉悠×宮台真司×神保哲生:ウクライナで戦争が起きた理由とそれがなかなか終わらない理由【ダイジェスト】

 

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