ある年の大晦日 報道写真家栗田格さんのお宅を訪ねたメジロ。
栗田さんは仕事を離れたプライベートタイムにも 美しいもの優しいものが眼前に現れると愛用のカメラのシャッター音がいつも聞こえたそうです。
当時はメジちゃん、ヒヨちゃん、ス-ちゃんが、どーっと来襲していたそうです。
メジロの逆上がり
メジロ満腹
この3枚の画像は栗田さんのデスクトップに残されていました。
栗田格 報道写真家は本年9月27日に逝去されました。こちら⇒栗田さん
ある年の大晦日 報道写真家栗田格さんのお宅を訪ねたメジロ。
栗田さんは仕事を離れたプライベートタイムにも 美しいもの優しいものが眼前に現れると愛用のカメラのシャッター音がいつも聞こえたそうです。
当時はメジちゃん、ヒヨちゃん、ス-ちゃんが、どーっと来襲していたそうです。
メジロの逆上がり
メジロ満腹
この3枚の画像は栗田さんのデスクトップに残されていました。
栗田格 報道写真家は本年9月27日に逝去されました。こちら⇒栗田さん
旧中川の遊歩道を歩いた後 諏訪神社に向った。神社はコロナ禍での初詣に備え 参拝ルートなどを示すボードなどが掲示されていた。
阿智胡地亭が生まれた三重県四日市市の中心地には鎌倉時代に信州諏訪から勧請された諏訪神社(click)があり
終の棲家になりそうな当地にも諏訪神社がある。信州諏訪にルーツがある身としては、たまたまの偶然とはいえ 不思議にも思い 有難いことだとも思います。
サイトから引用⇒平井諏訪神社は、江戸川区平井にある諏訪神社です。平井諏訪神社は、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請して享保年間(1716-1735)創建、下平井村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、昭和8年四所神社・稲荷神社を合祀したといいます。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方命 |
相殿 | 天照皇大神、経津主神、誉田別神、大国主神、武甕槌神 |
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12月30日 ウオーキング 歩行数 7769歩 歩行距離 4.9km
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「お答えは差し控える」のは「国民を冒涜する」ことではないのか? 10年前と今年の菅首相の言葉を読む 野党時代の菅氏のブログに見る“ホラー”
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「幽霊消防団員」利用した水増し請求 使い先に慰安旅行、コンパニオン派遣も
この季節になるとほぼ三年前に住みだした在所東京(首都東京ではない、昔からある東京地方在郷の東京)ではこういう幟が出されるので何となく嬉しくなる。
江戸時代から綿々と続く「ちん餅」の伝統は在所東京には今も引き継がれている。
「ちん餅」とは つき賃を貰って請負で餅をつくことですが スーパーで時期になると商品棚にある餅を買うのではなく オーダーメイドの
つきたての餅を食べることが出来ます。
我が家では45年ほど前、神戸から千葉県南柏の社宅に引っ越した次の年に 近くの店に相方が「ちん餅」を頼んで数日後
届いたのが もろぶた(餅箱)に入った大きな一枚ものの「のし餅」だったので慌てたと言っていました。
西国で生まれ育った彼女は正月の餅は当然丸餅で、関東ではのし餅を大晦日に各戸で四角に小さく切り分けることなど全く知りませんでしたから。
幟を見た夕方の空
その夜のスカイツリー
本の概要 サイトから引用
ラヴ・ロマンスの作家、妻の美未は、海外義援の会に出かけ、生意気ざかりの娘は、自室へ引き上げた。昭吾は一人水割りを手に、思いに浸る。あのとき、日本も戦場だった。―昭和二十年八月、B29の大編隊が大阪を襲い、昭吾は、爆弾と火炎の地獄の中を、あぐりを守って逃げまどった。清い少年と少女の日々。
第二次世界大戦中にB29の爆撃の中逃げた昭吾と、当時まだ2歳だった美未。夫の昭吾には、売れっ子のラブ・ロマンス作家となった妻の美未には口にしない、戦時中の熱い恋の思い出があった。一緒に爆撃から逃げ、結婚まで望みながらもそれが叶わなかっ たその相手――あぐりへの思いが、戦時中の景色と共に蘇る。
以下の4ページはそれぞれ本文中の別々のシーンから引用
私が心の支えにしている、ある女性の言葉がある。
彼女の名前は倉本あぐり。田辺聖子の『おかあさん疲れたよ』で出会った、魅力的な女性だ。田辺作品では必ず魅力的な女性が登場するが、あぐりは私の中でちょっと特別。
この作品は『言い寄る』三部作に代表される軽やかで鋭い恋愛小説とも、『ひねくれ一茶』『花衣ぬぐやまつわる…』のような評伝小説とも異なる。田辺聖子の戦後史であり、昭和史であり、王朝ロマンまで巻き込んだ大河恋愛小説でもある。それを一気に読ませてしまうのだから、その筆力たるや、ため息をついてしまう。
作品の主人公は、第二次世界大戦中に中学生だった昭吾と、2歳だった美未という夫婦。夫婦それぞれのラブロマンスが描かれる。あぐりは昭吾と同年で、共に戦火から逃げたこともある。終戦後、昭吾は結婚を望んだが、あぐりは大黒柱として母と弟一家を支えるため、自らの幸せをあきらめ、別れることを選んだ。そして40代になって二人は再会。あぐりは独身のまま家族を支えていた。逢瀬を楽しむ二人。が、あぐりは昭吾にとって妻と娘も大切だと知っているから、多くを求めない。一人で死ぬときの準備すら、密かにしている。そして昭吾に言うのだ。
「感嘆符が付かな、あかんねんわ。あたし、『運がよかった!』と思ってるわ、あたしの人生――」
「!!!!!」
感嘆符がつかなあかんかったのは、私の方だった。ちょっと、そこの私! 私大変とか思ってる場合じゃない! なにかのせいにしている場合じゃない!!! 被害妄想のまったくない、でも自虐的でもないこの言葉は、以降、大きな落ち込み(大失敗したとか)の時も小さな落ち込み(バスを乗り過ごしたとか)の時も私の中で蘇る。そして様々な意味で「運がいい」と思い直して前に歩かせてもらっている。
「戦時中にちょうど娘ざかりだった若い女性たちは、戦後、過酷な運命に待たれていた。(中略)同世代の私は、可憐な彼女たちから目を離すことができなかった。彼女たちへの応援歌をうたいたかった――そしてまた空襲で逝った同世代の少年少女らへの鎮魂歌も――」
田辺さんはあとがきでこう書いている。
いま、私たちは未曾有の出来事に直面している。私自身、とっても不安にもなる。そんなとき、あぐりの生き方とこの言葉は、私をやさしく励まし、なぐさめてくれる。だから「いま」選ぶ「このイチ」に本作を選んだ。これは、極上のラブロマンスでありながら、すべての女性に「いま」も捧げる応援歌なのだ。
ちなみに田辺さんの小説は、17年くらい前、デザート編集部の緑川良子さんに渡されて読み始めた(もちろん、彼女が「このイチ!」に書いている『苺をつぶしながら』含めた『言い寄る』三部作)。素晴らしくて驚いた。そんな私がいつの間にか文庫出版部に異動し、田辺さんを担当させていただけたのだから、言葉通り「運がいい」と心から思っている。
(2011.06.15)
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この本は図書館の「大活字本」シリーズで借りた。
田辺聖子さんと同世代の女性たちは義母の世代で、戦時中にちょうど娘ざかりだった若い女性たちは、戦後、過酷な運命に待たれていたとあるように
詩人の茨木のり子さんなどもそうだが 数年の生まれ年の差で送った人生の曲折がかなり違う。
田辺聖子さんは惜しくも昨年6月に亡くなられたが おそらく 日本の文学史に 太平洋戦争の一面を描いた作家としても残るだろう。
新型コロナウイルス対応の最前線となっているのが各地の保健所だ。電話相談、PCR検査対応、陽性になった人や濃厚接触者たちの調査やフォローアップ、入院・入所の調整など、息をつく間もない業務が続いている。その渦中から見えてきた新型コロナの実像は、一般的な受け止めとは少し違うようだ。厚生労働省に長く勤め、公衆衛生行政に詳しい東京都中央区保健所の山本光昭所長(60)に聞いた。【オピニオングループ・永山悦子】
――保健所では、新型コロナウイルス感染症について、どのような業務を担っているのでしょうか。
◆感染症対応は以前から保健所の仕事であり、結核などの発生があれば、医療機関からの届け出を受け、感染症法に基づく感染拡大防止に取り組んできました。ところが、今回は電話相談、PCR検査の調整や検体の搬送、陽性者一人一人の体調管理・連絡・入院調整・自宅療養中のフォローアップ、陽性者や家族への聞き取り・感染経路の調査、関係機関との調整や広報活動など、業務が非常に幅広く、さらに中央区では毎日5~20人の新たな陽性者が加わる状況になっているため、従来の要員だけでは対応できなくなっています。区役所の中での応援、非常勤職員の新たな採用、都からの応援をもらうなどして対応しています。
――年末年始も休みなしになりそうですね。
◆それぞれの職員には週休2日は確保してもらうようにしていますが、陽性者は毎日発生していますから、年末年始も誰かが勤務する必要があります。新たな陽性者の情報は夕方に届くため、そこから本人に連絡を取り始めると、どうしても夜遅くまで仕事が続いてしまいます。最近は、軽症や無症状の人が多いため、「電話などかけてくるな」と強く反発されるケースもあり、職員のストレスが大きくなる傾向がみられます。
――国内では第3波を迎えて、医療現場や社会の危機感が高まっています。新型コロナとどのように向き合うべきでしょうか。
◆よく「正しく恐れる」という言葉が使われますが、私はこの表現からは「恐れる」という否定的な姿勢を感じ、違和感があります。新型コロナは「恐れることなかれ、ただし侮ることなかれ」と考えるべき感染症です。第1波、第2波のときは、まだ十分な知識がなかったので「恐れる」しかありませんでした。しかし、この感染症が発生して約1年たち、多くの知見が集まっています。それらを踏まえれば「恐れることなかれ」と言えるようになっていると思います。
――なぜ恐れなくてもいいといえるのでしょうか。
◆国内では、治療法が確立しつつあります。この感染症は8~9割の人が無症状もしくは軽症で終わります。重要なのは、残りの重症化をいかに抑えるかということです。第2波までの経験で、重症化しやすい人を把握することが可能になりました。高齢者や糖尿病などの病気を持っている人は高リスク群ですが、さらにコンピューター断層撮影装置(CT)による画像診断で、肺にすりガラス状の影があると症状が軽くても重症化しやすいことが分かってきました。血液中で特定のたんぱく質(IL6)が増えていることも、重症化の指標になります。
PCR検査だけではなく総合的に判断し、重症化しそうな人にはステロイド薬(デキサメタゾン)を使うと、多くの場合は著効します。間質性肺炎など重度の肺炎にステロイド薬を使うのは、呼吸器内科では常識的な治療法であり、特別なものではありません。さらに、酸素飽和度(血中に取り込まれている酸素量)が十分でなければ、酸素吸入や人工呼吸器、人工心肺装置(ECMO)などを使います。
◆新型コロナだけではなく、高齢になると治療を尽くしても結果が出ない例が出てきてしまいます。国内では、これまでも年間約10万人が肺炎で亡くなっています。これも若い人なら効く薬が、高齢だったり体力が落ちたりした状態では効かないためです。これは現代医療において致し方ないことなのです。新型コロナの場合だけ「100%助かるべきだ」という考え方は、間違っていると思います。
――欧米の死者数が多いことも気になります。
◆確かに、日本と欧米の違いはまだ分かっていません。遺伝子レベルの違いなのか、過去にコロナウイルスに感染してきた経験に違いがあるのかなど、仮説はさまざま出ています。アジアでは、少しずつ変異したコロナウイルスがひっきりなしに流行していたものの、通常の風邪と思われて詳細に調べられてこなかっただけかもしれません。
米国に関しては、米国民の約1割が医療保険に入っていません。このため、インフルエンザでも毎年数万人が亡くなっています。日本のような国民皆保険で、かかりつけ医から専門医へすぐにつながり、高度な医療も保険診療で受けられる国とは事情が違うのです。日本の医療体制は世界屈指の高水準です。今は新型コロナの治療法も分かっています。最近の状況を見ていると、感染を恐れるあまり、家に閉じこもって別の病気を悪化させるなどの弊害を招きそうで心配です。
――今の日本人は、新型コロナを怖がりすぎているということでしょうか。
◆そのように見えます。ただし「侮ることなかれ」です。高齢者や別の病気を持つ人が重症化しやすいことは間違いありません。その人たちが重症化しないように、このウイルスによる感染は抑えるべきです。この1年の知見で分かったことは、つばなどの飛沫(ひまつ)が感染原因となっている例が非常に多いということです。
中央区役所内でも感染者が何人か確認されましたが、役所内で広がることはありませんでした。これまでの陽性者に対する調査でも同じような状況ですが、本人と周囲の人がマスクをしていれば感染がむやみに広がることはないようです。飛沫の拡散防止、つまり感染防止に、会話時のマスク着用はかなり有用といえます。
――常にマスクをしていないと問題ということですか。
◆違います。たとえば道を1人で歩いているときは、マスクをする必要はありません。飛沫をだれかに飛ばすことも、だれかの飛沫を浴びることもないからです。黙って行動するときや、周囲の人と距離があるときは、基本的にマスクは不要です。「マスク警察」のような問題が出るのも、政府などの「メッセージの出し方」がよくないからだと思います。
――メッセージのどこがよくないのでしょうか。
◆感染のリスクが高い例として、「夜の接待を伴う店」「飲酒を伴う懇親会」「大人数、長時間の飲食」などを紹介していますが、接待を伴う店や居酒屋という「場所」が悪いわけではありません。人同士が近くでしゃべるなど、飛沫が飛び交う「場面」が問題なのです。夜の居酒屋には行かず、ランチではマスクなしで大声でおしゃべりするとか、昼にマスクをせずに大人数でカラオケに興じるというケースも見受けられますが、本末転倒な行動です。実際に、そのような行動で感染が広がった例もあります。
飲食店も営業時間を短くするだけでは意味がありません。パーティションを立てたり、テーブル同士の距離を取ったりして店内で飛沫が行き来しないような環境にして、客には食べているとき以外はマスクの使用を求めれば、感染は広がりません。店の定員を半分にする一方、営業時間を逆に延ばして何組も客が利用できるようにすれば、感染も防げますし、店の売り上げも確保できると私は考えます。菅義偉首相が呼びかけた「マスク会食」が批判されていますが、私はまともな発言だと思います。
――中央区には銀座などの繁華街も多くあります。どのような対策が有効なのでしょうか。
◆私は「お客様とともに作り上げる安全安心な銀座へ」というキャッチフレーズを提案しています。飲食店の場合、安心できる会食の対策を店側とお客様側がそれぞれで考えるのではなく、たとえば店側が食事中だけ使う「おしゃべり」用の使い捨てマスクを用意する、という方法もあると思います。そうすれば、お客様側も汚れを気にせずに食事の合間にマスクを着けやすくなりますし、お客様からも「この店は感染対策をしっかりしている」という信頼を得られるのではないでしょうか。
――さまざまな対策に取り組んでも、感染者数は増え続けています。そうすると、緊急事態宣言のような強い措置が必要なのではないか、という声も上がっています。
◆このウイルスの本質を考えてほしいと思います。この1年の知見から、このウイルスの「封じ込め」は難しいとみるべきです。無症状で終わる患者もいますし、発症前から他者へ感染させてしまうからです。再感染する可能性も指摘されています。ワクチンができたとしても、完全に封じ込めることは難しいでしょう。もし感染者をすべて把握し、隔離したいのであれば、国民全員を365日毎日検査し続けるしかありません。そんなこと不可能でしょう。
ここで検査の目的を明確にすべきです。「陽性者狩りをして隔離するための検査」なのか、「必要な人に適切な医療を提供するための検査なのか」です。私は、封じ込めができないこのウイルスについては、後者を目的とすべきだと考えます。
――そうすると、検査の方法も変わりますか。
◆はい。インフルエンザやがんの検査は、病状を正確に把握するきっかけとして行われ、さまざまな検査結果を含めて医師が診断し、必要な治療につなげていきます。新型コロナの検査も同じような位置づけにすべきでしょう。つまり、自己負担ありの保険診療として、画像検査や血液検査の結果などから総合的に診断をし、診断された後に発生届を保健所が受け、医療費の公費による負担や公衆衛生で必要な対応をしていくという通常の医療・公衆衛生にしていくのがよいのではないでしょうか。
現在は感染症法上の2類感染症相当の扱いのため、全症例の報告が求められますが、無症状や軽症のため新型コロナと気付いていない人もかなりいることを考えると、インフルエンザのように定められた医療機関が報告をして、全体の傾向を見ていく仕組みで十分ではないかと思います。
――そのようになれば、保健所の負担も軽くなりますね。
◆検査にかかわる部分だけではなく、陽性者などへの調査や指導も変わります。現在は「クラスター(感染者集団)」の把握が重視されていますが、もしかしたら症状が出て把握された陽性者は、無症状のだれかからうつされた人かもしれません。把握した陽性者だけに注目する調査の方向性は、実態から乖離(かいり)したものかもしれないのです。今春以降に実施してきた調査で、このウイルスの実態はかなり明らかになっています。同様の調査をいつまで続けるかについても考えてみるべきでしょう。
濃厚接触者に対しても、症状がなければすぐに検査するのではなく、「感染している可能性もあるので、体調を注視して、会話時のマスクの使用を徹底するなど感染対策をとって行動してほしい」という指導になると思います。
――一方、「GoToトラベル」の一時停止などをめぐり、「命」と「経済」をてんびんにかける議論が広がっています。
◆私は「健康のトレードオフ(何かを得るために何かを失う)」と言っていますが、感染症と向き合うとき、「命か経済か」という二者択一ではなく、「人の命や健康」の中でのトレードオフという視点が大切です。しっかりと対策をとっている医療機関であるにもかかわらず、「感染が怖いから(必要であっても)病院へ行かない」という受診抑制が起きています。それによってがんの発見や病気の治療が遅れれば元も子もないでしょう。「ステイホーム」というキャッチフレーズから「外出すると感染する」という誤解が広がり、家にひきこもってしまった高齢者には、認知症の進行や体力の低下が起きています。
先ほど説明したように、肝心なとき(人としゃべるときなど)にマスクをしっかりしておけば感染はかなり抑えられますし、感染したとしても治療法はあります。このウイルスの実態を正しく理解し、行動してほしいと思います。
――今後、政府や私たちが考えるべきことを改めて教えてください。
◆新型コロナ対策で、最も重要なことは、この感染症が引き金となる死亡者数を最小化することです。そのためには、感染者数の全症例把握に力を投入するよりも、重症化を防ぐための的確な診断や治療へのアクセスを確保できる体制の整備を急ぐべきです。高齢などのリスクが高い人たちとのコミュニケーションも「面会謝絶」にするのではなく、スマホによるテレビ電話を活用したり、会話時のマスクの使用を徹底したり、時間を短くしたりすることが有効でしょう。
さらに、これまでの調査結果を見ると、マスクの使用や手洗いを徹底している事業所や医療機関、学校では感染が広がっていません。流行の規模が小さくなれば重症化も減らせますから、感染を広げない基本的な行動は欠かせません。そして、感染を「恐れない」ためにも、このウイルスへの偏見や差別を解消することが必要です。このウイルスは「恐怖の病原体」ではありません。現在の隔離政策によって「危険なもの」というイメージが植え付けられているのではないでしょうか。感染のリスクはすべての人にあります。「感染自体を恐れるべきではない」という政府からのメッセージが求められます。
やまもと・みつあき 1960年生まれ。神戸大卒。医学博士。84年旧厚生省に入省。茨城県保健福祉部長、厚生労働省東京検疫所長、近畿厚生局長などを歴任。2019年から現職。
昨年10月、私は何年も会っていなかった兄が死んだという連絡を宮城県の警察署から受けました。遺体を引き取り、火葬し、ゴミ屋敷と化した多賀城市のアパートを片付け、兄と暮らしていた小学生の息子・良一くんの今後を考える。その5日間を綴ったのが、本書『兄の終(しま)い』です。
翻訳やエッセイの仕事を抱えながら、突然始まった怒濤の日々。疎遠だった兄の家を片付けるというテーマに興味を持った編集者の提案で一冊にまとめたのですが、思いがけず多くの方から反響がありました。それだけ、家族との関係に悩んでいる人がいるのでしょうね。
わが家の場合、兄と母は共依存の関係にありました。母は兄を溺愛し、兄も生活と金銭の両面で母に甘えきっていた。生涯を通じて兄は女性がそばにいないと生きられない人で、それが母であり、2人の元妻や付き合った女性たちであり。そして最終的には、妹の私だったのです。
私は、6年前の母の葬儀を最後に兄と会うのをやめました。がんを患った母を看病することも、死後の手続きに一切関わることもなく香典の額ばかり気にしていた兄。それ以前から私は、高齢の母に代わって兄のアパートの保証人にさせられていました。滞納している家賃の肩代わりは断ったものの、葬儀の帰り際に「宮城へ帰る交通費がない」と言われ、押し付けるように5万円を渡したのが最後です。
警察署から遺体を引き取るという特殊な事情、大量の遺品の処分、移動費や宿泊代も含めて百数十万円もの出費になりました。「こんなことなら、兄にちびちびとお金を渡して少しでも長生きしてもらったほうがよかったのでは」と悔やみもしました。弱気になりがちな私を叱咤激励し、「終い」の作業を一緒に進めてくれたのが、兄の元妻で良一くんの母である加奈子ちゃんです。離婚後、シングルマザーとして兄の娘を育て、バリバリ働いてきた彼女の交渉術と前向きな行動力に、どれだけ助けられたことか。
また警察や市役所、児童相談所の方や学校の先生、車の処分を引き受けてくれた自動車販売店にいたるまで、多賀城市の皆さんの温かな心づかいにも力づけられました。少し落ち着いてきたころにホテルで食べた朝食の美味しさ、帰りに求めた洋菓子の味など、よい思い出も書き残しておきたかった。⇒ 続き
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2カ月ほど前に図書館に予約を入れていたが、既に多数の予約者があってようやく自分の番になり図書館からその連絡があった。
借りてきたその日のうちに読みだしたが、あっという間に終わりのページからあとがきになってしまった。
実話と言えど勿論そのまますべてを書いているとは思えないが、起きた事実を淡々と時系列に示し、しかし感情の揺れ動きを刻銘に記しているので
本を措くタイミングがなかった。
作り事は作り事で大変なエネルギーを要する創造だが フィクションではない現実を書いたものの強みを改めて思った。
この作者は今回初めて知ったが いつのどんな時代にも凄い筆力のニューカマーというのはいるもんだと思った。
桜を見る会 安倍氏の国会答弁を振り返る
朝日新聞デジタルから引用 こちら。
安倍晋三前首相の後援会が「桜を見る会」の前日に開いた夕食会の費用を安倍氏側が補塡(ほてん)していたとされる問題をめぐり、安倍氏が国会で「事務所は関与していない」「明細書は無い」「差額は補塡していない」の3点について、少なくとも118回繰り返していたことが21日、衆院調査局の調べで分かった。これらの答弁は事実と異なっていた可能性が強く、野党は「虚偽答弁」と批判を強めている。
立憲民主党が同局に調査を依頼し、結果を公表した。これらの答弁は昨年11月~今年3月、のべ33回の衆参本会議や委員会の機会で行われていた。
内訳としては、「事務所は関与していない」という趣旨の答弁は70回、「明細書は無い」という趣旨の答弁は20回、「差額は補塡していない」という趣旨の発言は28回あったという。