今日、3月31日に運営が廃止されてしまう帆船「あこがれ」。橋下市政では生き延びることが出来なかった。一国の文化はその国が持つ「余裕・遊び心」から生まれる。一流国と二流国以下を分けるのは、保有する軍隊の強大さではなく、その国民がどんな文化を楽しみ、それがまた他国民に広がるかどうかで決まる。関係者が守ってきた「帆船 あこがれ」。「あこがれ」が維持してきた海洋文化や技術の伝統。それが大阪市のこれまでの長年の失政のツケで、大阪市に余裕がなくなり、ここにきて廃止される。『文化ではメシ喰われへんがな・・』はい、まことに。なにしろ大阪市民一人当たりの職員数が横浜市の2倍あって、市に入る税金が大阪市の職員の給料で全部消えてしまう。そら市民のための事業は出来へんわな。本日をもって運営を終わる「あこがれ」。ここに昨年の記事を再掲載して、ご関係の皆さんの維持のためのこれまでのご奮闘を称えます。
「あこがれ」の廃止を告知する大阪市のサイトはこちら。
⇒大阪南港を母港とする帆船「あこがれ」を月曜会のメンバーが見学しました。「あこがれ」は“日本丸”や“海王丸”を造ったS社の浦賀工場で1993年に竣工しました。海洋諸国では地方公共団体や帆船愛好家団体が帆船を持って、若い世代に海に対する関心を持ってもらうべく乗船や航海体験をさせています。日本では行政として唯一「大阪市」が体験用帆船を所有し、これまで20年間、海洋国家日本の次世代のために貢献してきました。乗船してみると、まことにこじんまりした船でしたが、勝海舟や福沢諭吉などは、ほぼこの大きさの船「咸臨丸」で太平洋を渡ったのです。幕末の日本人の「国家が存続するために、それぞれの人たちが持つた使命感ーミッション」を果たそうとする気概の重さ、大きさを思います。 「あこがれ」が係留されているATCは毎週日曜日にはコスプレ愛好者が集うそうで、多くの男女が非日常の衣装で異界の自分を楽しんでいました。
「あこがれ」の沿革と歩みはこちら
案内して頂いた吉川指導員、ありがとうございました。
○この2枚はHPの壁紙からダウンロード。
橋下市長さん、大阪市の中高生の課外活動に最適の帆走体験が“あこがれ”で出来ます。そして海洋国家日本のためにもこういう教育の場は貴重だと思います。これからもこの帆船の活用を是非考えてください!
◎HPは こちら
“あこがれ”の主要目
起工 1992年6月19日
進水 1992年11月24日
竣工 1993年3月31日
船種 帆船
用途 国際航海に従事する練習船
船型 全通平甲板型
帆装形式 3本マストトップスルスクーナー
主要寸法
全長 52.16m バウスプリットを含む
垂線間長 36.00m
型幅 8.60m
型深 5.90m 上甲板まで
満載吃水 4.50m
総トン数 362トン(国際)
航海速度 8.5ノット
主機関 4サイクルディーゼル
最大出力 320PS×1基
プロペラ フェザーリング式可変ピッチプロペラ
搭載人員
乗組員 10名
訓練生等 40名(ただし国内での1日コースの場合は60名)
帆枚数/帆面積
横帆3枚/約215㎡
縦帆10枚/約568㎡13枚/約783㎡
総帆 通常セットしている帆の枚数と面積13枚/約783㎡
マスト高さ(最高) 約30m 上甲板上
参考 咸臨丸Wikipediaから
艦歴
発注: 1855年(江戸幕府)
起工: 1855年 (オランダの造船所)
進水: 1856年
就役: 1857年
退役: 1871年沈没
性能諸元
排水量: 620 t
全長: 48.8 m
全幅: 8.74 m
吃水:
機関: 3本マストの帆
100馬力の蒸気機関
燃料: 石炭
最大速: 6 ノット (10 km/h)
兵員:
兵装: 砲 12門
1860年、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断。咸臨丸はポーハタン号の別船として、旧暦1月13日品川を出帆、旧暦1月19日に浦賀を出港、旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港。艦長は勝海舟。(正確には勝海舟は「軍艦操練所教授方頭取」、木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、勝が艦長、木村が提督と考えると現在の呼称に最も近い。福澤諭吉やジョン万次郎らも乗船していた。万次郎以外の船員は大半が船酔いで、技術アドバイザーとして乗船していたジョン・ブルック大尉他、アメリカ人乗員の助けを借りての航海であった。
Arthur Gets Owned by a Baby Elephant, Tara
雨の中のお練り。歌舞伎なら唐傘が当然ですが、ここは顔が暗くならないようにビニール傘で妥協したようです。おそらくテレビ局の要望を松竹が聞き入れたのでしょう。撮影は写真家の栗田格さんです。ありがとうございます。栗田さんの作品が数多く掲載されている「Kaku Kurita Photo Salon」はこちらです。
歌舞伎座 新開場記念で“世紀のお練り”3万2000人祝福!
2013年3月28日 06:00 スポニチ
新しい歌舞伎座(東京都中央区)の新開場を記念し“世紀のお練り”と銘打ったパレード「GINZA 花道」が27日、東京・銀座大通りで行われ、歌舞伎俳優63人が練り歩いた。銀座での歌舞伎俳優のパレードは初めてで、ファン約3万2000人が駆けつけた。歌舞伎座の開場式も行われ、4月2日からのこけら落としに向け、祝賀ムードが高まった。
出発地点の銀座1丁目交差点に紋付きはかま姿の俳優たちが登場すると、待ちわびたファンから一斉に歓声が上がった。小雨の中、日本橋の木遣(きや)り衆の木遣り節や纏(まとい)がパレードを先導。中村時蔵(57)を先頭に、市川染五郎(40)、市川海老蔵(35)、中村勘九郎(31)七之助(29)兄弟らは、声援に応えるために最初は傘を差さず、笑顔で手を振りながら銀座4丁目までの約400メートルを練り歩いた。
沿道からは「待ってました!」などの掛け声とともに、22日に待望の長男が誕生したばかりの海老蔵に「長男おめでとう」、2月に挙式した尾上菊之助(35)に「結婚おめでとう」の声も。海老蔵は満面の笑みで両手を振り、菊之助は照れくさそうに頭を下げた。
人気俳優が勢ぞろいするのは異例で、染五郎のファンで、4月の公演を見に行くという江東区の主婦、武藤洋子さん(66)は「これだけたくさんの役者さんをこんな間近に見ることができるなんて幸せ」と興奮気味。大通り沿いの楽器店の男性店員は「昨年の(プロ野球の)巨人、五輪選手ともバス。雨の中、歩く役者さんたちの心意気を感じました」と盛んに拍手を送った。
セレモニーでは、人間国宝の坂田藤十郎(81)が「あいにくの天候ですが、芝居の方ではお客さんが“降り込んでくる”という縁起のいい門出」とあいさつ。「400年の歴史を持つ歌舞伎の新しいページが開かれます」と力を込めた。
28日は、俳優が舞台に勢ぞろいして手締めをする「古式顔寄せ手打ち式」が行われ、4月2日にこけら落とし興行の幕が上がる。
≪盛り上げる起爆剤に≫紋付きはかま姿の歌舞伎俳優が、沿道の声援に応えながらゆっくりと歩みを進める「お練り」は、襲名披露などの特別な公演に向けた期待を盛り上げる格好の起爆剤。襲名する名跡にゆかりの深い土地や各地の劇場近辺で行われることが多い中、あっと驚かせたのは昨年12月に死去した中村勘三郎さん。東京・渋谷で始めた「コクーン歌舞伎」の開催15周年を記念して09年に、渋谷のど真ん中でお練りをした。昨年、襲名が話題となった市川猿之助や市川中車も渋谷、浅草と東京で2回お練りを企画し、多くのファンを集めた。
種からここまで大きくなったが、3mには間違いなくなりそうだ。これまで花は咲いても実がなったことはない。雌雄異株だそうだから、隣に二つある鉢植えの山椒を置いて試してみよう。
今回もまた現場・現物・現実の『三現主義』の効用を思い知った。もう10年以上、書いた文章を読み、出演するTV番組を見てきた茂木健一郎さん。雑誌『神戸っ子』で、フェリシモの神戸学校の3月の講演に登場と知って出かけた。やはり通しで、かつ編集なしでの人間ライブの現場に2時間半付き合えば、書物やネットを通じての理解とは違う面が見えてくる。この芸人さんのお題は「私たちの脳としあわせについて ~しあわせはどこから来るのか?」。茂木さんは相当講演なれしていた。笑いを取るツボをしっかり押さえていた。同じ芸人でも、芸人を演じることが出来る人と、その人間がそのまま芸人と言う人の2種類あるが、この知能指数の高い芸人はまことに嫌味なく上手に芸人を演じていた。最初ステージに登場したときは意外にダサいおじさんだなと思ったが、途中ではシャイとプライドのないまぜの人と思い、そして終わりには彼がとても男前に見えたのが面白い。
会場は神戸朝日ホールだった。このホールがある神戸朝日ビルにフェリシモ社の本社がある。もう18年前にこのビルには仕事で毎週通った思い出のビルだ。フェリシモ社の配送センターのブログ記事は こちら。
手練れの芸人の芸には何回も笑ったが、「もしこうだったら、こうなっていたはずなのに!」というフォーカスイリューージョンの例もその一つだった。「もし私の母親がフランス人と結婚していたら、私はハーフだったのに。なんでママはお父さんと結婚したのよ!」。人はこういう風に考えてしまうスパイルに時に陥るのだが、本人はこの想定のありえなさ、可笑しさに気がつかないものだと言う。まず自分の現実を現実と認める、そこからしか始まらないと言う。欠点の隣には長所があると言う。人と自分を比べても、脳的には幸せになる思考ではないと彼は言う。どうも「しあわせ」は人と自分を比べている限り来ない物のようだ。
彼の若いころからの夢の一つは、日本のことを世界に発信する学者になりたいと言うのがあったそうだ。まさにそれは今の日本に必要なことだと思う。そしてこの人はそのことをやろうよと、皆に働きかける伝道者の役割を、講演芸人のカタチをとってアピールしている。しかし彼はひょっとしたらただの学者芸人で終わるか、本来の夢を世界の場で実現するかの、クロスロードにいるかも知れないとも思った。
人はみな付き合ってきた人の人格を少しづつ受けて、その人間が出来上がると彼は言う。彼の幅広い多様なジャンルの人の付き合いからすると、日本に今まではいなかったタイプのマルチ学者として世間様に貢献していくのかも知れない。
『感覚の持つ質感--クオリア』、なんだか胡散臭い物言いだ。しかし感覚にはそういう面があるような気もする・・。わずか1200円の支出で脳をかき混ぜてもらう体験は、脳への刺激としては安いものだった。やはり無料のテレビ番組とは、有料の講演は敵のひたすらさが違う。人はある意味、情報を脳にインプットして脳で情報処理をしてアウトプットを出すディバイスであるとすれば、インプットする情報が旬のものか、新規のものか、まっとうなものか、不純なものか、などに大きく影響されそうだ。今回の講演は「お代は見てのお帰り」ではなく、事前の振り込みではあるが、講演者と聴衆の呼吸の動きや、お互いの反応の「鏡の関係」は現場でしか味わえない化学反応だった。なおその都度の、学校への入学金1200円は、「あしなが育英会・神戸レインボーハウス」を通じて、東日本災害で親を亡くした子供たちの基金にまわされるそうだ。
フェリシモ神戸学校はこちら。「茂木健一郎 クオリア日記」はこちら。