奄美 海風blog

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クワズイモとセンダングサ

2016年10月14日 | クワズイモ

 

 


去年の記事 秋空にサクラ トンボも。

2016年10月13日 | まち歩き
 
秋空にサクラ トンボも。
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カワヅザクラの季節(2月上旬ごろ)ハズレの開花と思われる。 長浜町トンネル手前関連記事 このブログ「桜が咲いております。」赤崎公園のカワヅザクラが今年も狂い咲きでしょうか。2015年10月10日 | 桜の観察となりに咲いていた インドソケイ


『武将列伝』 江戸篇 (文春文庫 ) – 2008/7/10  海音寺潮五郎

2016年10月11日 | 本と雑誌


『武将列伝』 江戸篇 (文春文庫 か 2-57) 文庫  – 2008/7/10
 
海音寺 潮五郎   (著) 1 件のカスタマーレビュー

真田幸村 立花一族(宗茂が主) 徳川家光 西郷隆盛 勝海舟

うしろの3人は2人と違い、武将のイメージにはピタリとははまらない。

一番それらしい真田幸村はページ数が最も少なく、得意の西郷はそれについで少ない。

「西郷」は、奄美大島に潜居するところまでで、経歴の1/3に満たずして終わる。編集の都合だろうか。

しかし、西郷と勝を合わせると全体の半分を超える。はじめから合わせるつもりだったのかもしれない。

西郷と対照的な性格でそれゆえに互いに惹かれる麟太郎にからめて西郷にも紙幅が割かれている。維新史も濃くなり流れも生まれる。

西郷は天性の大愚、人を欺くことなど決してできない。
麟太郎は目から鼻にぬけるような利口な人間だ。油断もスキもなく狡猾で横着な面もある。
そんな自分に不満を持つ麟太郎は、西郷の誠実と誠意をもって、礼儀正しく、謙虚で自分に勝る者には素直に敬服せずにいられない、神経質ではあるがそれにとらわれず、英雄的風貌が悠々として、ものに拘泥しないように見せもする、そんな西郷にあこがれて惚れ、西郷が気に入った。西郷もまた勝にたいへん感心し、敬服している。都会育ちと田舎育ちが気が合うというような単純なものでもないだろうが・・。

勝が西郷に会ったのは、蛤御門のあとの9月。西郷はこの年の2月、2度目の流謫をゆるされて沖永良部島から帰り軍賦役を命じられ38歳。「轡(くつわ)の紋のついた黒ちりめんも羽織を着て、なかなか立派な風采だったよ」と勝は日記に書いている。沖永良部から鹿児島へ帰りついた西郷は、足が立たたず、這いずりながら斉彬の墓参をしたといわれている。
wiki 

轡(くつわ)=

手綱(たづな)につなぐ輪が両端にあり、馬の口に含ませる、金具。丸に十の字

西郷の約5年間は、ここではスッパリ抜け落ちている。西郷の約5年の島暮らしを知ることが、謎の多い西郷の実像に迫るにも、また彼の人間的魅力や思想の深まりを知る上で欠かせないことは言うまでもない。この時期の中央の動きは、のちの西郷の行動と思想を読む上で重要な点である。島で西郷はどのようにしてそれを知ったのか、島での西郷の暮らしは、著者のライフワーク「西郷隆盛」の第5巻に詳しい。

関連このブログ 

西郷隆盛 第五巻 単行本 – 2008/1/11 海音寺 潮五郎 (著) 2015年08月18日 | 本と雑誌

西郷がふたたび登場するまでの中央政界の動きもめまぐるい動きは、第8節に手際よくまとめられている。

安政の大獄は、慶喜派と慶福派の将軍継嗣問題のこじれから起こっている。これほど大きな問題に全然タッチしていない。井伊暗殺後、長州は公武合体を模索する世論の動きに乗る。
ちょうどそのころ薩摩は久光の卒兵上京で朝廷の信任を得て、日の登るごとくの威勢。
長州もあせり、方針を倒幕に転換し、朝廷に取り入る。p300「維新史は一面から言えば、薩・長の勢力争いの歴史でもあるのだ」

生麦事件 薩英戦争 四国艦隊下関砲撃事件 薩長は攘夷の不可能を悟り、手を結び英国と仲良し倒幕のため武器を購入する。

著者 あとがき

昔、歴史は文学であった。そしてあらゆる学問の母であった。経済学も、社会学も、政治学も、倫理学も、 — 哲学すら、歴史の中にあった。

昔、読んで諸君歴史を読むべしとどこかで読んだ記憶がある。昔よんだ「武将列伝」(たしか全6巻)は今でも本棚にあるはずだが、これは図書館の海音寺潮五郎文庫の、今月のお勧め。

本書は1975年文春文庫より刊行された「武将列伝」全6巻を再編集したものです。

 

 

奄美海風荘 @amami_kaihu_so 10月8日

かなり速い 現在の定期船フェリーは鹿児島新港18時発の名瀬港着が翌朝5時頃。西郷の船は先に名瀬近くの大熊に立ち寄ったとする説も。 阿丹崎の在りし日(平成23年病気塩害等で「立ち枯れ」現在幹のみ)の西郷松→

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安政の大獄、斉彬急死。西郷の殉死を諫めた勤王僧・月照にも大弾圧の追捕の手。月照を匿うべく鹿児島下った西郷だが藩状の変化はただならぬ。藩は井伊が怖い。庇護はならぬ。覚悟を決め二人は相抱き合って錦江湾に身を投じるが西郷のみ蘇生。奄美大島龍郷へ潜居3年半

 
 

 


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2016年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム
 
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2016年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム
 
ヒメマツバボタン(姫松葉牡丹) スベリヒユ科マツバボタン属 
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『真田太平記』 全18巻 読了 池波正太郎 朝日新聞 新装版

2016年10月02日 | 本と雑誌

真田信之(←信幸←源三郎)は、なんと93歳の長寿を得ている。
 
信州・松代に名ばかりの加増移封となって、そこの隠居所で生涯を閉じた。信之を疎んじた二代将軍秀忠は世を去り、三代家光に「天下の宝」と言わしめ、四代綱吉の代まで生きたことになる。その後真田家は、明治5年、陸軍少佐乃木希典が松代城を請け取りにくるまで松代10万石を守り通している。
 
 
この小説では信之は57歳で、父昌幸以来30余年にわたり善政をしいた上田の領民に別れを惜しまれなが城を出る場面で終わる。
 
滝川三九郎の生き方
 
大きく変わっていく時勢の中で、家康重臣の娘を嫁にして徳川方につき気苦労も多かったであろう信之や、父と共に豊臣方で己の純粋な意思を貫き通した幸村などと対照的ともいうべき滝川三九郎(妻は昌幸の5女)の生き方は、小説のなかでも何度か取り上げられているが、最後のあとがきの最後にもとうじょうする。己の運命に逆らわない生き方で「わしは、一代でわが家をつぶしてもかまぬ」と言っていた三九郎に立派な跡取りができる。40を超えた妻・於菊の初産だ。そのご後、三九郎は突然幕府によって罪を与えられる。幕府の敵であった幸村の娘の嫁ぎ先に立ち寄ったことに難癖をつけられたのだった。あまりのばかばかしさに「このような幕府に仕えたところで仕方がない、改易にされてよかったわい」と動じない三九郎。信之が三九郎に邸宅を新築すると「かたじけのうござる」と好意を淡々と受け入れる。川の流れるように、おのれの環境に逆らわず、それでいて自分を捨てたことがない。
 
三九郎歿後、長男豊之助に三九郎への無理やりの罪を憚ったのか幕府から「300石を与えるから家名を再興せよ」と言われ、いまさらと逆らう息子へ母は、運命に逆らってはならぬと諭し、豊之助「そうですね、ご公儀に逆らってもつまらぬ。逆らい甲斐もない相手ゆえ、な」と江戸へもどり幕臣となる。「母は京で一生を終えるゆえ、心にかけず、江戸へまいるがよい」と息子を送り出す。父子ともに川の水の流れるような生き方
 
幾多の戦国武将の浮き沈みの人生を描きながら、著者の念頭に老子の※「上善水の如し」の言葉があったのかもしれない。
 
goo辞書 ※上善水の如し 《「老子」8章から》最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしたことば。

 奄美海風荘 @amami_kaihu_so 9月29日

彦四郎は信之の家臣だが、前巻で領民の女を凌辱し、逮捕入獄されたが、お江によって幕府隠密の疑いを指摘された信之はお江と図り脱獄させ行先を突き止める。江戸で突き止めた先が、笹井丹之助という旗本屋敷。驚くべき事に笹井は清正お気に入りの料理人梅春だったのだ 

 

 

『真田太平記』全18巻 池波正太郎 朝日新聞社 読了

 1974年(昭和49年)~1982年にかけて『週刊朝日』に連載。単行本は、1974年からの全16巻の単行本が、1985年のドラマ化にあわせ出版された「新装版」全18巻を読んだ。ほかに新潮文庫版全12巻(1987年)。1999年の『完本 池波正太郎大成』(講談社)版全3巻がある。

名瀬の書店では新潮文庫版が4巻まであった。図書館の大活字本で読み始めたがそれも途中までしかなく、鹿児島本館から「新装版」を取り寄せた(一回につき5冊まで。一週間ほどかかる)が、途中の2巻は本館にもなく、大隅町公民館にあったものを曽於市の図書館から取り寄せてもらった。