オーダーし、煮あがったばかりの霞ヶ浦で取れた鯉の大きな「うま煮」と、霞ケ浦や印旛沼で取れた雑魚などのつくだ煮を素早く厳重に冷凍パックして送って頂いた。
その素早さで、新鮮さと旨味は店で食べるのと変わらないと思う味だった。 印旛沼の里山住人Kさんありがとうございます。
私にとって こんなに日本酒に合う酒肴はまずほかにありません。
煮凝りの旨さにも毎回感激します。
川エビと雑魚のつくだ煮はいい酒肴になりますが、熱々のご飯にもぴったりのお供でもあります。
「さかた」のサイトから引用。
今年も大分県の平川農園さんから頂いたムラサキ山芋は、もう10年以上毎年楽しんですりおろしの役をやっているが、毎年新鮮な当惑を感じる。
芋をすりおろすのにこんなに力がいるものだろうかと?
普通の山芋や長芋も好きで擦る役を引き受けるが、かける力は概念が違うと言うか別の覚悟がいる。芋はとんでもなくねっとりして粘りの密度としまりが違う。
擦りおろしの格段の苦労の分、コクがある深い味を感じて とても言葉に出ない旨さだ!!!
金時人参や下仁田ねぎも国東半島産。豚肉のすき焼き風煮物の豆腐も旨かった。
一晩でしぼんでしまった神秘的な花の花弁をばらして さっと湯通しして三杯酢にして食べる。
もの凄く「ぬめり」があるのに 歯ごたえがシャキシャキしている不思議。 「ぬめり」はジュンサイの「ぬめり」よりはるかに強い。
味はあるというか ないというか? なんか新鮮な熱帯フルーツの感じか。
大崎のゲートシテイに向っている車中の錦糸町駅の手前で携帯が鳴った。平川さんから宅急便を送ったという電話だった。
届いたグリーンピースとツタンカーメンは瑞々しくて見事な出来だった。
早速豆ごはんと
グリーンピースとツタンカーメンとベーコンとポテトの蒸し炒めを頂いた。旨かった。
頂いた豆はもう一軒にもお裾分けでまわりやはり豆ごはんを楽しんだそうだ。
■ツタンカーメンのエンドウ豆(古代エンドウ豆)とは
●古代エジプトに馳せるロマン
この濃い紫色のさやをしたエンドウ豆は、古代エジプトのツタンカーメン王の墓から出土した豆の子孫といわれています。
1922年にカーター氏がツタンカーメンの墓を発掘した際に数多くの副葬品の中から見つかったとされ、それを持ち帰ったカーター氏が発芽、栽培に成功し、
「ツタンカーメンのエンドウ豆」として各地に広めたとされています。
日本には1956年にアメリカから伝わり、古代エジプトにまつわるエンドウ豆として主に学校関係など教育機関を中心に広がったようです。
3000年も大昔の豆がはたして生きていたのかどうか、その真偽はともかく、ロマンを感じさせてくれるエンドウ豆で、いろいろな種苗メーカーから
「ツタンカーメンのエンドウ豆」として種が販売されています。
●ツタンカーメンのエンドウ豆の特徴と食べ頃の見分け方
このツタンカーメンのエンドウ豆、蔓の様子は普通のエンドウ豆と変わらないのですが、エンドウの花が白いのに対して、このツタンカーメンのエンドウ豆の花は紫色をしています。そして何よりも、サヤの色が濃い紫色なんです。この紫色は熟すにつれ少し薄れて、地の緑色が透けて見えるような感じになってきます。そうなった頃が収穫時です。引用元。
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会社で平川さんが所属した事業本部は東京・田無にあり、私も自分が所属した事業本部が東京・神田だったせいか、
大阪支社の各営業部の社内配置では 二人が所属したそれぞれの営業部は フロアーのはしっこの隣同士になった。
二人は 出会ってすぐに互いに話をかわすようになり 定時過ぎに在社していて目が合えば 隣のビルの地下にある「小ぼけ」で飲むようになった。
他の人と飲む時より平川さんと飲む時は結構な量の日本酒を飲んでいたような気がする。薩摩人である平川さんは酒も強かった。
呑み助同士ということで知り合ったが、彼も私も会社の「久富さん」という方をリスペクトしていたのも共通していた。
1997年に阿智胡地亭は大阪支社から広島の中国支社に転勤になったので、現役時代に一緒に飲むのはその時点で終わった。
初めて飲みだしてから30年近く経ったが、互いにその後 退職してからも連絡を取り合って、機会があれば神戸、大阪、東京と一杯やるご縁が続いているのはありがたい。
酒飲みには二種類の人がいる。ツマミがなくても酒が飲める人とツマミがないと飲めないヒト。私は後者だ。私は 何かを口に入れながら飲みたいヒトだ。
口に入れば 酒肴は チャーハンでも 魚肉ソーセージでも キムチでも 味噌でも なにかあれば (乾きもの以外は(笑)*)何でも良い。
*(乾きもの以外は… 人間80歳ともなれば口中に湧く唾液量が減るらしく 乾きものでは酒が旨く飲めなくなった)
徒然草 第215段
平宣時朝臣、老の後、昔語りに、「最明寺入道(さいみょうじのにゅうどう)、ある宵の間(ま)に呼ばるる事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ひたたれ)のなくてとかくせしほどに、又使来りて、『直垂などのさぶらはぬにや。夜なれば異様(ことよう)なりともとく」とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのままにてまかりたりしに
「銚子(ちょうし)に土器(かわらけ)とりそへて持て出でて、『この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。
肴こそなけれ、人はしずまりぬらん。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、脂燭(しそく3)さして、くまぐまをもとめし程に、台所の棚に、
小土器(こかわらけ)に味噌の少しつきたるを見出(みい)でて、『これぞ求め得て候』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献(すこん)に及びて、興にいられ侍りき。
その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。」
現代語訳
平宣時朝臣が、年老いて後、昔語りに、「最明寺入道(五代執権北条時頼)が、ある宵の間にお呼びになる事があったので、「すぐに」と申しながら、しかるべき直垂がなくてあれこれしている間に、また使いが来て、「直垂などがございませんのですか。夜であるのでどんな格好でも構いません。すぐに」とあったので、よれよれの直垂を着て、普段着のままで参上した所、
「銚子に素焼きの器を添えて持って出て、『この酒を独りでいただくのが物足りないので、来てくださいと申上げたのです。肴が無いのですが、人が寝静まっています。
肴になるような物はないか、どこまでも探してみてください」とあったので、脂燭をさして、すみずみまで探し求めるうちに、台所の棚に、
小さな素焼きの器に味噌が少しついたのを見つけて、『これぞ見つけ出しました』と申し上げた所、『十分です」といって、こころよく何杯も酌み交わして、
上機嫌になられた。その時代は、万事こんなふうでございました」と申された。」
月に一回の亀戸の病院の循環器内科の定期検診は レントゲンと心電図も異常なく 血圧も範囲内ということで安心した。ただ不整脈は生来のもので気長に付き合わなくてはならない。
病院の近くの魚屋さんの2階に居酒屋が出来ていて ランチタイムは刺身定食や煮魚、焼き魚定食があると相方が検索で見つけてくれていたので その店に向った。
2階に上がると下駄箱があった。以前は魚屋さんの家族の居室がいま居酒屋に改装されていた。
照り焼き定食は文句のない内容だった。880円。
納豆は大粒納豆がこのところ気に入りだ。
好きなとろろご飯の山芋は大分県国東半島の平川農園さんから頂いたムラサキ山芋。この粘り強さには毎回滋養の強さも感じる。
とろろご飯は小学生の時から大好物で とろろの時は自分には母が特別にとろろ汁だけ一椀をくれたのが嬉しかった。
ただとろろをすり鉢で家族5人分 すりこ木で必死にするのは小学4年生頃から自分の役だった。
小皿のつくだ煮は印旛郡栄町の葛生さんから頂いた霞ヶ浦の小エビとワカサギ&イナゴのつくだ煮。
平川農園の平川さんから宅急便で届いたムラサキ山芋の段ボールに同梱されていたおいしいネギで煮物の惣菜も
ある日の酒肴には同じく葛生さんから頂いた「鯉のうま煮」が極上の一品だ。