阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

串かつ屋台54年、「いくちゃん」は惜しまれつつ店を閉じた。  神戸阪神御影   常連客「昭和文化遺産だった」 神戸新聞

2018年06月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

串かつ54年、さらば神戸の人情屋台 常連客「昭和文化遺産だった」 

 

時計2018/6/22 14:00神戸新聞NEXT
 北本良三さんは毎日、黙々と串かつを揚げ続けた(北畠健三さん提供) 御影の語り部のような存在だった北本良三さん=神戸市東灘区御影本町4(宮本浩子さん提供)
阪神御影駅前で歴史を重ねた名物屋台「いくちゃん」=神戸市東灘区御影本町4(宮本浩子さん、北畠健三さん提供)

 神戸市東灘区、阪神御影駅北側にあった屋台の串かつ店「いくちゃん」がこのほど、54年の歴史を閉じた。路上に漂う油の香りと電灯が照らし出すのれんは、長年親しまれた駅前の名物だった。新鮮な食材を目の前で揚げる味、そして立ち飲みならではの気楽さが多くのファンをつくり、知らない人同士が自然に談笑した。常連客らは「長い間、本当にお疲れさま」と店主をねぎらっている。(松岡 健)

 いくちゃんは、店主の北本良三さん(80)が1964(昭和39)年、阪神御影駅の南側で始めた。35年ほど前からは駅のすぐ北側で営業してきた。屋号は妻郁(いく)さん(80)の名前から。狭い木のカウンターがある屋台は7、8人が囲むといっぱいになるが、場所を譲るように入れ替わりながら、毎晩数多くの客が訪れた。牛、豚、鶏をはじめ季節の魚、レンコンや山芋といった野菜など20~30種類の食材をトレーに盛る。冬場のカキは伊勢から取り寄せるなど仕入れ先は選び抜いた。ソースも薬味を加えて独自の味わいにした。屋台には老若男女さまざまな人が集い、一期一会の輪ができた。夏は瓶ビール、冬は熱かんが並ぶ。仕事や接待で疲れて一息つきに来ると、北本さんは「ここは自分の酒を飲むところや」と温かく迎えた。だが横柄な客などには厳しく、注文を受けても「出すもんはない」とぴしゃりと返した。店を開けるのは夕方からで、冬場は足元から冷えてくるが、「熱いものを飲んだら大丈夫」と、雨の日と日曜祝日以外は揚げ鍋の前に立ち続けた。休みの日は趣味の登山を楽しみ、信州など各地に出掛けた。誘われた常連客は山の仲間に。六甲全山縦走大会は25回完走し、参加する客らのサポート役も担ってきた。体力を残しつつ店を閉めることは、5月の連休ごろに決意したという。同月末で閉店した。常連の一人で会社員の男性(51)は「駅で降りて一杯やって帰るのが日課だったので、心にぽっかり穴があいたよう。あの味はどの店よりもおいしかった。まさに“昭和文化遺産”だった」と惜しむ。仕事は一区切りとなったが、北本さんは仲間との山歩きは続けると話し、元気な笑顔を見せている。

阪神御影駅のクシカツ屋台  「いくちゃん」

 

2011年01月14日 | 食べる飲む

 

阪神御影駅の改札を出た山側にもう何十年も屋台のクシカツ屋が出ている。
震災のあと、また店を再開したことが神戸新聞などにも取り上げられた店だ。夕方、横を通るとき気になっていたが
常連さんで大概一杯で顔を突っ込んだことがなかった。しかし飲み仲間がなんと常連さんの一人とわかり
連れて行ってもらって、ようやく旨いと有名なクシカツを口にすることができた。独特の濃いソースは確かに
やみつきになる。レンコンと銀杏とクジラを揚げてもらった。そして岡成さんからウインナー、玉ねぎなど分けてもらった。
18時から約30分、ぬるかん2本でほろよいになってイタリアンの店に移動した。こうして飲み仲間の輪が広がり、
新しい経験をさせてもらえるのは謝謝、ナマステだ。
 もう少し詳しい「いくちゃん」情報はこちら



体調不良で急遽不参加になった純さん、早く直してもらって、また行きましょう。

 

コメント (3)
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藤森照信×糸井重里の対談からスタート  「ほぼ日の東京特集」。

2018年06月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

僕らが住んでいる東京って、改めて、どんな街なんだろう。「ほぼ日の東京特集」は、江戸東京博物館の館長を務める藤森照信さんと、糸井重里の対談からスタートします。 東京の街並みを長年に渡って観察してこられた藤森さんが、建築や歴史について語ってくださいました。東京の街が世界でも際立っていることが、「木でつくられていること」でした。(ほぼ日刊イトイ新聞)から引用。

 

 

 

青文字をクリックすると本文に飛びます。










 

江戸東京博物館の中は・・

2006年11月30日 | 東京ぶらぶら
家康さんが江戸に来る前から現代までの東京の歴史が金に糸目をつけないと見える展示物で示されていて、学童の群で一杯だった。しかし外国人の個人客も多くいて熱心に見て周っているのにちょっと驚いた。以下戦時中と戦後すぐの展示から。
「江戸東京博物館」の詳細はこちら(クリック)をどうぞ。

戦時中の下町風景。


家の中。


機銃弾の貫徹。鉄板がこれだから機銃掃射された人間は体がバラバラになったというのもわかる。


電熱器。会社に入った頃はまだ同じ型のものが売られており、工場の独身寮の個室に買った500wの電熱器を置いて、鍋でラーメンを作ったり、一夜干しをあぶったりしたのはいいが、部屋に吊るした作業着に魚の臭いが染み付いて、隣の席の女子社員に嫌がられたことを思い出した。酒を飲んで夜中に次々と帰寮する仲間が、飲んだ後のラーメンはうまいと言って部屋にきて、もう寝ている私の横でラーメンを作って食べていたこともよくあった。


スバルの最初の型式車も置いてあった。
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