阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

庭の柿の木にかけた別の巣箱のシジュウカラが新たに五羽孵化した。  「シジュウカラ通信」 

2024年06月29日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人のKさんから別の巣箱での孵化を伝える「シジュウカラ通信」が入りました。

  6月19日のメール

一回目とは別の巣箱で抱卵中だったシジュウカラが昨日孵化しました。

卵は6ケだったのですがすべて孵化したかどうかは確認できていません。

順調にいけば7月7日ぐらいが巣立ちになると思います。

  6月27日のメール

シジュウカラの卵は6ケあったのですが孵化したのは5羽のようです。

元気に育っています。☝トップの画像。

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前回の巣立ちのエントリー

庭の柿の木にかけた巣箱のシジュウカラが19日目に7羽全て巣立った!  「シジュウカラ通信」  - 阿智胡地亭のShot日乗 (goo.ne.jp)

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下総の国の住人Kさん夫妻の韓国ソウルの旅  その4/完     青瓦台、景福宮、広蔵市場

2024年06月19日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

                  広蔵市場☝

1966年4月に伊予の国は新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからソウル旅行の多彩な写真付きメールが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。

Kさんは長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と東京の神田事務所にそれぞれが転勤になりまた顔を合わせるようになりました。

Kさんのメール⇒

「明洞でソルロンタンの朝食をとり、地下鉄で景福宮駅へ、ここから歩いて青瓦台へ向かう。

青瓦台は2年前まで大統領府で警備も厳しかったが今は一般開放されている。

歩いて行って最初に正面に見えるのが迎賓館、先日の韓日中の首脳会談が行われた場所だ。

 少し歩くと青瓦台の正門の前につく、開門35分前だが大型観光バス1台と20人くらいが集まっていた。

30分前に第一ゲートが開き正門の前まで進むとその後続々と観光バスと人が集まってくる。

9時ちょうどに正門が開きここで入場手続きかと思ったら違って第一ゲート横の手続き所へ案内され

パスポートを提示して完了、リストバンドの入場券が発行された。入場料は無料。

 正門を入ると芝生の大庭園と青瓦台本館が目の飛び込む。

指定されらルートで赤いじゅうたんが敷かれた階段を昇り2階へ、

歴代大統領の肖像画の展示された部屋、、接見室、大統領執務室など。

一階へ降りると外国要人より贈られた品々が展示してある。

日本関係では江戸切子グラス、第15沈壽官の夫婦湯飲みがあった。

 外に出て正面玄関からの大庭園の芝生と南山の眺めは素晴らしい。

坂を上っていくと大統領とその家族が生活した大統領官邸、1990年に新築された伝統的な木造様式で太い柱と格子、青瓦が映えている。

外側を一周する見学コースになっていて一部の部屋は扉が開けられ中を覗き込むことができる。

 青瓦台を出て向かいの神武門より景福宮に入った。

券売機で入場券を買おうとしたら案内のおばちゃんがパスポートを持ってこっちに来いという、

パスポートを別の入場係のおばちゃんに見せたら「無料」と言われて入場できた。

   景福宮は何度も訪れているが朝鮮後期の王、高宗が書斎として使用していた集玉斎が修復され図書館として

最近一般開放されているので興味があった。書斎なので落ち着いた部屋だった。

代表的な建物、香遠亭、慶会楼、勤政殿、興禮門、光化門を経て地下鉄に乗った。

日曜日、天気にも恵まれ大勢の観光客だった、韓服を着た韓国人、そして外国人も目立っていた。

 次は今回の旅の目的の一つ、牛生肉を食べるために広蔵市場へ向かった。

日曜日の昼時、市場の屋台街が大勢の人で賑わっていたが何とか目的の店を見つけた。

ユッケ(牛生肉)と活き手長だこ、チジミ盛り合わせ、マッコリを注文、タコは肉の中でうごいている。

全州でユッケビビンバを食べたことが有るが200gのユッケは初めて食べた、最高。

ユッケ

手長だこ、エビ、モツ鍋

  夕食はタッカンマリ、東大門タッカンマリ横丁が有名だが明洞の隣昔の雰囲気の残る忠武路の飲み屋街にある

テソンタッカンマリへ、創業35年の老舗でおばちゃんが一人で切り盛りしていた。

鍋に若鳥一羽とジャガイモ、ネギなどの野菜、ワンタン、韓国餅が入っている。

シメは麺を追加したら別のスープを足して細めの生めんを入れ充分に煮込んでいた、量も多かった。

この日は最後の晩だったので生マッコリ2本を開けた。

古い街、店なので店内にトイレがない、266m先にトイレがあると言われたが夜道で分かりずらいと思い

急いでホテルに帰った。

 

 帰国日の朝食はコムタン専門店1939年創業の老舗河東館へ、大統領官邸からの出前も断り続け歴代大統領

のそうそうたる面々がこの店を訪れたという逸話付きの店だ。

2018年火災にあったが再建され、店内は清潔で小ぎれいだった。

厨房の横の大きな冷蔵庫から大きな肉、内臓の塊を出して解体作業をしていた。

 ソウル旅5日間は天気にも恵まれ多くの人の助けで目的を達成できた。

Wi-Fiはレンタルせず、持参した旅の指さし会話帳も開かずになんとか乗り切った。

明洞、景福宮、広蔵市場等でコロナ禍から復活した多くの観光客、地元の人、若者を見て元気が湧いてきた。」

◎Kさん テレビや新聞の報道で知るソウルとはまた違う切り口もあって やはりその場に立つことが大切だなぁと思いました。

フェイクも含めて情報が飛び交う現在だからこそ「現場・現実・現物の三現主義」はいつのどんな状況でもますます間違いなさそうです。

 ソウルの今の多様な沢山の画像をありがとうございました。

 

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下総の国の住人Kさん夫妻の韓国ソウルの旅  その3/全4回    梨泰院クラス 

2024年06月15日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

緑莎坪陸橋から☝

1966年4月に伊予の国は新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからソウル旅行の多彩な写真付きメールが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。

Kさんは長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と東京の神田事務所にそれぞれが転勤になりまた顔を合わせるようになりました。

Kさんのメール⇒

「梨泰院には団体旅行の夕食で2回訪れているが街歩きは初めてだ。

漢江鎭駅を出るとサムソンLium美術館があるが時間がなくていけなかった。

ここはサムスンの創始者が収集した素晴らしい美術品が展示され企画展示以外は無料開放されている。

  ここから梨泰院へは下り坂と思っていたが少しの下りのあとはゆっくりとした長い上りが続いた。

大通りに面したビルは近代的で眺めが良いところのCaffeには若者で賑わっていた。

梨泰院駅前のHamilton Hotelの横道を抜けて国際グルメ通りへ、ここは2022年のハロウイン雑踏事故の

現場で思っていたより道幅が狭い、昼ということもあり閑散としていた。

  道を下っていくと緑莎坪陸橋にたどり着く、この橋はNetflixの梨泰院クラスに度々登場するスポットだ。

昼と夕暮れから夜の2回訪れたがここからの南山、ソウルタワー、解放村の眺めは素晴らしい。

陸橋の上で多くの人が写真を撮っている、他の日本人熟年夫婦も写真を撮っていた。

地下鉄で淑大入口駅へ移動して南山方向へ平坦な歩いていくと緩やかな登りにかかる、この先は1945

頃まで山と日本式の神社だけで神社への108段の階段があった。

戦後帰国した多くの人が住みだして解放村とよばれるようになり、階段には6年前にエスカレータが

設され今は観光名所となっている。

 

さらに登っていくと眺めの道路にでるとここに34軒のCaffeがある、このうち1軒が梨泰院クラスの

Caffe(タンバム)2号店の撮影地、現在はCliffと名前を変えて人気スポット、若いカップルで一杯。

少し待たされて3Fのルーフトップへ、天気も良くてドラマそのものの風景が広がっている。

後方を見れば新緑、青空、そしてソウルタワーが目の前に広がっている。

立ち入り禁止の階段には撮影で使われたタンバムの看板が置かれていた。

 さらに地下鉄で移動して会賢駅へ、南大門市場の反対方向の急な坂を上っていくと白瓦公園にたどり着く。

ここはソウル城壁の南側で発掘調査、復元で整備された城壁と公園で市民の憩いの場となっている。

梨泰院クラスでもラストシーンを含めて登場する。」

 

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下総の国の住人Kさん夫妻の韓国ソウルの旅  その2/全4回     鉄原DMZ(非武装地帯ーDe-Militarized Zone)ツアー

2024年06月11日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

          ☝北朝鮮の山並みと村

1966年4月に伊予の国新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからソウル旅行の多彩な写真付きメールが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。

Kさんは長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と東京の神田事務所にそれぞれが転勤になりまた顔を合わせるようになりました。

Kさんのメール⇒

北緯3815分に位置する鉄原は京城と元山を結ぶ京元線の中間地点で開発が進み、1920年代には人口10万人規模の経済圏の中心で、

観光地金剛山へ向かう鉄道の始発駅でもあった。

第二次世界大戦末期に38度線で分断され鉄原は北側に属し、1946年には住民統制、思想教育のために朝鮮労働党鉄原庁舎建てられた。

 工事前の労働党庁舎(Webより)

1950年朝鮮戦争勃発によりここは激戦地となり、1953年の休戦協定で軍事境界線が確定して韓国側に位置している。

 軍事境界線からそれぞれ2KmDMZで双方で厳重な管理が行われている。

韓国はDMZから520Kmの範囲で民間人統制区域を設定して軍人、許可され住んでいる住民、許可され通う住民、DMZ ツアーの客以外は立ち入り禁止となっている。

  日本人相手のツアーに申し込んだが最初に現れたのが台湾人で英語はOKだが日本語は駄目ということでガイドは困った顔をしていた。

つぎに中国人女性が来て4人とガイドの5人で出発した。

この中国人は中学から日本語を勉強して日本の大学に4年間留学していたとのことで日本語はペラペラ、

ガイドが伝える重要事項は台湾人に中国語で通訳していた。これでガイドも一安心。我が夫婦以外の3人は30代半ばの若者だった。

  ソウルを出発して1時間半位経って鉄原の村に近づくと両サイドに巨大なコンクリートブロックが見えてくる。

北が侵入してきたらブロックを道路側に倒して阻止する施設だという、何箇所かあった。

最初は民間人統制区域外の白馬高地戦争慰霊の丘、18952年近くの白馬高地で韓国軍と中共軍が争奪戦を繰り広げ2週間で

双方で2万人の死者が出た戦いで韓国軍が勝利したが戦死者を慰霊する場となっている。

 この近くの北側に金日成高地呼ばれる山がある、白馬高地の戦いに敗れた金日成は3日間この山で泣いていたのが由来だとガイドが教えてくれた。

民間人統制区域、DMZ下の第2トンネルへ入るツアーを運営する組織で手続きをして出発。

といっても先頭車はこの組織の先導車、大型観光バス1台と普通車20台くらいが続き最後は迷彩色の軍の車。

ガイドから韓国側の統制区域、DMZ,そして軍人の写真は不可、軍人と目を合わせることも不可との注意を受ける。

 統制区域入口のゲートで各車の乗車人数が届け出とあっているか厳重なチェックを受けてから入門、

田植えが終わった田んぼが広がっている。少し行くと片面林の方には強固なフェンス、地雷注意の看板。

 北朝鮮は軍事境界線下に南に侵入のためのトンネルをほっていたが4本は韓国により発見されている。

この内第二、第三トンネルが公開されているが今日は第二トンネルへのツアーだ。

第二はトンネル内の写真撮影OK,第三は板門店の近くでもありカメラの持ち込みは禁止されているという。

 口で写真を撮った後韓国が調査のために掘った急なトンネルを降りていくとほぼ水平のトンネルに突き当たる。

時折頭をぶつけながら進んでいき軍事境界線300m手前で進入禁止となる。

帰り道北側から開けた削岩機の跡が残っているのが見える。

 トンネルを出て一休みしていたら監視員からガイドに不適切な方向にカメラを向けていた人がいたと注意を受けたという。

  ガイドがうまく処理してくれて画像チェックを受けずに済んだ。

 次は鉄原平和展望台へ、駐車場からモノレールに乗って高台の展望台へと進む。

民間人統制区域の田園、手つかずの森のDMZ,DMZのすぐ外の高台に建つ南北双方の監視小屋、北朝鮮の山並みと麓の村が一望できる。

鉄原でもらった日本語ガイドパンフレットには「平康高原と北朝鮮宣伝村が眺められる」と書いてあった。

  ジタルズーム付きの最新望遠鏡がありノートパソコンの画面サイズ位の液晶画面付き、北朝鮮の監視小屋の国旗がはっきりと見える。

 次はDMZ南端から道路1本隔てたところにある月井里駅舎、もとはDMZ内にあったが現在の位置に移設した。

駐車場のDMZ側には軍事施設があり多くの軍人がいた、また駐車場には監視の軍人がいる。

駅舎、プラットホーム、線路が2列、朝鮮戦争で破壊された車両が展示されている。

線路のどちらかの1列は当時のまま、1列は移設に伴い新たに敷設したとのこと。1911年の印のあるレールが使われている。

DMZと軍人を映さないように慎重にシャッターを押した、やはり緊張する。

田んぼの中を進み戦争でほぼ破壊された金融組合建物、氷倉庫、農産物検査所を横目に見て統制地域を出た。

するとすぐに労働党庁舎が見えるが、現在修復保存作業中で大きな幕でおおわれていた。

  遅めの昼食は海鮮うどんで麺、イカ・貝類の具とも二人前くらいのボリュームで私以外の3人は食べ残していた。ビールは旅行会社のサービスだった。

食後漢灘江渓谷の崖にオーバーハングし作られた歩道を散策してソウル市内へ戻った。

  市内に入るとガイドから市庁近辺でデモが行われているので注意するようにとのことだった。

ところが目的地近辺で下車したら向かい側の車道を警察に先導されたデモ隊が進んできた。

横断歩道を警察官と交差するような形でなんとか渡りきりデモ隊を眺めていた。

  ガイドによると同性愛者の団体、先頭は中型トラックに舞台を仮設してその上で数人の若者が踊っている。

その後ろに人が続く、この連隊が5つ、長さ1Kmくらいのデモ隊で大音量とともにソウル駅方向へ進んでいく。

警察官が前後、歩道側を固め歩道には大勢の見物客で騒然としていた。

  夕食は手長ダコ、エビ、モツの鍋で眼の前で手長ダコを切るパフォーマンスつき、シメは残った少しのスープにご飯とチーズを入れた炒飯。

夕食の動画 https://www.youtube.com/watch?v=Z3oZ5OtnrEw&ab_channel=masaokuzuu  

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下総の国の住人Kさん夫妻の韓国ソウルの旅  その1/全4回    「民俗村で冬冬酒(ドンドンチュ)」

2024年06月09日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

1966年4月に伊予の国新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからソウル旅行の多彩な写真付きメールが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。

Kさんは長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と東京の神田事務所にそれぞれが転勤になりまた顔を合わせるようになりました。

 Kさんのメール⇒「5年ぶりの海外旅行、8年ぶりのソウルへの旅を楽しみました。

目的は鉄原地区へのDMZツアー、民俗村で冬冬酒を飲む、青瓦台見学、広蔵市場で牛生肉を食べること。

 

ついた日の夕食はワタリガニの醤油漬(カンジャンケジャン)の店へ、小さな店だがほぼ満席だった。

翌朝はホテルを出て1909年から1936年に建築され現在も使用されている建物の写真を撮りながら干し鱈スープの店へ。

干し鱈スープは二日酔いに効くと言われる韓国料理で初めて食べた。胃に染み渡る。

古い建造物は旧明治座(1936年)/現明洞芸術劇場、丁子屋百貨店(1921年)/ロッテヤングプラザ、

京城電気本社(1928年)/韓国電力公社、朝鮮商業銀行(1909年)/ウリ銀行鐘路支店、京城府民館(1935年)

/ソウル市議会を見た。ソウル市内には他にも10棟くらいの古い建物が残されかつ使われている。

 明治座

丁子屋百貨店

京城電気本社

 朝鮮商業銀行

京城府民館

地下鉄で江南へ移動してバスで1時間ほどの水原の韓国民俗村へ。ソウル市内、高速道路もバス専用レーン

があるので渋滞知らず。パスポートを提示してシニア割引で入場できた。

ちょうど遠足シーズンで幼稚園児、小中学生の団体で村内は賑やかだった。

  1986年冬に知り合いから世界三大銘酒の一つという冬冬酒(ドンドンチュ)を進められここを訪れている。

昔からのドブロクの上澄みで伝統文化継承の目的で国立機関の民俗村だけで製造が認可されている酒だ。

今まで3回訪れているが前回は時間なくて飲めなかったのでもう一度飲みたくて訪れた。

村の奥の食堂市場で新緑、青空のもとネギ入り海鮮チヂミをあてにドンドンチュ、最高だった。

ゆっくりと民族、文化を再現した施設を見ながら公演場へ、民族衣装を着た演技が始まった。

まだ舞台に立てない若者団員が脇で声援を送りながら写真撮影に応じてくれた。

 民俗村にて

ソウル市内の戻り南大門市場へ、タチウオ横丁で名物タチウオの煮付けを食べた。

見た目は真っ赤だが全然辛くはない。

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庭の柿の木にかけた巣箱のシジュウカラが19日目に7羽全て巣立った!  「シジュウカラ通信」 

2024年05月16日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

   ☝孵化18日後

千葉県印旛郡栄町に住む友人のKさんから待ち望んでいた嬉しい巣立ちを報じた「シジュウカラ通信」が入りました。

⇒「巣立ち前日の孵化18日目には外観上は親と見分けがつかないくらいまで成長していた。

23日かと思っていたら、515日孵化19日目でシジュウカラが巣立ちました。

前日ふたを開けたときは巣箱にいたのですが、15日夕方ふたを開けたら空になっていたという。

気が付かないうちに巣立ったようだ。

  16日小雨のなか確認に行くと巣箱に7羽がいたが、1羽が明けたふたから飛び立っていった。

巣立ったものの雨なので戻って雨宿りをしていたようだ。

30分後再度確認に行くと3羽だけが残っていた。

  孵化後親鳥が頻繁にえさを運ぶ姿が確認されなかったので育児放棄で餓死するかと

心配していましたが、元気に巣立って安心しました。

この子たちが来年戻ってきて同じ巣で子育てすることを願うばかりです。

孵化13日後

孵化15日後

◎kさん 

おめでとうございます。安心しました!!送って頂く「シジュウカラ通信」にずっと興味津々でしたが あまり何回もふたをあけたら育児放棄?にならない?と

相方もとても心配していましたので彼女と二人で大喜びしています。

  七羽すべて自立したのが凄くてうれしいです。

早速今朝のブログにアップします。

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庭の柿の木にかけた巣箱のシジュウカラの卵が孵化して10日経過した。  「シジュウカラ通信」Youtube    

2024年05月08日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人のKさんから「シジュウカラ通信」Youtube の連絡が入りました。

⇒「シジュウカラが孵化して10日経ちました。

生まれてすぐは本当に赤子でしたが、目も開いてきて、特に羽の骨格の成長が目立ちます。

 巣箱のフタを開けてすぐは親鳥が餌を運んできたと勘違いして口を開けるのですが、

動画モードに変更するためにいったんふたを閉めて再度開けてみると異変に気付いていて

身を固くして動いてくれません。

 今後の成長が楽しみです。

 シジュウカラ通信」としてYoutubeUpしたので見てください。」

シジュウカラ通信

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庭の柿の木にかけた巣箱のシジュウカラの卵が孵った!     千葉県印旛郡栄町に住む友人から  

2024年05月02日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人から待っていたシジュウカラの続報が入った。

⇒「抱卵を確認した翌日恐る恐る巣箱のふたを開けてみると親鳥はいなくて卵8ケを確認できた。

卵を毎日1ケずつ生むというから8日間よく頑張ってくれた。

その後2日に一回ぐらい蓋を開けて様子を見ていた。

 昨日は抱卵している様子が確認できた。順調にいって5月5日ごろには生まれそうと期待していた。

今日ふたを開けてみるとびっくり、卵7ケはかえっていた。

生まれたばかりで目は空いていない、えさを求めて口を開けているのは4羽だけだった。

 

  あとは元気に巣立ってほしいと願うばかりです。」

シジュウカラ(2)

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庭の柿の木にかけた巣箱に入ったシジュウカラが抱卵をはじめた!     千葉県印旛郡栄町に住む友人から 

2024年04月20日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人からシジュウカラの巣の続報が届いた。

⇒「331日に柿の木にシジュウカラが飛来しているのを見て、写真に撮ったのが4月1日だった。

その後も里山の方向から苔のようなものを運んで巣作りをしていた。

 

巣箱を開けてみると底には苔がびっしりと敷かれていた。

 その後も巣箱に出入りしていたので開けてみると苔の上に羽毛のようなものがあった。

巣が完成してすぐに産卵が始まるかと思っていたが、近くの木には飛来するものの巣箱への出入りは確認できなかった。

  子育てを止めてしまったのかとあきらめていたが19日に巣箱に入る姿が確認できたので

開けてみると卵と抱卵するシジュウカラが・・・

抱卵開始から2週間でヒナがかえるらしいので楽しみです。

  フタを開けて様子を見たい気持ちと邪魔をして子育て放棄になったらと思う気持ちが複雑です。」

〇 Kさん ヒナが孵るのが楽しみですね。

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シジュウカラが庭の柿の木にかけた巣箱に営巣をはじめた!     千葉県印旛郡栄町に住む友人から   

2024年04月03日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人から心浮き立つ便りが届いた。

⇒「春先になると庭にシジュウカラがやってくる。

数年前に産卵、子育て用の巣箱を作ってカキの木にかけておいたが思い通りにはいかなかった。

  今年初めて1羽が苔のようなものをくわえて巣箱に入っていくのが確認できた。

 

調べてみるとメスが苔のようなもので巣作りを始め、順調にいけば5月中旬には巣立ちとなるようだ。

  これから一ケ月半順調に育つよう祈るばかりです。

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千葉県成田市の「坂田が池」と栄町の「房総のむら」の水鳥や野鳥

2024年02月10日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町住む友人Kさんから 水鳥や野鳥の写真付きメールが届きました。

(トップの写真はハシヒロガモ

⇒「絶滅危惧種のトモエガモの生息数が回復して印旛沼には数万羽が飛来しているとのニュースがあった。

散歩コースの坂田が池clickにもいるかの知れないと期待して久しぶりに散歩がてら出かけたが

トモエガモには出会えなかった。

  鴨の数は多くなかったがマガモ、ハシヒロガモ、コガモ、オオバンが羽を休めていた。

見かけない白い鳥数羽がいた、すぐに水中にもぐり数メートル先に突然現れる動きをしている。

帰ってから調べてみると鴨の仲間のミコアイサ(通称パンダガモ)だった。

 

他にもカワセミが一羽いたが動きが早く写真は撮れなかった。

 

隣の房総のむらへ戻ってくると野鳥の撮影グループが10人くらい大きなカメラをもっていた。

みんなのカメラと同じ方向にレンズを向けているとメジロがやってきたが突然のことで

ピンボケの写真になった。

 

この近くで下や上を見ているとシジュウカラ、シロハラ、ジョウビタキ、コゲラが餌を

ついばんでいた。

なぜか大きなカメラを持った人たちはこの鳥たちには見向きもしていなかった。

 

最近googleの画像で検索機能を初めて知った、花、鳥、建築物等の名前が一発で表示される。

特に花、鳥の名前調べに重宝している。」

   マガモ

 コガモ

オオバン

ミコアイサの雄と雌

シジュウカラ

シロハラ

ジョウビタキ

 コゲラ

 

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印旛沼の里山住人の「沖縄の絶景・グルメ旅(3)完」       南海の天の贈り物・珠玉のグルメを心ゆくまで味わう。

2024年01月23日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町住む友人Kさんから新年あけて間もなく「沖縄 絶景・グルメ旅」の写真付きメールが届きました。

  Kさんとは、1966年4月に愛媛県新居浜市の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来だから長い付き合いになる。

→「3日目は曇り空で時折小雨がぱらつく中、車で2時間ほどの北を目指した。

旅行パンフレットには古宇利島大橋が絶景として紹介されているが曇り空のため果報バンタのような

いい色の写真が取れない。古宇利島最先端のハートロックも、古宇利島オーシャンタワーからの写真も同じ、残念だ。

 美ら海水族館近くの海人料理 海邦丸で昼食、地魚料理の店だ。

注文したのは沖縄料理14品が小鉢に入った沖縄御膳と地魚の海鮮丼。沖縄でしか食べられない料理だ。

 昼食の後は今回の沖縄旅行のメインイベント 美ら海水族館へ、休日ということもあり周辺、館内は大混雑でマスクをつけた。

 大水槽のジンベイザメのところまでも沖縄近海のうみを再現した水槽が多くあり、かつ綺麗な魚がいてなかなか前へ進めない。

なんとか辿り着くと大きなジンベイザメ、マンタが優雅に泳いでいた。

 今回の沖縄料理で一番美味しかったのは島豆腐だった。壱岐島の旅館で島豆腐がでて感激したが

今回も同じだった。普段はスーパーの豆腐しか食べていないので。沖縄特有の料理で食べなかったのはヤギ肉、刺身もあるらしいがチャンスがなかった。

  長女家族がオーストラリアへ帰国するので、12日見送りで9時頃成田空港に行ったが出発・到着フロアーともコロナ前の活況にほぼ戻っていた。

しかも外国人の観光客が90%以上を占めていた。

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印旛沼の里山住人の「沖縄の絶景・グルメ旅(2)全3回」       南海の天の贈り物・珠玉のグルメを心ゆくまで味わう。

2024年01月22日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町住む友人Kさんから新年あけて間もなく「沖縄 絶景・グルメ旅」の写真付きメールが届きました。

→「2日目も快晴、車で1時間ほど北の郊外へ観光に。

先ずは「ビオスの丘」へ、欄の栽培、販売会社の経営ということで園内のあちこちに綺麗に咲いていた。

太い丸太で作ったブランコ、アスレチック遊具、池を小船で遊覧、沖縄特有のあぐー豚、ヤギ、水牛の

展示等子供から大人まで楽しめる施設だ。

 海中道路の道の駅あやはし館一休みしてから浜比嘉島へ、浜辺の水際ではキョウジシギか戯れていた。

「古民家レストランてぃーらぶい」で昼食。

90年の古民家で中身そば膳をいただく。沖縄そばですぐに思い出すのはラフティーだが中味(豚のもつ)

そばは沖縄の一般家庭の料理だと言う。副菜のジーマ豆腐の揚げ出しも最高だった。

 

宮城島へ渡り果報バンダの高台から海を眺める、快晴のもとエメラルドグリーンが素晴らしい。

 

更に伊計島に渡り伊計ビーチで一休みしてからさとうきび畑を抜け最北端へ、ここからの眺めも

素晴らしい。

 

ホテルに戻り夕食は車で10分ほどの石嶺食堂で沖縄料理を堪能した。

焼きてびち、ぐるぐるんの唐揚げ、ゴーヤチャンプル、海ぶどう、島豆腐、豆腐よう、タコライス、

ミミガー等。泡盛の古酒は壺から出してくれお薦めのロックで頂く、まろやかで美味しい。

次は瑞泉をロックで、こちらはキリッとした爽やかな感じ。

快晴に恵まれ景色、沖縄料理ともに最高の一日だった。

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印旛沼の里山住人の「沖縄の絶景・グルメ旅(1)全3回」       南海の天の贈り物・珠玉のグルメを心ゆくまで味わう。

2024年01月19日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町住む友人Kさんから新年あけて間もなく「沖縄 絶景・グルメ旅」の写真付きメールが届きました。

→「オーストラリアに住む娘家族が来日、沖縄へ5人で旅行した。

 行きは7日早朝のjetstar成田ー那覇便だったがjetstarは暮れから7日までストライキ、一部の便に欠航

が出ていたが能登半島地震後にストライキを中止したので予定通り、ただし複雑な思いだった。

 

那覇空港近くでレンタカーを受け取り4日間使用、アッシー君が2人いたので運転せず、昼からビール。

那覇市内の駐車場、ホテル、郊外の観光地には「わ」「れ」ナンバーのレンタカーだらけ、市内では

タクシーの数が極端に少なく地元民、観光客ともに影響を受けているようだ。

  首里城からの眺め

 首里城近くの沖縄料理店で昼食、まずは沖縄そば(らふてぃー)とオリオンビール。

ドライでないオリオンビールはまろやかで美味しかった。

 石畳の坂道を登り首里城公園へ、成人式を終えた着飾った若者も見受けした。

気温は20度、青空のもと高台から町並み、海を見渡した。

夕方のホテルのロビーは成人式関連のパーティー参加者で混雑していた

 ホテルで一休みしてから国際通りへ、日曜日の午後はホコ天になるので周辺は混雑していた。

田舎暮らしなので久しぶりに都会へ出た感じになった。

 

ぶらぶらしながら牧士公設市場へ、ここでは一階の鮮魚店で魚を買うと二階の食堂で調理してくれる

システムで、大きめの魚(名前は忘れた)の半身、中ぐらいのエビ、小エビの刺し身を購入した。

大きめの魚は刺し身、バター焼き、アラ汁に、中ぐらいのエビはバター焼きにしてくれた。

島らっきょう、海ぶどう、泡盛も注文して沖縄に来たという大満足の夕食となった。

店を出るとすでに薄暗くなってきたが相変わらず人では多い、細い路地には居酒屋がテーブルを出して

賑わっていた。なぜか昭和の雰囲気の光景だった。

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印旛沼の里山住人の「道東の絶景・グルメ旅(3)全3回」       北海の天の贈り物・珠玉のグルメを心ゆくまで味わう。

2023年12月25日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町出身で今も同地に住む友人Kさんとは、1966年4月に愛媛県新居浜市の工場独身寮で出会って以来の長い付き合いだ。

 そのKさんから「道東の絶景・グルメ旅」の写真付きメールが来ました。

⇒「ツアー名に珠玉のグルメ旅という文言が入っていた。

毛ガニ、厚岸産ブランド牡蠣、浜中産バフンウニ、標津町のホタテ&鮭の五つをいう。

 阿寒湖畔の温泉ホテルの夕食は北海道の食材をつかったものでメインは毛ガニの半身↑、他にエゾ鹿肉シチュー、 

阿寒湖の鯉の洗い&サーモン、石狩鍋、山菜釜飯そして北海道のグラスワインを追加。

鯉の洗いとサーモン

釧路での朝食はホテルから徒歩10分の和商市場で買手丼、丼ぶりご飯の上に好きな寿司ネタを選んで入れる

釧路名物、旅行会社から一人1500円分の食事券が与えられた。

ボタンエビ、オヒョウ、メンメ、ホッキ貝、ツブ貝、タラの北海道のネタを注文したので予算オーバー。

東京では食べれないような珍しくかつ新鮮なネタの勝手丼に満足した。

夕食は厚岸町の味覚ターミナル コンキリエの炙屋でカキ、ホタテ、サンマの炭火焼と生カキだった。

勝手丼のネタ

 勝手丼

根室海峡に面した標津町は漁業の町で特に秋鮭、ホタテが有名でこの町で昼食をとった。

食事はホタテフルコースと鮭フルコースの選択制だったので一つずつ注文した。

特にホタテの刺身と貝焼きは大きく身も厚く新鮮で絶品だった。

厚岸湖ではカキの養殖がおこなわれており厚岸産ブランド牡蠣として有名、また隣町の浜中町ではウニの養殖

が行われておりこちらも有名。

また浜中産バフンウニは殻付きで出てきた。

特に生カキは美味しく追加注文したが写真を撮る前に食べてしまった。

 

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