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『奄美の奇跡』「祖国復帰」若者たちの無血革命 単行本:(2015/7/17)

2016年05月07日 | 本と雑誌

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『奄美の奇跡』 「祖国復帰」若者たちの無血革命
永田 浩三 (著)

単行本: 336ページ
出版社: WAVE出版 (2015/7/17)

amazon 内容紹介
戦後70年記念企画
1945年、米軍占領下、島民20万人は祖国復帰に立ち上がった!
わずか8年間で祖国復帰。「エジプト独立の教科書」とまで言われた、世界から注目された、知られざる無血の闘争とは?

 ~あらすじ~
 敗戦後、日本から分離され、沖縄と共に米軍に占領された奄美群島。占領下の8年間、20万人の島民と本土在住18万人が、空前の祖国復帰闘争を繰り広げ、それを実現させた「奄美の奇跡」を描いたノンフィクション。

 


↑ あれ(この本を名瀬の書店で買ったの)は去年の夏だったのか。

いままで積読で忘れていた。名瀬の書店では見たこともなかったほどの大量の平積みに反して題名が読む気をそいだ。「奇跡」も「革命」も説明されてもピンとこないだろうな、と読む前から思った。それほど読んではいないのだが、またもや署名率98%とか、熱狂的な復帰運動だけが強調されるのもなあ、熱狂の裏というか他の視点を期待するのは難しいかなあとの思いだった。 

しかし、盛りだくさんの事例やインタビューの中には初耳の部分も多々あって、最後まで読みきった。

あとがき、を読んで、はじめに を読んで、本書の構成に改めて、ある視点があること(それはかなり控えめだ)に気付いた。本のタイトルにあえてそれを探せば「若者たち」ということになるだろうか。

まず、本書は奄美の日本復帰運動の源流として、1926(大正15年)大阪毎日新聞にも掲載された、地元青年の武田信良らが奄美大島南部の蘇刈(そかる)海岸に大杉栄の一周忌に追悼碑を建立したエピソードを手ががりにしている。

wikipedia大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年(明治18年)1月17日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家。

P31復帰運動の源流としてのSO(大杉栄)

「この本は井上邦子さんとの出会いがなければ生まれなかった」、とあとがきの冒頭にある。

「これまで語られてきた奄美の本土復帰運動と、実際に運動に関わったひとたちの実感との間にズレがあるのではないか。いっしょにほんとうのことを書いてみませんか」と著者にと問いかけた井上さんは、大杉栄の一周忌に追悼碑を建立した青年のひとり武田信良の孫ということだった(この関係を私は今、これを書きながら理解した)。

もう1人、大杉関連の「若者}が登場する。たぶんこの本のクライマックス(わたしが本書でいちばん注目した箇所)、第8章 悲願達成「奄美の奇跡」p287復帰協議会を揺るがす騒動 だ。

復帰運動の最終盤1953年1月、これまで復帰協議会を支えた一方の柱である。奄美共産党=琉球人民党、および青年団、そして復帰協議会の事務局が、政党色排除を理由に、協議会から排除され追われていくくだり。

そのさいごの部分に登場するのが、大杉追悼碑建立にかかわった浜畑秀吉の娘で当時若者だった浜畑静香さん(92歳) その現在の写真と、その彼女たちの活動が最後に排除されたことをどう思うかとの問いの答え。

「わたしたちは人間として負けたのではないですから、びくともしません。むかしだったら、小林多喜二は殺されましたが、そんなことはなかった。復帰運動をほかのひとたちがやてくださると言ってくれるのだから、こんなすばらしいことはありません。自分たただけでやるのではない。みんなでやろうという輪が広がったんだと思うようにしました」

そう語ったときの撮影だろうか、写真がいい。構えのない表情は、一度見たら忘れがたい。奄美のおばあちゃんの、あらたなイメージをまたひとつ増えたような。

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そして思い出したのだが、

本書の参考文献としても挙げらている、里原 昭   (著) 『琉球弧・奄美の戦後精神史』―アメリカ軍政下の思想・文化の軌跡 – 1994/10 

その最後に

p266この時期に、戦中世代のリーダーたちは、皇国民としての戦争体験の、検証と自己批判を欠落させ、戦争時の思想んの止揚を経ずに、奄美民衆の米軍支配から受けていた自由な精神の桎梏や暮らしの苦渋を、「皇民的民族との一体化」によって解決するとの幻想を一般化し、民衆を引きつけ、また民衆の多くも、この幻想に、付和随行したのであるP266

↑ 本書の「復帰運動最終盤の騒動」を理解する上で重要な指摘だ。

また

p266ともあれ、米軍政下の、また、土俗的共同体の拘束のなかで、前近代的なものの克服、現代的自我の確立のための闘い、いわゆる戦後奄美の民主化への歴史をつむいだ数々の青年たちがいた。特に、それらの多くの青年達は、さなざまな運動の屈折を辿る時代と対峙し、奄美の現実と自己を直接結びつけ、「生」の実存をかみしめて生き抜いてきた。だがこれらの青年たちの足跡は、いまだ多くは歴史の照射を受けていない。p266

今後、これらの検証と評価の作業にも本書で取り上げられたエピソードの数々は貴重な資料、あるいは手がかりになり得るのではないだろうか。