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『武将列伝』 江戸篇 (文春文庫 ) – 2008/7/10  海音寺潮五郎

2016年10月11日 | 本と雑誌


『武将列伝』 江戸篇 (文春文庫 か 2-57) 文庫  – 2008/7/10
 
海音寺 潮五郎   (著) 1 件のカスタマーレビュー

真田幸村 立花一族(宗茂が主) 徳川家光 西郷隆盛 勝海舟

うしろの3人は2人と違い、武将のイメージにはピタリとははまらない。

一番それらしい真田幸村はページ数が最も少なく、得意の西郷はそれについで少ない。

「西郷」は、奄美大島に潜居するところまでで、経歴の1/3に満たずして終わる。編集の都合だろうか。

しかし、西郷と勝を合わせると全体の半分を超える。はじめから合わせるつもりだったのかもしれない。

西郷と対照的な性格でそれゆえに互いに惹かれる麟太郎にからめて西郷にも紙幅が割かれている。維新史も濃くなり流れも生まれる。

西郷は天性の大愚、人を欺くことなど決してできない。
麟太郎は目から鼻にぬけるような利口な人間だ。油断もスキもなく狡猾で横着な面もある。
そんな自分に不満を持つ麟太郎は、西郷の誠実と誠意をもって、礼儀正しく、謙虚で自分に勝る者には素直に敬服せずにいられない、神経質ではあるがそれにとらわれず、英雄的風貌が悠々として、ものに拘泥しないように見せもする、そんな西郷にあこがれて惚れ、西郷が気に入った。西郷もまた勝にたいへん感心し、敬服している。都会育ちと田舎育ちが気が合うというような単純なものでもないだろうが・・。

勝が西郷に会ったのは、蛤御門のあとの9月。西郷はこの年の2月、2度目の流謫をゆるされて沖永良部島から帰り軍賦役を命じられ38歳。「轡(くつわ)の紋のついた黒ちりめんも羽織を着て、なかなか立派な風采だったよ」と勝は日記に書いている。沖永良部から鹿児島へ帰りついた西郷は、足が立たたず、這いずりながら斉彬の墓参をしたといわれている。
wiki 

轡(くつわ)=

手綱(たづな)につなぐ輪が両端にあり、馬の口に含ませる、金具。丸に十の字

西郷の約5年間は、ここではスッパリ抜け落ちている。西郷の約5年の島暮らしを知ることが、謎の多い西郷の実像に迫るにも、また彼の人間的魅力や思想の深まりを知る上で欠かせないことは言うまでもない。この時期の中央の動きは、のちの西郷の行動と思想を読む上で重要な点である。島で西郷はどのようにしてそれを知ったのか、島での西郷の暮らしは、著者のライフワーク「西郷隆盛」の第5巻に詳しい。

関連このブログ 

西郷隆盛 第五巻 単行本 – 2008/1/11 海音寺 潮五郎 (著) 2015年08月18日 | 本と雑誌

西郷がふたたび登場するまでの中央政界の動きもめまぐるい動きは、第8節に手際よくまとめられている。

安政の大獄は、慶喜派と慶福派の将軍継嗣問題のこじれから起こっている。これほど大きな問題に全然タッチしていない。井伊暗殺後、長州は公武合体を模索する世論の動きに乗る。
ちょうどそのころ薩摩は久光の卒兵上京で朝廷の信任を得て、日の登るごとくの威勢。
長州もあせり、方針を倒幕に転換し、朝廷に取り入る。p300「維新史は一面から言えば、薩・長の勢力争いの歴史でもあるのだ」

生麦事件 薩英戦争 四国艦隊下関砲撃事件 薩長は攘夷の不可能を悟り、手を結び英国と仲良し倒幕のため武器を購入する。

著者 あとがき

昔、歴史は文学であった。そしてあらゆる学問の母であった。経済学も、社会学も、政治学も、倫理学も、 — 哲学すら、歴史の中にあった。

昔、読んで諸君歴史を読むべしとどこかで読んだ記憶がある。昔よんだ「武将列伝」(たしか全6巻)は今でも本棚にあるはずだが、これは図書館の海音寺潮五郎文庫の、今月のお勧め。

本書は1975年文春文庫より刊行された「武将列伝」全6巻を再編集したものです。

 

 

奄美海風荘 @amami_kaihu_so 10月8日

かなり速い 現在の定期船フェリーは鹿児島新港18時発の名瀬港着が翌朝5時頃。西郷の船は先に名瀬近くの大熊に立ち寄ったとする説も。 阿丹崎の在りし日(平成23年病気塩害等で「立ち枯れ」現在幹のみ)の西郷松→

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安政の大獄、斉彬急死。西郷の殉死を諫めた勤王僧・月照にも大弾圧の追捕の手。月照を匿うべく鹿児島下った西郷だが藩状の変化はただならぬ。藩は井伊が怖い。庇護はならぬ。覚悟を決め二人は相抱き合って錦江湾に身を投じるが西郷のみ蘇生。奄美大島龍郷へ潜居3年半