『峯の色渓(たに)の響もみなながら我が釈迦牟尼の声と姿と』
法華経にある「実には減度せず 常に此に住して法を説く」、つまり釈尊は永遠の宇宙の大生命、あらゆる命の元で、肉眼では見えないけれども24時間慈悲の説法しておられますよという歌と理解します。火宅のおろかな子への愛でしょうか。
人生の出来事は、プラスもマイナスもこれ釈尊のお計らいと受容する内省こそ信仰者の姿勢だろう。26才の禅師が五体投地して登られた如浄禅師の天童寺では感動いたしました。
禅師は和歌の大家ですが、「文筆詩歌は詮無きもので捨てなさい」とおっしゃつています。俳句が好きな在家の私には何でと思っています。
法華経にある「実には減度せず 常に此に住して法を説く」、つまり釈尊は永遠の宇宙の大生命、あらゆる命の元で、肉眼では見えないけれども24時間慈悲の説法しておられますよという歌と理解します。火宅のおろかな子への愛でしょうか。
人生の出来事は、プラスもマイナスもこれ釈尊のお計らいと受容する内省こそ信仰者の姿勢だろう。26才の禅師が五体投地して登られた如浄禅師の天童寺では感動いたしました。
禅師は和歌の大家ですが、「文筆詩歌は詮無きもので捨てなさい」とおっしゃつています。俳句が好きな在家の私には何でと思っています。