阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

利根川の土手から見るダイヤモンド富士(?)と二重富士

2025年02月04日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

下総の国の住人Kさんから興味深い便りをもらいました。

⇒「我が家の近くの利根川の土手からのダイヤモンド富士は1月31日か2月1日ですが
今まで写真撮影に行ったことは有りませんでした。
1月30日は天気も良かったので下見のつもりで利根川土手に行きました。

最初は薄曇りで富士山は確認できなかったので車の中で一休みしてから再度土手に登った。
せっかく来たので太陽の写真だけでも撮って帰ろうと思いシャッターを切ったら
太陽と富士山が確認できたが、残念ながらダイヤモンド富士ではなかった。

しばらくすると右側(太陽が沈んだ反対側)に黒い雲のようなものが現れた。
しばらくの間写真を撮ってから家に帰った。

翌日パソコンで写真を拡大してみると黒い雲ではなくて富士山の形をしていることに
気づいてネットで調べたら「二重富士」だったようだ。

「見る人の近くに比較的暖かい空気の層があり、富士山の近くに冷たい空気層がある場合
に起こるという」非常に珍しい現象のようだ。
この現象は太陽が富士山の真後ろに沈む時にしか現れない貴重な体験だった。

翌31日にダイヤモンド富士に期待して寒い中利根川の土手に登ったが厚い雲で太陽は現れなかった。

 利根川と二重富士


ダイヤモンド富士(?)


二重富士

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成田市にある「坂田が池公園」で「ホシハジロ」に出会ったと下総の国から便りがあった。

2025年01月28日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

下総の住人Kさんから便りがありました。⇒「今年2回目の散歩で坂田が池公園に行きました。        坂田ヶ池総合公園 |FEEL成田 成田市観光協会公式サイト

一回目は珍しい鳥はいなかったのですが今回は「ホシハジロ」に出会いました。

雄2羽、雌1羽の3羽で初めてでした。

写真を撮っている時は初めて見る鳥だったので名前は知りませんでしたが

家に帰ってgoogleの写真で検索で一発でわかりました。

以前は鳥、花の名前を調べるのに苦労しましたが便利になりました。

 首を丸めてクチバシは羽の中に突っ込んでお休みモードがほとんどで、首を出している写真は1枚しか撮れませんでした。

お休みモードのホシハジロもユーモラスで可愛いです。

 他にはマガモ、

カモ、オオバンが羽を休めていました。

 また7-80Cmくらいの鯉が水面に出てきました。

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下総の国の住人Kさん夫妻の [モロッコの旅]    その3   荒涼とした乾燥地帯

2025年01月14日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

1966年4月に伊予の国は新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからモロッコ旅行のレポートが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と

東京の神田美土代事務所にそれぞれが転勤になり、東京でまた顔を合わせるようになりました。

Kさんのメール⇒「モロッコ国内を7日間で2千数百Kmバスで移動したがそこは荒涼とした乾燥地帯でした。

多くの川を目にしましたが水を湛えていたのは2,3本くらいでした。

耕地は整備され地上に灌漑用の土管が設置されたところもあったが水は流れていなかった。

水が確保されたわずかな畑では集団で収穫作業をしていた。

 わずかに水のある所に人は住み着いている、当然のことだけれども。

世界遺産シャウエンは人口4万人、世界遺産フェズは人口120万人、いずれも標高数百mで

山を背負っているので水が湧き出ている。

 

街、村の入口ではどこでも警察官が目を光らせている、我々のバスも尋問にあい10分以上停止させられた。

モロッコはイスラムのルールが比較的に緩いようで女性のビシャブに着用が田舎ではほぼ100%だったが

大都市の若い女性はほとんど着用していなかった。

  ホテルのレストランに侵入した猫

◎Kさんへお礼のメールをいれました。⇒「カサブランカ/モロッコとは さすが海外各地の歴訪を重ねてきたK夫妻のチョイスです。

また旅先まで20時間の飛行をものともしない日本人ツーリストが何組もいることも頼もしいです。

 モロッコはハリウッド映画などによく登場している街だとは思いますが 10日間(現地は1週間?)の滞在が十分楽しめるんですね。

早速検索しましたが 人口は日本の四分の一ほど 面積は日本よりやや広いんですね。」

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下総の国の住人Kさん夫妻の [モロッコの旅]    その2      「アイト・ベン・ハッドゥ」やモロッコのお金事情あれこれ

2025年01月11日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

☝ハッサン二世モスク

1966年4月に伊予の国は新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからモロッコ旅行のレポートが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と

東京の神田美土代事務所にそれぞれが転勤になり、東京でまた顔を合わせるようになりました。

Kさんのメール⇒モロッコに「アイト・ベン・ハッドゥ」という世界遺産がある。

ここは映画のロケ地としても有名で「アラビアのロレンス」の撮影地でもある。

アイト・ベン・ハッドゥの丘の上でガイドがあそこでアラビアのロレンスのロケが行われたと説明してくれた。

15NHKでアラビアのロレンスが放映されたのでジッと見ていたがどのシーンかわからなかった。

この映画は63年前に公開されたが今でも奇麗な画像で感動した。

  モロッコの通貨はディルハム(Dh)で15円/Dh位です。

旅行会社からDhへは現地についてから日本円で両替できるとお知らせがあった。

   成田空港ではラクダに乗るオプション代として100EUR(20EUR5枚)と使い勝手の良い米1$を50枚両替した。

Dhはモロッコを出国すると紙屑になるのでいくら両替するか考えていたが出発朝に情報を再確認すると

ビール小瓶が1,000円との記事を見て3万円を両替することとした。

   3日目翌日の砂漠の日の出を見るときにラクダに乗るオプションの申し込みと集金があった。

40EUR,45$、7千円のいずれかでお支払いくださいと、元々ラクダ代として80EURを準備したつもり

だったが財布を見ると酒代が響いてDhの残りが少ない。EURを回すことにしてラクダ代は日本円で支払った。

    ラクダ使いには20Dhのチップを渡してくださいとのこと、その時Dhの小銭が無かったので奮発して3$を

渡したら受け取り拒否みたいな態度をされたが強引に押し切った。

    モロッコではバスで移動中のトイレ(ドライブイン、モーテルのカフェ等)では掃除をする人が料金を

徴収している、2Dh払ってくださいとガイドから注意があった。

マラケシュの街歩きで急にトイレに行きたくなり入口で料金を徴収していた老人にDhが無かったので1$

紙幣を出したらこれも拒否されたが急いでいたので強引に通りすぎた。

 

ガイドからモロッコ最終日にマラケシュからカサブランカへのバス移動でトイレ休憩があるので2Dh

小銭は残しておいてくださいと注意があった。

前日のDhの残りは10Dhあったのでこれをあてた、Dhはすべて使い切った。

  現地ではお金の制約があるレストラン、土産物屋があった。

1)昼食、夕食のレストランでは何らかの飲み物(水、ジュース、ミントティー、アルコール等)を注文する

  必要があったが、飲み物代にクレジットカードは使用できない

2)EUR,$の支払いはOKだが1$紙幣は不可

3)クレジットカードはある金額以上でないと使用できない

 

モロッコで6つのホテルに宿泊したが両替可能なホテルが一つ、ATMのあるホテルが一つだった。

超着日に両替した3万円分のDh、円、EUR、$、カードを使って再度の両替、ATMを使用せず乗り切った。

マラケシュの広場散策時同じグループのご婦人からどうしても買いたいものがあるが10EUR,

EURを持っていたら貸してほしいと言われ20EURを貸してあげた。

 

海外旅行に行ったら自分宛てに絵葉書を出すようにしている。

シャウエンの街歩きで絵葉書を購入、店番の少年に切手は有るかと聞いたら隣の店に案内されて

出てきたのが切手シートのようなもの、これは違うと思い購入しなかった。

  その日のホテルで切手は有るかと聞くとないという、ガイドに切手を変えるところが有ったら教えてほしい

と頼んだ。翌日ホテルにバスが着くとそれらしき店を発見した。

店番の老人に日本への切手はいくらかと聞くと想像より安かったので怪訝な顔をしていると、他の客から

こんなに沢山ハガキを預かっているで大丈夫だという。

  ここで預けた絵葉書は3ケ月たった今も届いていない。

1ケ月後に「Air mail」と書くのを忘れていたと気づいたが船便でも未だとは・・・

 

 

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下総の国の住人Kさん夫妻の [モロッコの旅]    その1 

2025年01月10日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

 サハラ砂漠の夜明け☝

1966年4月に伊予の国は新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからモロッコ旅行のレポートが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と

東京の神田美土代事務所にそれぞれが転勤になり、東京でまた顔を合わせるようになりました。

Kさんのメール⇒  昨年101日から10日間モロッコに行ってきました。

日本からカサブランカ/モロッコへの最短ルートはパリ経由ですが、日本の旅行会社のほとんどは

中東経由で飛行時間は合計20時間かかります。

  成田・・・ドバイ、ドバイ・・・カサブランカ、ドバイ・・・成田はエミレーツ航空A380の総2階建て

の機体が満席だった。

    モロッコ王国の国教はイスラム教で人口の90%はイスラム教徒という。

アルコールは禁止されているがモロッコ産のビール、ワインはあり、大きな都市のスーパー

Carrefourの隣には酒店が併設されている。

    宿泊したホテルの酒の扱いは次の3つとなる。

1)レストランで酒を提供する

2)レストランで酒は提供できないが持ち込んだ酒は飲酒可能

3)レストランで酒は提供できない、かつ持ち込み不可、ただし部屋飲みは可能

    このような制約があるのでアルコール代金は異常に高い、ビール小瓶で1,000円も

取られる、小遣いのほとんどがアルコール代で消えた。結局一晩だけ休肝日となった。

  シャウエンという町のホテルでは酒が提供されないとのことで酒好き数人とホテル近くの酒屋に行った。

レストランンの裏にある小さなドアーをくぐり階段を下りてゆくと酒がずらりと並んでいた。

今晩用の缶ビールとワインを買って帰る途中にワインオープナーを持ってきていないことに

気づきボトルを見るとコルク栓だった。

    酒店で開けてもらおうと戻ろうとしたら日本人ガイドがオープナーを持ってきているので貸して

上げると言ってくれた。急な坂道を登ってきたのでホテルのロビーで一休みしているとガイドが

庭を小走りしていた。後で聞くとオープナーが無かったので近くのレストランに借りに行ってくれたとのことだった。

   シャワーを浴びてから夕食前にビール、食後部屋でワインを開けた。

この日のワインはモロッコ産の「GRIS」、日本では灰色ワインと呼ばれている。

白ワイン用のブドウを赤ワインと同じく皮、種ごと発酵させたワイン、最近日本でも流行っている

らしい。カサブランカの空港の出国後の免税店で1,800円で売られていた。

   古都フェズのホテルにチェックインしたときガイドから明日のホテルではアルコールの販売は無いが

持ち込んでレストランで飲むことはできる、アルコールの購入はこのホテルから10分くらいの

Carrfourが最後の店、夕食後は閉店しているので買いたい人は夕食前にと案内が有った。

   数人が食事の集合時間ギリギリに小走りで戻ってきたがなぜか買えなかったとがっかりしていた。

この晩初めてレストランでモロッコワインのハーフボトルを頼んだ、なんとテイスティグつき

だった。この後2つのホテルでワインを飲んだがこちらもテイスティグつきだった。

    今までの海外旅行でアルコールが飲めなかったのは4回ほどだった。

1)安東/韓国の民泊では置いていなかった。

2)全州/韓国の定食屋でも置いてなかった(客の回転を良くするため?)

3)ボルネオ島/マレーシアのテングザルを見に行った田舎の食堂(イスラムの村だった)

4)ケララ州/インドのホテル(州の法律でアルコールが禁止されている)

 ◎Kさんへお礼のメールをいれました。⇒「カサブランカ/モロッコとは さすが海外各地の歴訪を重ねてきたK夫妻のチョイスです。

また旅先まで20時間の飛行をものともしない日本人ツーリストが何組もいることも頼もしいです。

 モロッコはハリウッド映画などによく登場している街だとは思いますが 10日間(現地は1週間?)の滞在が十分楽しめるんですね。

早速検索しましたが 人口は日本の四分の一ほど 面積は日本よりやや広いんですね。」

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庭の柿の木にかけた別の巣箱のシジュウカラが新たに五羽孵化した。  「シジュウカラ通信」 

2024年06月29日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人のKさんから別の巣箱での孵化を伝える「シジュウカラ通信」が入りました。

  6月19日のメール

一回目とは別の巣箱で抱卵中だったシジュウカラが昨日孵化しました。

卵は6ケだったのですがすべて孵化したかどうかは確認できていません。

順調にいけば7月7日ぐらいが巣立ちになると思います。

  6月27日のメール

シジュウカラの卵は6ケあったのですが孵化したのは5羽のようです。

元気に育っています。☝トップの画像。

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前回の巣立ちのエントリー

庭の柿の木にかけた巣箱のシジュウカラが19日目に7羽全て巣立った!  「シジュウカラ通信」  - 阿智胡地亭のShot日乗 (goo.ne.jp)

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下総の国の住人Kさん夫妻の韓国ソウルの旅  その4/完     青瓦台、景福宮、広蔵市場

2024年06月19日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

                  広蔵市場☝

1966年4月に伊予の国は新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからソウル旅行の多彩な写真付きメールが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。

Kさんは長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と東京の神田事務所にそれぞれが転勤になりまた顔を合わせるようになりました。

Kさんのメール⇒

「明洞でソルロンタンの朝食をとり、地下鉄で景福宮駅へ、ここから歩いて青瓦台へ向かう。

青瓦台は2年前まで大統領府で警備も厳しかったが今は一般開放されている。

歩いて行って最初に正面に見えるのが迎賓館、先日の韓日中の首脳会談が行われた場所だ。

 少し歩くと青瓦台の正門の前につく、開門35分前だが大型観光バス1台と20人くらいが集まっていた。

30分前に第一ゲートが開き正門の前まで進むとその後続々と観光バスと人が集まってくる。

9時ちょうどに正門が開きここで入場手続きかと思ったら違って第一ゲート横の手続き所へ案内され

パスポートを提示して完了、リストバンドの入場券が発行された。入場料は無料。

 正門を入ると芝生の大庭園と青瓦台本館が目の飛び込む。

指定されらルートで赤いじゅうたんが敷かれた階段を昇り2階へ、

歴代大統領の肖像画の展示された部屋、、接見室、大統領執務室など。

一階へ降りると外国要人より贈られた品々が展示してある。

日本関係では江戸切子グラス、第15沈壽官の夫婦湯飲みがあった。

 外に出て正面玄関からの大庭園の芝生と南山の眺めは素晴らしい。

坂を上っていくと大統領とその家族が生活した大統領官邸、1990年に新築された伝統的な木造様式で太い柱と格子、青瓦が映えている。

外側を一周する見学コースになっていて一部の部屋は扉が開けられ中を覗き込むことができる。

 青瓦台を出て向かいの神武門より景福宮に入った。

券売機で入場券を買おうとしたら案内のおばちゃんがパスポートを持ってこっちに来いという、

パスポートを別の入場係のおばちゃんに見せたら「無料」と言われて入場できた。

   景福宮は何度も訪れているが朝鮮後期の王、高宗が書斎として使用していた集玉斎が修復され図書館として

最近一般開放されているので興味があった。書斎なので落ち着いた部屋だった。

代表的な建物、香遠亭、慶会楼、勤政殿、興禮門、光化門を経て地下鉄に乗った。

日曜日、天気にも恵まれ大勢の観光客だった、韓服を着た韓国人、そして外国人も目立っていた。

 次は今回の旅の目的の一つ、牛生肉を食べるために広蔵市場へ向かった。

日曜日の昼時、市場の屋台街が大勢の人で賑わっていたが何とか目的の店を見つけた。

ユッケ(牛生肉)と活き手長だこ、チジミ盛り合わせ、マッコリを注文、タコは肉の中でうごいている。

全州でユッケビビンバを食べたことが有るが200gのユッケは初めて食べた、最高。

ユッケ

手長だこ、エビ、モツ鍋

  夕食はタッカンマリ、東大門タッカンマリ横丁が有名だが明洞の隣昔の雰囲気の残る忠武路の飲み屋街にある

テソンタッカンマリへ、創業35年の老舗でおばちゃんが一人で切り盛りしていた。

鍋に若鳥一羽とジャガイモ、ネギなどの野菜、ワンタン、韓国餅が入っている。

シメは麺を追加したら別のスープを足して細めの生めんを入れ充分に煮込んでいた、量も多かった。

この日は最後の晩だったので生マッコリ2本を開けた。

古い街、店なので店内にトイレがない、266m先にトイレがあると言われたが夜道で分かりずらいと思い

急いでホテルに帰った。

 

 帰国日の朝食はコムタン専門店1939年創業の老舗河東館へ、大統領官邸からの出前も断り続け歴代大統領

のそうそうたる面々がこの店を訪れたという逸話付きの店だ。

2018年火災にあったが再建され、店内は清潔で小ぎれいだった。

厨房の横の大きな冷蔵庫から大きな肉、内臓の塊を出して解体作業をしていた。

 ソウル旅5日間は天気にも恵まれ多くの人の助けで目的を達成できた。

Wi-Fiはレンタルせず、持参した旅の指さし会話帳も開かずになんとか乗り切った。

明洞、景福宮、広蔵市場等でコロナ禍から復活した多くの観光客、地元の人、若者を見て元気が湧いてきた。」

◎Kさん テレビや新聞の報道で知るソウルとはまた違う切り口もあって やはりその場に立つことが大切だなぁと思いました。

フェイクも含めて情報が飛び交う現在だからこそ「現場・現実・現物の三現主義」はいつのどんな状況でもますます間違いなさそうです。

 ソウルの今の多様な沢山の画像をありがとうございました。

 

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下総の国の住人Kさん夫妻の韓国ソウルの旅  その3/全4回    梨泰院クラス 

2024年06月15日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

緑莎坪陸橋から☝

1966年4月に伊予の国は新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからソウル旅行の多彩な写真付きメールが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。

Kさんは長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と東京の神田事務所にそれぞれが転勤になりまた顔を合わせるようになりました。

Kさんのメール⇒

「梨泰院には団体旅行の夕食で2回訪れているが街歩きは初めてだ。

漢江鎭駅を出るとサムソンLium美術館があるが時間がなくていけなかった。

ここはサムスンの創始者が収集した素晴らしい美術品が展示され企画展示以外は無料開放されている。

  ここから梨泰院へは下り坂と思っていたが少しの下りのあとはゆっくりとした長い上りが続いた。

大通りに面したビルは近代的で眺めが良いところのCaffeには若者で賑わっていた。

梨泰院駅前のHamilton Hotelの横道を抜けて国際グルメ通りへ、ここは2022年のハロウイン雑踏事故の

現場で思っていたより道幅が狭い、昼ということもあり閑散としていた。

  道を下っていくと緑莎坪陸橋にたどり着く、この橋はNetflixの梨泰院クラスに度々登場するスポットだ。

昼と夕暮れから夜の2回訪れたがここからの南山、ソウルタワー、解放村の眺めは素晴らしい。

陸橋の上で多くの人が写真を撮っている、他の日本人熟年夫婦も写真を撮っていた。

地下鉄で淑大入口駅へ移動して南山方向へ平坦な歩いていくと緩やかな登りにかかる、この先は1945

頃まで山と日本式の神社だけで神社への108段の階段があった。

戦後帰国した多くの人が住みだして解放村とよばれるようになり、階段には6年前にエスカレータが

設され今は観光名所となっている。

 

さらに登っていくと眺めの道路にでるとここに34軒のCaffeがある、このうち1軒が梨泰院クラスの

Caffe(タンバム)2号店の撮影地、現在はCliffと名前を変えて人気スポット、若いカップルで一杯。

少し待たされて3Fのルーフトップへ、天気も良くてドラマそのものの風景が広がっている。

後方を見れば新緑、青空、そしてソウルタワーが目の前に広がっている。

立ち入り禁止の階段には撮影で使われたタンバムの看板が置かれていた。

 さらに地下鉄で移動して会賢駅へ、南大門市場の反対方向の急な坂を上っていくと白瓦公園にたどり着く。

ここはソウル城壁の南側で発掘調査、復元で整備された城壁と公園で市民の憩いの場となっている。

梨泰院クラスでもラストシーンを含めて登場する。」

 

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下総の国の住人Kさん夫妻の韓国ソウルの旅  その2/全4回     鉄原DMZ(非武装地帯ーDe-Militarized Zone)ツアー

2024年06月11日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

          ☝北朝鮮の山並みと村

1966年4月に伊予の国新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからソウル旅行の多彩な写真付きメールが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。

Kさんは長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と東京の神田事務所にそれぞれが転勤になりまた顔を合わせるようになりました。

Kさんのメール⇒

北緯3815分に位置する鉄原は京城と元山を結ぶ京元線の中間地点で開発が進み、1920年代には人口10万人規模の経済圏の中心で、

観光地金剛山へ向かう鉄道の始発駅でもあった。

第二次世界大戦末期に38度線で分断され鉄原は北側に属し、1946年には住民統制、思想教育のために朝鮮労働党鉄原庁舎建てられた。

 工事前の労働党庁舎(Webより)

1950年朝鮮戦争勃発によりここは激戦地となり、1953年の休戦協定で軍事境界線が確定して韓国側に位置している。

 軍事境界線からそれぞれ2KmDMZで双方で厳重な管理が行われている。

韓国はDMZから520Kmの範囲で民間人統制区域を設定して軍人、許可され住んでいる住民、許可され通う住民、DMZ ツアーの客以外は立ち入り禁止となっている。

  日本人相手のツアーに申し込んだが最初に現れたのが台湾人で英語はOKだが日本語は駄目ということでガイドは困った顔をしていた。

つぎに中国人女性が来て4人とガイドの5人で出発した。

この中国人は中学から日本語を勉強して日本の大学に4年間留学していたとのことで日本語はペラペラ、

ガイドが伝える重要事項は台湾人に中国語で通訳していた。これでガイドも一安心。我が夫婦以外の3人は30代半ばの若者だった。

  ソウルを出発して1時間半位経って鉄原の村に近づくと両サイドに巨大なコンクリートブロックが見えてくる。

北が侵入してきたらブロックを道路側に倒して阻止する施設だという、何箇所かあった。

最初は民間人統制区域外の白馬高地戦争慰霊の丘、18952年近くの白馬高地で韓国軍と中共軍が争奪戦を繰り広げ2週間で

双方で2万人の死者が出た戦いで韓国軍が勝利したが戦死者を慰霊する場となっている。

 この近くの北側に金日成高地呼ばれる山がある、白馬高地の戦いに敗れた金日成は3日間この山で泣いていたのが由来だとガイドが教えてくれた。

民間人統制区域、DMZ下の第2トンネルへ入るツアーを運営する組織で手続きをして出発。

といっても先頭車はこの組織の先導車、大型観光バス1台と普通車20台くらいが続き最後は迷彩色の軍の車。

ガイドから韓国側の統制区域、DMZ,そして軍人の写真は不可、軍人と目を合わせることも不可との注意を受ける。

 統制区域入口のゲートで各車の乗車人数が届け出とあっているか厳重なチェックを受けてから入門、

田植えが終わった田んぼが広がっている。少し行くと片面林の方には強固なフェンス、地雷注意の看板。

 北朝鮮は軍事境界線下に南に侵入のためのトンネルをほっていたが4本は韓国により発見されている。

この内第二、第三トンネルが公開されているが今日は第二トンネルへのツアーだ。

第二はトンネル内の写真撮影OK,第三は板門店の近くでもありカメラの持ち込みは禁止されているという。

 口で写真を撮った後韓国が調査のために掘った急なトンネルを降りていくとほぼ水平のトンネルに突き当たる。

時折頭をぶつけながら進んでいき軍事境界線300m手前で進入禁止となる。

帰り道北側から開けた削岩機の跡が残っているのが見える。

 トンネルを出て一休みしていたら監視員からガイドに不適切な方向にカメラを向けていた人がいたと注意を受けたという。

  ガイドがうまく処理してくれて画像チェックを受けずに済んだ。

 次は鉄原平和展望台へ、駐車場からモノレールに乗って高台の展望台へと進む。

民間人統制区域の田園、手つかずの森のDMZ,DMZのすぐ外の高台に建つ南北双方の監視小屋、北朝鮮の山並みと麓の村が一望できる。

鉄原でもらった日本語ガイドパンフレットには「平康高原と北朝鮮宣伝村が眺められる」と書いてあった。

  ジタルズーム付きの最新望遠鏡がありノートパソコンの画面サイズ位の液晶画面付き、北朝鮮の監視小屋の国旗がはっきりと見える。

 次はDMZ南端から道路1本隔てたところにある月井里駅舎、もとはDMZ内にあったが現在の位置に移設した。

駐車場のDMZ側には軍事施設があり多くの軍人がいた、また駐車場には監視の軍人がいる。

駅舎、プラットホーム、線路が2列、朝鮮戦争で破壊された車両が展示されている。

線路のどちらかの1列は当時のまま、1列は移設に伴い新たに敷設したとのこと。1911年の印のあるレールが使われている。

DMZと軍人を映さないように慎重にシャッターを押した、やはり緊張する。

田んぼの中を進み戦争でほぼ破壊された金融組合建物、氷倉庫、農産物検査所を横目に見て統制地域を出た。

するとすぐに労働党庁舎が見えるが、現在修復保存作業中で大きな幕でおおわれていた。

  遅めの昼食は海鮮うどんで麺、イカ・貝類の具とも二人前くらいのボリュームで私以外の3人は食べ残していた。ビールは旅行会社のサービスだった。

食後漢灘江渓谷の崖にオーバーハングし作られた歩道を散策してソウル市内へ戻った。

  市内に入るとガイドから市庁近辺でデモが行われているので注意するようにとのことだった。

ところが目的地近辺で下車したら向かい側の車道を警察に先導されたデモ隊が進んできた。

横断歩道を警察官と交差するような形でなんとか渡りきりデモ隊を眺めていた。

  ガイドによると同性愛者の団体、先頭は中型トラックに舞台を仮設してその上で数人の若者が踊っている。

その後ろに人が続く、この連隊が5つ、長さ1Kmくらいのデモ隊で大音量とともにソウル駅方向へ進んでいく。

警察官が前後、歩道側を固め歩道には大勢の見物客で騒然としていた。

  夕食は手長ダコ、エビ、モツの鍋で眼の前で手長ダコを切るパフォーマンスつき、シメは残った少しのスープにご飯とチーズを入れた炒飯。

夕食の動画 https://www.youtube.com/watch?v=Z3oZ5OtnrEw&ab_channel=masaokuzuu  

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下総の国の住人Kさん夫妻の韓国ソウルの旅  その1/全4回    「民俗村で冬冬酒(ドンドンチュ)」

2024年06月09日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

1966年4月に伊予の国新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからソウル旅行の多彩な写真付きメールが届きました。

 Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。

Kさんは長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と東京の神田事務所にそれぞれが転勤になりまた顔を合わせるようになりました。

 Kさんのメール⇒「5年ぶりの海外旅行、8年ぶりのソウルへの旅を楽しみました。

目的は鉄原地区へのDMZツアー、民俗村で冬冬酒を飲む、青瓦台見学、広蔵市場で牛生肉を食べること。

 

ついた日の夕食はワタリガニの醤油漬(カンジャンケジャン)の店へ、小さな店だがほぼ満席だった。

翌朝はホテルを出て1909年から1936年に建築され現在も使用されている建物の写真を撮りながら干し鱈スープの店へ。

干し鱈スープは二日酔いに効くと言われる韓国料理で初めて食べた。胃に染み渡る。

古い建造物は旧明治座(1936年)/現明洞芸術劇場、丁子屋百貨店(1921年)/ロッテヤングプラザ、

京城電気本社(1928年)/韓国電力公社、朝鮮商業銀行(1909年)/ウリ銀行鐘路支店、京城府民館(1935年)

/ソウル市議会を見た。ソウル市内には他にも10棟くらいの古い建物が残されかつ使われている。

 明治座

丁子屋百貨店

京城電気本社

 朝鮮商業銀行

京城府民館

地下鉄で江南へ移動してバスで1時間ほどの水原の韓国民俗村へ。ソウル市内、高速道路もバス専用レーン

があるので渋滞知らず。パスポートを提示してシニア割引で入場できた。

ちょうど遠足シーズンで幼稚園児、小中学生の団体で村内は賑やかだった。

  1986年冬に知り合いから世界三大銘酒の一つという冬冬酒(ドンドンチュ)を進められここを訪れている。

昔からのドブロクの上澄みで伝統文化継承の目的で国立機関の民俗村だけで製造が認可されている酒だ。

今まで3回訪れているが前回は時間なくて飲めなかったのでもう一度飲みたくて訪れた。

村の奥の食堂市場で新緑、青空のもとネギ入り海鮮チヂミをあてにドンドンチュ、最高だった。

ゆっくりと民族、文化を再現した施設を見ながら公演場へ、民族衣装を着た演技が始まった。

まだ舞台に立てない若者団員が脇で声援を送りながら写真撮影に応じてくれた。

 民俗村にて

ソウル市内の戻り南大門市場へ、タチウオ横丁で名物タチウオの煮付けを食べた。

見た目は真っ赤だが全然辛くはない。

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庭の柿の木にかけた巣箱のシジュウカラが19日目に7羽全て巣立った!  「シジュウカラ通信」 

2024年05月16日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

   ☝孵化18日後

千葉県印旛郡栄町に住む友人のKさんから待ち望んでいた嬉しい巣立ちを報じた「シジュウカラ通信」が入りました。

⇒「巣立ち前日の孵化18日目には外観上は親と見分けがつかないくらいまで成長していた。

23日かと思っていたら、515日孵化19日目でシジュウカラが巣立ちました。

前日ふたを開けたときは巣箱にいたのですが、15日夕方ふたを開けたら空になっていたという。

気が付かないうちに巣立ったようだ。

  16日小雨のなか確認に行くと巣箱に7羽がいたが、1羽が明けたふたから飛び立っていった。

巣立ったものの雨なので戻って雨宿りをしていたようだ。

30分後再度確認に行くと3羽だけが残っていた。

  孵化後親鳥が頻繁にえさを運ぶ姿が確認されなかったので育児放棄で餓死するかと

心配していましたが、元気に巣立って安心しました。

この子たちが来年戻ってきて同じ巣で子育てすることを願うばかりです。

孵化13日後

孵化15日後

◎kさん 

おめでとうございます。安心しました!!送って頂く「シジュウカラ通信」にずっと興味津々でしたが あまり何回もふたをあけたら育児放棄?にならない?と

相方もとても心配していましたので彼女と二人で大喜びしています。

  七羽すべて自立したのが凄くてうれしいです。

早速今朝のブログにアップします。

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庭の柿の木にかけた巣箱のシジュウカラの卵が孵化して10日経過した。  「シジュウカラ通信」Youtube    

2024年05月08日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人のKさんから「シジュウカラ通信」Youtube の連絡が入りました。

⇒「シジュウカラが孵化して10日経ちました。

生まれてすぐは本当に赤子でしたが、目も開いてきて、特に羽の骨格の成長が目立ちます。

 巣箱のフタを開けてすぐは親鳥が餌を運んできたと勘違いして口を開けるのですが、

動画モードに変更するためにいったんふたを閉めて再度開けてみると異変に気付いていて

身を固くして動いてくれません。

 今後の成長が楽しみです。

 シジュウカラ通信」としてYoutubeUpしたので見てください。」

シジュウカラ通信

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庭の柿の木にかけた巣箱のシジュウカラの卵が孵った!     千葉県印旛郡栄町に住む友人から  

2024年05月02日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人から待っていたシジュウカラの続報が入った。

⇒「抱卵を確認した翌日恐る恐る巣箱のふたを開けてみると親鳥はいなくて卵8ケを確認できた。

卵を毎日1ケずつ生むというから8日間よく頑張ってくれた。

その後2日に一回ぐらい蓋を開けて様子を見ていた。

 昨日は抱卵している様子が確認できた。順調にいって5月5日ごろには生まれそうと期待していた。

今日ふたを開けてみるとびっくり、卵7ケはかえっていた。

生まれたばかりで目は空いていない、えさを求めて口を開けているのは4羽だけだった。

 

  あとは元気に巣立ってほしいと願うばかりです。」

シジュウカラ(2)

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庭の柿の木にかけた巣箱に入ったシジュウカラが抱卵をはじめた!     千葉県印旛郡栄町に住む友人から 

2024年04月20日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人からシジュウカラの巣の続報が届いた。

⇒「331日に柿の木にシジュウカラが飛来しているのを見て、写真に撮ったのが4月1日だった。

その後も里山の方向から苔のようなものを運んで巣作りをしていた。

 

巣箱を開けてみると底には苔がびっしりと敷かれていた。

 その後も巣箱に出入りしていたので開けてみると苔の上に羽毛のようなものがあった。

巣が完成してすぐに産卵が始まるかと思っていたが、近くの木には飛来するものの巣箱への出入りは確認できなかった。

  子育てを止めてしまったのかとあきらめていたが19日に巣箱に入る姿が確認できたので

開けてみると卵と抱卵するシジュウカラが・・・

抱卵開始から2週間でヒナがかえるらしいので楽しみです。

  フタを開けて様子を見たい気持ちと邪魔をして子育て放棄になったらと思う気持ちが複雑です。」

〇 Kさん ヒナが孵るのが楽しみですね。

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シジュウカラが庭の柿の木にかけた巣箱に営巣をはじめた!     千葉県印旛郡栄町に住む友人から   

2024年04月03日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人から心浮き立つ便りが届いた。

⇒「春先になると庭にシジュウカラがやってくる。

数年前に産卵、子育て用の巣箱を作ってカキの木にかけておいたが思い通りにはいかなかった。

  今年初めて1羽が苔のようなものをくわえて巣箱に入っていくのが確認できた。

 

調べてみるとメスが苔のようなもので巣作りを始め、順調にいけば5月中旬には巣立ちとなるようだ。

  これから一ケ月半順調に育つよう祈るばかりです。

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