『鹿児島「地理・地名・地図」の謎』 意外と知らない鹿児島県の歴史を読み解く! 2014/12/18
原口 泉 (監修)
amazon 内容(「BOOK」データベースより)
日本国歌「君が代」は鹿児島県が発祥の地だった!?地理や地名・地図から見える鹿児島県の意外な歴史と真実!鹿児島県民愛がぐ~んと深まる知的ガイドブック!
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新書: 192ページ
出版社: 実業之日本社 (2014/12/18)
目次で奄美に関する謎は、
第六章 伝説や伝承からみる鹿児島県の現状
「日本最強武将の超怪力によって喜界島に泉が湧き出た?」
の一項目だけ。それだけ全国的に鹿児島は謎が多いということか。
(あと、地名で与論島の「パナウル王国」、パナは方言で花、ウルはサンゴ。)
ここでは、琉球王国の始祖とされる源為朝の伝説南島下りの伝説で途中に立ち寄ったという喜界島の雁股の泉が紹介されている。
平氏打倒の陰謀(鹿ケ谷の陰謀)に加わったとする密告によって鬼界ヶ島へ流された平安時代後期の真言宗の僧、俊寛の伝説は、p152「沿岸が黄金色に染まる硫黄島に残る平氏を恨んだ僧と平家落人の伝説」の項で、硫黄島と並んで奄美の喜界島も比定地として有力とされている。
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トカラ列島の有人島最南端の宝島の謎がおもしろかった。
文政8年(1825年)の異国船打払令が出された要因ともなったことで知られる、イギリス船が来島し、島民に牛を譲渡するように要求した事件。
奄美の島々でも同様な出来事は想像するにそれほど難くない。
これが、17世紀後半のイギリスの海賊、キャプテンキッドがこの宝島に財宝を隠したという言い伝えと関係があるという説があるという。
この事件でイギリス人に発砲して一名を射殺したのは横目の吉村九助という人だが、
おもしろいことに、緻密な構成の歴史文学の長編作品で知られる吉村昭が短編小説『牛』で描いていることはwikipediaで知った。
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本論からはそれるが、幕末の薩摩藩(正式には鹿児島藩)の財政に関する記述を
2つメモしておこう。(実際の執筆者はわからない)
ひとつは「九州の醤油が南下するほど甘くなり鹿児島県が最も甘い理由とは?」の項目でP
42砂糖は薩摩藩の重要な財源となる。特に幕末、藩の財政は砂糖の専売によって支えられていたといっても過言ではない。当然、薩摩藩の本土にも庶民が使えるほどの多くの砂糖が流入した。P42
もうひとつは、「県下一の繁華街・天文館の由来となった天文学研究施設を造ったのは誰?」の項目で、
重豪(しげひで島津氏25代当主で、薩摩藩8代藩主)の評価についての記述の中にP98「ちなみにその(薩摩藩の)借金を密貿易などで無理やり返済し、薩摩藩を幕末の雄藩にのし上げたのが、家老の調所広郷(ずしょひろさと)であった。P98
他書でよんだ、調所の天保の「改革の根本は砂糖にあり」との記述や、上の記述と比較すると
ここでは、砂糖は、「など」のなかに後退している感は否めない。