阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

四川料理の「天香府」亀戸店 は本場の味をだす中国の庶民向け四川料理店だった。

2022年02月28日 | 食べる飲む

昼時を過ぎていたが 若いカップルが二組先客にいた。私の後から青年が一人入店した。会話の言葉も 注文のやりとりも全員が中国語だった。

 店内は先日の小岩の四川料理の店「辣香坊」と同じで お客も日本語が出来るホール係も 厨房もいれて 店の中に日本人は私一人だった。

そして広い店はがらがらで密ではなく疎そのものだった。

 ここも「豆苗炒め」と紹興酒からスタート。旨い😋。しかし台北で食べた「豆苗炒め」の味は残念ながら出ていない。

あの味を求めて40年ほど さまよっているが 台北で食べたある店の「豆苗炒め」は本当にうまかった。

あの豆苗炒めがおいしかった台北の店は確かに高級店で、のちに 料理人が引き抜かれ もう一度行こうと丸紅台北支店の王さんに頼んだら

そのシェフがいなくなって あの店は今は閑古鳥が鳴いているョ、と言われたのを思い出す。あのワンさんも後にカナダに移住したと聞いた。

 ぬる燗の紹興酒は大徳利で登場して驚いた。

定食メニューは800円と600円の二種類あった。

私は担々麵を頼んだ。ツユも麺も向こうの味そのもので旨い。この店はこの辺りに多い在日中国人が通う食堂のような存在かも。

次は火鍋を楽しもうと思う。

外に出ると亀戸の明治通りは少し暗くなっていた。(明治通りは東京都港区南麻布から江東区夢の島まで続く)

 

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コロナワクチン接種について5~11歳のお子さんをお持ちの親御さんへお爺からのお願い    ブログ「薬屋のおやじのボヤキ」から引用

2022年02月28日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・

お子さんは、まだ免疫機構が完成していないから、各種感染症(細菌性のものやウイルス性のもの)に罹りやすく、一般的に重症化しやすい。

インフルエンザがいい例だ。もっとも、細菌やウイルスもけっこうヒトに配慮してくれているようで、幼少のうちに罹患すれば軽く済み、

大人になってから重症化させる、という感染症もけっこう多い。これはお子さんを抱えておられる親御さんなら、各種ワクチン接種で十分ご存じのとおりである。

 で、今般の新型コロナに関して言うと、初期は強毒性であったものの、インフルエンザと違い、お子さんは感染してもヘッチャラであった。

くしゃみ一発ウイルスを吹き飛ばす、といったところだ。でも、弱毒化してきてからは、お子さんにもそれなりの風邪症状を引き起こすようになってきた感がする。

ウイルスも考えたのであろう、ヒトに広く浅く侵入しようと全年代をターゲットにすべく方針変更、といったところだ。

こうして、小学校でもけっこう新型コロナが流行りだした。3年前までのインフルエンザと同様に。


 そこで、お子さんにも新型コロナワクチンを、という流れになってきた。

 で、そのワクチンとはどんなものか。様々な情報のなかから、親御さんも概ねご存知かもしれないが、かいつまんで説明させていただこう。

 ・・・・・・  中略   ・・・・・

正しい情報というものは自分でつかみ取らねばならない世の中になってしまっている。政府もマスメディアも正しいことは言わない。

政府というものは都合の悪いことには昔から蓋をするのであり、一方のマスメディアは若い世代のテレビ離れ、新聞離れで経営に四苦八苦しており、

国民の恐怖心を煽ることにより、視聴率を上げたり、購買部数をなんとか維持しようと躍起になっているのだから、“もうコロナは普通の風邪になりました。

らしいニュースは今日はございません。”などと申したら、テレビ・新聞各社は倒産の危機を迎えることになるのである。

このあたりのことを踏まえて、自分で何が正しいかを判断する、これからますますそうなる世の中になっていくのだから、ひとつここは自分でお調べを。

そして、欧米人は一般に政府やマスメディアの言うことは信頼が置けないと捉えており、自分がどう行動するかは個々に自分で判断している。

そのためには自分で調べられることは自分で調べ、自分の能力の限度を超える場合は信頼できる誰かの言い分を聞いて自分なりに判断して行動を決めているのである。

 ・・・・・ 中略  ・・・・・・・

お上が下々の者たちをなんとかしてくれるという、古き良き時代はとうに過ぎてしまった日本である。

昔はそうした社会であったがゆえに、日本人は空気を読んで同調するという、全く自分では考えることをしない、

思考することを放棄した民族文化になってしまっているのだが、グローバル化によって政府もマスメディアも既に欧米文化に変身してしまっているご時世ゆえ、

下々の者たちの思考も、もはや欧米化せざるを得ないと(少々遅すぎる感がするが)、かようにお爺は思っている。

少々寂しいことであり、個々人にとって随分としんどいことではあるが。


 ひとつここはその訓練にいい機会であり、5~11歳のお子さんをお持ちの親御さんたちは、お子さんにコロナワクチンを接種すべきか否か

自分なりに判断して行動を決め、お子さんに対するその責任は、自分で負うというスタンスをお取りになってほしいところです。

欧米人はとっくの昔からそうしているのですからね。

 全文はこちら。

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神戸市東灘区の住吉川から岡本(本山)を経て阪神青木駅まで歩きました。      8年前の今日 2014年2月28日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年02月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

電車に乗って通過するだけで気が付きませんでしたが、JR摂津本山駅の階上駅の改装工事は、エスカレーター工事だけを
残して完成していました。昨年の大雨のときは地下道が冠水して大変でしたが、もうあの事態は起こりません。
 浜側から駅舎を見た画像(トップの画像☝)

住吉川の両岸には遊歩道があって、一年中ウオーキングやジョギング、犬の散歩に活用されています。


下流側


上流側


水道橋から本山方面。向こうに見える白い建物は神戸薬科大学と、その向こうの甲南女子大学でしょう。


岡本の交差点


昔からある一本だけ屹立している棕櫚の木は、車で走っているときは気づかず通り過ぎます。


国道2号線方面


阪神青木駅まで歩いて阪神御影駅に戻りバスに乗って甲南病院で降りました。





草ぼうぼうだった妖精の家の敷地は草刈されていました。妖精はもう長く留守をしているようで、住んでいる気配を感じませんでした。


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2月27日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年02月28日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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荒川の河川敷にはまだ冬の気配が濃かった。

2022年02月27日 | 身辺あれこれ

今年になって初めて河川敷を歩いた。昨年から始まったスーパー堤防のメンテ工事はまだまだ終わりそうになかった。

けやきの大木は芽吹きを待っていた。

 

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中国雲南省の乗り物事情 その1     14年前の今日 2008年2月27日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年02月27日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

このブログの「印旛沼の里山住人の寄稿アルバム集」click シリーズの写真家、千葉県印旛郡にお住まいのKさんからメールが来ました。

「中国雲南省に行ってきました。
目的は、元陽の棚田と羅平の菜の花でしたが、
やはり異常気象で2ヶ所とも霧と小雨で良い写真は
取れませんでした。

そこで田舎の車事情を写真にまとめました。
1~5番は、荷物運搬用の車です。







写真には撮れなかったが、水牛車、牛車、馬車、人力リヤカーもあります。
(続く) 雲南省」click
Kさんへ、こう返事しました。
「 次の『房総の里山便り』は春の兆しが見える頃かと思っていたら
雲南省へ足を伸ばしていましたか!
いやあ、貴重な画像をありがとうございます。
正に百聞は一見に如かず!
大手マスコミの報道だけでは偏った中国像を持ってしまいますが、
こうして普通の人たちの乗り物に目をつけてもらうと目線が同じになり
今のこの時、この時代にこうして彼らが生活しているんだなあと実感できます。」

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ソグド人が仏教を中国に伝えた  鑑真和上に従って日本に来た坊さんの「安」さんもソグド人の血を引く     2005年12月06日(火) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載。

2022年02月27日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
 
 

ソグド人という名前はシルクロード展で知りました。


 ヒゲの濃い、目がくぼんで鼻が高い人たちが壁画に沢山描かれて残っています。

 このソグド人はどういう人たちか興味があったのですが、最近ようやく次のようなことを知りました。

「ソグド人はイラン系の民族で、商業活動が得意だった。唐代の長安にも沢山のソグド人が住んでいた。

ソグド人の墓が90年代以降、中国でどんどん見つかっており、現在分かっているのが、50箇所くらいある。

墓誌を見るとソグド人は、中国にも集団で村を作って住み、出身地ごとに異なった姓を名乗っている。 

石(タシュケント)、安(ブハラ)、何(クシャーニヤ)、曹(カブーダン)、康(サマルカンド)、米(マーイムルグ)、史(キッシュ)などがその姓である。

仏教が中国に伝わったのが一世紀ごろで、2世紀から漢文への翻訳がはじまる。2,3世紀の翻訳家は、姓名で判断する限りはおおむね中央アジア出身。

とりわけソグド人が名乗った「康」姓の訳経僧が何人かいるから、その意味ではソグド人が中国に仏教を伝えたともいえる。

鑑真と一緒に日本に渡った中に、「安」という姓の僧がいるが、明らかにソグド人。」

中央アジアから、中国に移住したソグド人の血を引く「安」さんが鑑真和上に従って日本に来て、和上が来日わずか10年で亡くなったあと、

大変なご苦労をされて唐招提寺の金堂を建立されたそうです。

古代から、人というものは考えられないほど平気で、遠方へ移動するものだと思いますが、この安さんは、遠い先祖が紀元前に暮らした中央アジアから、

2世紀頃の先祖が中国に移住し、自分はその子孫として中国で生まれ育ち、仏教僧として日本で布教活動をして日本の土になりました。

*本掲載文は、日経2005年12月3日31面「奈良とシルクロードの語り部たち特集」をベースにしています。

なお、 唐の天宝14年(755年)、玄宗皇帝が重用した節度使の安禄山が、突如反乱を起こします。

安禄山は、その姓からソグド人だったといわれています。 安禄山は、ソグド商人たちを利用し、軍資金を貯えていたことが想像できます。


  安禄山が実子に殺された後を継いだ史思明も、同じくソグドの出身者です。
  763年、ウイグルの援軍を得た唐朝によって「安史の乱」は鎮圧されました。 乱の後、唐ではソグド弾圧の嵐が吹き荒れました。(ネットより)

トップの画像は奈良・唐招提寺の戒壇あと。2005年9月1日奈良で撮影。

 戒壇:戒壇院が建立され,その後下野の薬師寺と太宰府の観世音寺にも戒壇が設けられ、天下の三戒壇と称し、僧尼となる者は必ず登壇受戒することが定められた。

 

 駱駝舞楽胡人俑。ラクダに乗って演奏する胡人の像。俑は副葬用の人形であり、俑の胡人はソグド人を表す。唐代、陶磁器製〈唐三彩唐#美術

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2月26日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年02月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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梅まつりが始まった「亀戸天神」の梅はまだ少し早かった  その二

2022年02月26日 | 東京あちこち

 

 

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明石・魚住の茨木酒造の新酒試飲会に参加しました。 その1      10年前の今日 2012年2月26日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年02月26日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

つい先日、元勤務先の先輩である上田さんのお世話で 山陽電車江井ヶ島にある太陽酒造を訪ねることが出来て、おいしい新酒を頂きました。
 今回は定年後に出来た飲み仲間の安田健二さんから声をかけてもらい、山電江井ヶ島駅から二つ先の魚住駅近くにある“茨木酒造”へ行きました。





山陽電車には、高砂にある三菱製紙高砂工場に商談で通っていたときによく乗りましたが、明石から特急に乗るので
途中駅に魚住や江井ヶ島という駅があることを知りませんでした。早く駅に着いたので路線図を見上げると「妻鹿(めが)」駅
があることに気が付きました。孫の一人には3代前まで当地に住んでいた「妻鹿家」の血が流れているので、
あらためて妻鹿城址を別の機会に訪ねようと思いました。





つい最近まで、明石のこのエリアに醸造会社があることすら知らなかったのに、2か月連続で明石市の二つの別の造り酒屋で新酒を楽しむことが出来るとは、不思議なことです。

今回聞いたところでは灘五郷の宮水に対し、当地は寺水という酒づくりに適した水が豊富で「西灘」という明治以前からの日本酒の生産地だったそうです。

確かに精米度を上げて造られた新酒は感激する旨さでした。

 試飲会の催しとして利き酒投票がありました。普通酒、吟醸酒、本醸酒、純米酒の酒瓶にそれぞれイ・ロ・ハ・ニと書いた紙が貼ってあり

試飲用の猪口に少量入れて口に含みます。自分なりの判定結果を、投票用紙の升目ににどれがイでどれがロなどと書いて提出しました。

結果として47人中3人が正解になり、安田さんと阿智胡地亭は3人の中に入りました。安田さんは別として、自分が当たったのはビギナーズラックとしか思えませんが、

この会社の有名な甘酒を賞品に頂き大喜びしました。

茨木酒造 Vol,1     ジーオインターネット放送局

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

明石・魚住の茨木酒造の新酒試飲会に参加しました。  その2 同年2月27日掲載

この催しを企画し、毎年継続するする方々がいてもう何年もこの新酒試飲会は続いているそうです。

参加者に若い男女も結構多いのに驚きました。日本酒のファンが次の世代につながっているのは嬉しいことです。
幹事の奥さんが持参された明石のタコの柔らか煮も逸品でしたが、造り酒屋お手の物の粕汁も具沢山で濃く、つい
お代わりをしました。





利き酒の賞品で頂いた甘酒と帰りに頂いた原酒。


製造現場で社長の熱のこもった説明を受けました。最新設備を使って息子さんが一人で酒を造っているそうです。


桶の中の製造中の酒はぶつぶつと泡を立て、まさに酵母が生きていて発酵中です。強い芳香が鼻腔をくすぐりました。




午前中の11時から冷や燗で新酒をたっぷり飲んだせいか、帰りのJR明石駅のホームのベンチではうとうとし、
乗った電車も下車駅をあやうく乗り過ごすところでした。

会を主催されている東興海運㈱の幹事役、浜崎さんご夫妻、松田さん、松井さんお世話になりました。
十分楽しませて頂きました。ありがとうございました。

 

茨木酒造Vol.4「お客様に愛される茨木酒造の魅力」(明石市) jiotv

 

 

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2月25日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年02月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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少女と三人で「銚子丸」の寿司をゆっくり楽しんだ。

2022年02月25日 | 食べる飲む

一つ目の公園で滑り台に乗り 図書館で絵本を選んだあと、少し遠いが三人で 京葉道路を歩き 新中川橋を渡り 「銚子丸」へ行った。

少女を連れて行くのは初めてだった。「子供ニギリ」というメニューを初めてオーダーした。

彼女の好きな「イクラの軍艦」も頼んだ。おいしいと大喜びだった。

あいかたはいつもの炙り2種類

私はいつもの「亀戸五貫」。五貫のネタはその日によって組み合わせが変わる

午後二時までは無料サービスの「あら汁」も三つ取りにいった。やはり😋。

ぬる燗一合も忘れず頼んだ。店を出たあとは旧中川の遊歩道沿いのルートで帰り もう二か所の公園に寄って滑り台を楽しんで帰宅した。

 歩行数  6787歩     歩行距離   4.2km

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神戸・住吉あたり  その1        13年前の今日 2009年2月25日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年02月25日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

神戸市東灘区のJR住吉駅の山側にある有馬道の上り口にこの案内碑があります。☝

 駅の同じく少し東に阿弥陀寺という浄土宗のお寺があります。その山門の少し前にこんな石碑と説明板がありました。



有馬道商店街を上って行くと山手幹線に出ます。ここは室の内の交差点。☟

 三重県の四日市から神戸に引越して最初に住んだ家があった 室の内277の1という住所表記は、山手幹線が出来るときと震災後の土地区画整理でなくなり、

勿論その家もなくなり、自分がかって両親弟たちと住んだ家はこのあたりにあったのかなあと見当をつけるだけです。

 当時お隣にヅカガールの「紅園ゆりか」さんclickが住んでる家がありましたが・・

 (後に調べたら テレビドラマにも出ていた 「紅園ゆりか」さんclickは宝塚47期生で 元星組・月組トップ娘役の初風諄 さんや 鳩山元首相の奥さんになった若みゆきさんも同期生だった)

交差点から山手幹線沿いに東に歩いていくとこの祠がありました。

そしてこの慰霊の碑も。

ここから「弓弦羽神社」の参道になっています。


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◆佐藤優『私が最も尊敬する外交官――ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六     2016年11月17日「阿智胡地亭の非日乗」掲載

2022年02月25日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

沖縄密約認めた吉野文六氏が死去 元外務官僚、共同通信。

「2015年3月31日 08時58分 共同通信

 1972年の沖縄返還をめぐる日米間の密約を政府関係者として初めて証言した元外務省アメリカ局長の吉野文六(よしの・ぶんろく)氏が
29日午前9時10分、肺炎のため横浜市の自宅で死去した。96歳。

長野県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男豊(ゆたか)氏。

 東京帝国大法学部在学中、外務省に入省。駐米公使などを経て、71年1月~72年6月に外務省アメリカ局長を務め、米国との沖縄返還交渉を担当した。
その後、外務審議官や駐西独大使を歴任。退官後は国際経済研究所の理事長を務めた。

吉野 文六(1918年8月8日)は、日本の外交官。Wikipediaから部分引用。

長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校を経て、東京帝国大学卒業。1940年高等文官試験司法科合格、1941年外務省入省。1953年在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官、1967年外務大臣官房審議官、1968年駐米公使、1971年アメリカ局長、1972年OECD日本政府代表特命全権大使、1975年外務審議官(経済担当)、1978年駐西ドイツ大使などを歴任し、1982年退官。1984年国際経済研究所理事長に就任。

アメリカ局長時代は、アメリカとの間で、沖縄返還の際に土地の原状回復費用を日本が負担する密約の存在を一貫して否認したが、
ホワイトハウスの文書公開を受けて初めて認めるに至った。

2009年には密約を巡る情報公開訴訟に、原告の求めに応じて初めて証人として出廷した。  引用ここまで。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆佐藤優 著『私が最も尊敬する外交官――ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六』講談社、2014年8月


私のライフワークの一つである吉野文六・元外務省アメリカ局長に関するノンフィクションをようやく上梓することができた。
 
原稿は5年前に完成していたが、「西山記者事件」との文脈で読まれると、吉野文六氏がどのような思想をもち、
 
行動したかが理解されなくなる危険があると思い、出版のタイミングを遅らせた。

本書の意義については、あとがきで記したので引用しておく。

<あとがき

「はじめに」でも記したが、吉野文六氏は、「西山記者事件」で、公判で「密約は存在しない」 という証言をし、当時の政府の立場を正当化する上で重要な役割を果たした人物だ。
しかし、2006年2月に北海道新聞の取材に対して、吉野氏は密約の存在を認めた。

<沖縄の祖国復帰の見返りに、本来米国が支払うべき土地の復元費用を、日本が肩代わりしたのではないかとされる一九七一年署名の沖縄返還協定について、
当時、外務省アメリカ局長として対米交渉にあたった吉野文六氏(87)=横浜市在住=は、七日までの北海道新聞の取材に「復元費用四百万ドル(当時の換算で約十億円)は、
日本が肩代わりしたものだ」と政府関係者として初めて日本の負担を認めた。

(中略)吉野氏は「当時のことはあまりよく覚えていない」と断った上で「国際法上、米国が払うのが当然なのに、払わないと言われ驚いた。

当時、米国はドル危機で、議会に沖縄返還では金を一切使わないことを約束していた背景があった。交渉は難航し、行き詰まる恐れもあったため、
沖縄が返るなら四百万ドルも日本側が払いましょう、となった。当時の佐藤栄作首相の判断」と述べた。

また、日本政府が、円と交換して得た返還前の通貨、米ドルを無利子で米国に預託し、自由に使わせたことも明らかにした。金額には言及しなかったが、米側文書によると、
 
連邦準備銀行に二十五年間無利子で預け、利息を含め計算上約一億千二百万ドルの便宜を与えたとみられる。

これらの肩代わりや負担は、これまでマスコミや沖縄の我部政明琉球大教授(国際政治)が、米国の情報公開法で米側外交文書を入手し、指摘してきた。

しかし、日本政府は否定し続け、情報公開もしていない。外務省は「現在、西山氏から当時の報道は正しかったと謝罪を求める裁判を起こされており、
 
コメントできない」としている。>(『北海道新聞』2006年2月8日朝刊)

 この記事を読んだ瞬間から、私は吉野文六氏という人間に強い関心を持つようになった。

他の外務省OBのように、真実について口を閉ざしていれば、マスメディアの取材の渦に巻きこまれることもない。また、このような証言をすれば、外務省との関係も断絶してしまう。

しかも、「西山記者事件」の公判で、吉野氏が真実と異なる証言を行ったことに対する責任も追及される。聡明な吉野氏には、これらの事情はすべてわかっていたはずだ。

「はじめに」でも記したが、私は、2006年7月26日、横浜市の吉野邸を訪れて、真実を証言した動機について質すと、それについては述べずに「結局、私の署名なり、
イニシャルのついた文書が、アメリカで発見されまして、これはおまえのサインじゃないか、イニシャルじゃないかと言われたら、肯定せざるを得ないという話です」と答えた。

北海道新聞の記者から、吉野氏のイニシアルが記されている密約文書の写しを示されたら、その瞬間に、何か考えを巡らせる前に吉野氏の口から真実が語られたということである。

ここに私は、言葉ではなかなか上手に表現できない、外部からの超越的な力を感じた。「この力を言語化するのがおまえの仕事だ」という天の声が私の原動力になった。

本書のもととなった連載(「国家の嘘 『沖縄密約を証言した男』吉野文六の半生」、初回『現代』2007年10月号)は、『現代』2008年9月号で完結した。

その翌2009年12月1日、西山太吉氏らが国を訴えた国家賠償裁判に吉野氏は原告側証人として東京地方裁判所に出廷し、「西山記者事件」公判での発言を撤回し、
「過去の歴史を歪曲するのは、国民のためにならない」と証言し、密約が存在する事実、密約文書にBY(Bunroku Yoshino)、
交渉相手だったアメリカのリチャード・スナイダー(Richard Snyder)公使がRSと署名した事実を認めた。

この裁判からしばらく経った後、私は吉野氏から「あなたの取材を受け、連載を読んでいるうちに、私の中でもやもやしていて、はっきり形にならないものが見えてきました。
それで法廷で証言する気にもなりました」と言われた。

その言葉を聞いたときに、私は、作家になってよかったと思った。連載完結後も、年に数回は、横浜の私邸におじゃまして、吉野氏から聴き取りを続けている。
終戦直後の外務省や佐世保の終戦連絡事務所での仕事など、吉野氏の経験は実に興味深い。いずれ作品にまとめたいと思っている。・・・・・・(以下略)
 
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2月24日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年02月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像クリックで記事全文に飛びます。

一部引用------広告業大手の電通は24日、「2021年 日本の広告費」を発表した。インターネット広告費が2兆7052億円(前年比121.4%)となり、推計開始以来、

初めてマスコミ四媒体(新聞、雑誌、ラジオ、テレビメディア)広告費を上回った。

【ランキング表】おなじみシリーズから初登場CMも!1月度CM好感度トップ10  前年の日本の総広告費と媒体別・業種別広告費を推計する恒例調査。

2021年(1~12月)日本の総広告費は、2020年から続く新型コロナウイルス感染症拡大の影響が下半期にかけて緩和したことに加え、

社会のデジタル化が進む中、好調なインターネット広告費の成長に支えられ、通年で2桁増の6兆7998億円(前年比110.4%)となった。--------

2月24日付東京新聞朝刊 新型コロナウイルス検査

 

 

 

 

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