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第29回名瀬市民文化祭

2004年11月24日 | お知らせ
041124-amamibunka11月20から奄美文化センターで行なわれている第29回名瀬市民文化祭《平成16年度・生涯学習発表》の作品展示場(センターホール)へ行った。
いろいろな趣味や特技をもった人がたくさんいるのだなあと感心した。
11月28日(日)まで。

関連行事

 名瀬市小中学校音楽発表会25日(木) 13:15~16:00
 平成16年度県民文化祭第13回大島地区広域文化祭27日(土)18:00~20:55
 平成16年度大島地区生涯学習推進大会28日(日)9:30~16:50

会場 いづれも奄美文化センターホール

今日、写真に収めた3点。
【街・地域づくり】
名瀬なぜキョラ塾(40点)

その一 1845年に没した岡本豊彦作の絵巻琉球嶌真景』第1景・名瀬の風景。名瀬湾の様子と代官屋敷とみられる建物群、それに比べると見劣りのする民家。開けた金久と開発が遅れた伊津部、新川河口には砂州が描かれている。

         この絵巻の描かれた年はわからなかった。
         代官屋敷は現在の塩浜町とあったのは気になった。
         
         1840年 アヘン戦争
         1850年(嘉永3年) 名越左源太、大島遠島
         1852年 左源太、流罪中、島中絵図調方拝命
         1853年 ペリー来琉
         1855年 左源太、鹿児島帰郷
         1857年 斉彬、大島でのオランダとの貿易構想、
                58年急逝。
         
         1881年(明治14年)左源太、逝去

         岡本豊彦 (1773-1845)
         
      平成16年度企画展 「『南島雑話』と名越左源太」





その二 1851年(嘉永5年)薩摩藩守衛方の汾陽次郎右衛門等によって作成され、海賊退治の目的で書かれた奄美大島古地図(奄美博物館所蔵)入り江がかなり詳細





その三 1885年(明治18年)名瀬村絵図
砂州からできた金久が早くから開けたのに対し新川周辺の水はけの悪い伊津部は開発が遅れた、とあった。