☝北朝鮮の山並みと村
1966年4月に伊予の国新居浜の工場独身寮で初めて顔を合わせて以来の長い付き合いになる友人Kさんからソウル旅行の多彩な写真付きメールが届きました。
Kさんは千葉県印旛郡栄町で生まれ育った生粋の下総人です。
Kさんは長く新居浜勤務でしたが、新居浜勤務を経て大阪勤務だった阿智胡地亭と東京の神田事務所にそれぞれが転勤になりまた顔を合わせるようになりました。
Kさんのメール⇒
北緯38度15分に位置する鉄原は京城と元山を結ぶ京元線の中間地点で開発が進み、1920年代には人口10万人規模の経済圏の中心で、
観光地金剛山へ向かう鉄道の始発駅でもあった。
第二次世界大戦末期に38度線で分断され鉄原は北側に属し、1946年には住民統制、思想教育のために朝鮮労働党鉄原庁舎建てられた。
工事前の労働党庁舎(Webより)
1950年朝鮮戦争勃発によりここは激戦地となり、1953年の休戦協定で軍事境界線が確定して韓国側に位置している。
軍事境界線からそれぞれ2KmがDMZで双方で厳重な管理が行われている。
韓国はDMZから5−20Kmの範囲で民間人統制区域を設定して軍人、許可され住んでいる住民、許可され通う住民、DMZ ツアーの客以外は立ち入り禁止となっている。
日本人相手のツアーに申し込んだが最初に現れたのが台湾人で英語はOKだが日本語は駄目ということでガイドは困った顔をしていた。
つぎに中国人女性が来て4人とガイドの5人で出発した。
この中国人は中学から日本語を勉強して日本の大学に4年間留学していたとのことで日本語はペラペラ、
ガイドが伝える重要事項は台湾人に中国語で通訳していた。これでガイドも一安心。我が夫婦以外の3人は30代半ばの若者だった。
ソウルを出発して1時間半位経って鉄原の村に近づくと両サイドに巨大なコンクリートブロックが見えてくる。
北が侵入してきたらブロックを道路側に倒して阻止する施設だという、何箇所かあった。
最初は民間人統制区域外の白馬高地戦争慰霊の丘、18952年近くの白馬高地で韓国軍と中共軍が争奪戦を繰り広げ2週間で
双方で2万人の死者が出た戦いで韓国軍が勝利したが戦死者を慰霊する場となっている。
この近くの北側に金日成高地呼ばれる山がある、白馬高地の戦いに敗れた金日成は3日間この山で泣いていたのが由来だとガイドが教えてくれた。
民間人統制区域、DMZ下の第2トンネルへ入るツアーを運営する組織で手続きをして出発。
といっても先頭車はこの組織の先導車、大型観光バス1台と普通車20台くらいが続き最後は迷彩色の軍の車。
ガイドから韓国側の統制区域、DMZ,そして軍人の写真は不可、軍人と目を合わせることも不可との注意を受ける。
統制区域入口のゲートで各車の乗車人数が届け出とあっているか厳重なチェックを受けてから入門、
田植えが終わった田んぼが広がっている。少し行くと片面林の方には強固なフェンス、地雷注意の看板。
北朝鮮は軍事境界線下に南に侵入のためのトンネルをほっていたが4本は韓国により発見されている。
この内第二、第三トンネルが公開されているが今日は第二トンネルへのツアーだ。
第二はトンネル内の写真撮影OK,第三は板門店の近くでもありカメラの持ち込みは禁止されているという。
口で写真を撮った後韓国が調査のために掘った急なトンネルを降りていくとほぼ水平のトンネルに突き当たる。
時折頭をぶつけながら進んでいき軍事境界線300m手前で進入禁止となる。
帰り道北側から開けた削岩機の跡が残っているのが見える。
トンネルを出て一休みしていたら監視員からガイドに不適切な方向にカメラを向けていた人がいたと注意を受けたという。
ガイドがうまく処理してくれて画像チェックを受けずに済んだ。
次は鉄原平和展望台へ、駐車場からモノレールに乗って高台の展望台へと進む。
民間人統制区域の田園、手つかずの森のDMZ,DMZのすぐ外の高台に建つ南北双方の監視小屋、北朝鮮の山並みと麓の村が一望できる。
鉄原でもらった日本語ガイドパンフレットには「平康高原と北朝鮮宣伝村が眺められる」と書いてあった。
ジタルズーム付きの最新望遠鏡がありノートパソコンの画面サイズ位の液晶画面付き、北朝鮮の監視小屋の国旗がはっきりと見える。
次はDMZ南端から道路1本隔てたところにある月井里駅舎、もとはDMZ内にあったが現在の位置に移設した。
駐車場のDMZ側には軍事施設があり多くの軍人がいた、また駐車場には監視の軍人がいる。
駅舎、プラットホーム、線路が2列、朝鮮戦争で破壊された車両が展示されている。
線路のどちらかの1列は当時のまま、1列は移設に伴い新たに敷設したとのこと。1911年の印のあるレールが使われている。
DMZと軍人を映さないように慎重にシャッターを押した、やはり緊張する。
田んぼの中を進み戦争でほぼ破壊された金融組合建物、氷倉庫、農産物検査所を横目に見て統制地域を出た。
するとすぐに労働党庁舎が見えるが、現在修復保存作業中で大きな幕でおおわれていた。
遅めの昼食は海鮮うどんで麺、イカ・貝類の具とも二人前くらいのボリュームで私以外の3人は食べ残していた。ビールは旅行会社のサービスだった。
食後漢灘江渓谷の崖にオーバーハングし作られた歩道を散策してソウル市内へ戻った。
市内に入るとガイドから市庁近辺でデモが行われているので注意するようにとのことだった。
ところが目的地近辺で下車したら向かい側の車道を警察に先導されたデモ隊が進んできた。
横断歩道を警察官と交差するような形でなんとか渡りきりデモ隊を眺めていた。
ガイドによると同性愛者の団体、先頭は中型トラックに舞台を仮設してその上で数人の若者が踊っている。
その後ろに人が続く、この連隊が5つ、長さ1Kmくらいのデモ隊で大音量とともにソウル駅方向へ進んでいく。
警察官が前後、歩道側を固め歩道には大勢の見物客で騒然としていた。
夕食は手長ダコ、エビ、モツの鍋で眼の前で手長ダコを切るパフォーマンスつき、シメは残った少しのスープにご飯とチーズを入れた炒飯。
夕食の動画 https://www.youtube.com/watch?v=Z3oZ5OtnrEw&ab_channel=masaokuzuu