「燕がやってくるんやね。」
「巣は、まだ中にあるんですよ。」
そういって案内してくれたのが、納屋だった。
ざっと見たところ3ついやもっとあったような気がする。
開け放してある納屋の梁は、燕にとって直接外に接していないので、安全安心の棲家なのだ。
燕の来る家は、ゲンの良い家と昔から言われている。
暮らしの中で受け継がれてきたもの | |||||||||
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土間を通る時まず目に飛び込んできた。
長い煙突が天井から外に伸びている。
古民家などに残されている竈は、本体のみの展示で煙突は外されている。
「これ、今もお餅を搗く時に使っているのですよ」
れっきとした現役で活躍との事。傍には炊きつけの粗朶と割り木があって、昔山のお寺に嫁いだ時、竈でご飯を炊いていた当時を思い出した。
I邸では、お餅搗きの時に釜の上に木製の蒸篭(せいろ)に餅米を入れて蒸し、木の臼と杵でお餅搗きをする。
美味しいお餅が出来上がることだろう。
広い土間にはもう一つ大きい竈があった。
釜はまるで五右衛門風呂のように大きい。
こちらは、めったに使わないそうだが、何か大きな行事の時にはこれを使うこともあるとのことだった。
お味噌も自家製であると聞いて、受け継がれたものをしっかり守っておられることに感動した。
近代化するものは最新の状況にして、日本古来の文化として残したいものは、厳然と残し守っている、そういう旧家の暮らしの1部分に触れさせてもらえたこの日は私にとって有意義な時であった。
ずっとずっと残してほしいですね。
どんどん新しいものが出て、日々変わっていく世の中ですが、こういうものを拝見するとほっとしますね。
しかし守り続ける方は、大変なこともあるのでしょうね。
ほんとうに懐かしい風景ですが、今も現役の竈とは嬉しいですね。
民俗公園で奈良の古民家をよく訪問するのですが、このような現役の古民家にはやはり生活の息吹きを感じさせてくれますね。
anikobeさんがまた愛しい目で丁寧に紹介されているので、古き良き時代のお家の佇まいが手に取るように伝わってきます。
今朝はまだ暖かきですが、これからまた冬に戻りそうな気配です。
お互い、風邪に気をつけましょうね。
このように、暮らしの中に引き継がれ残してきた事にこめられた、生活の構え方は、家族一体となって素晴らしいものだと思いました。
「さん」をつけて昔からそう呼ばれていた、竈は、日本の食生活だけでなく、生活の基盤になる神聖な場所だったことの現れですよね。
めったに使わない、大釜のおくどさんには、榊が供えられて、火の神様をお祀りしているのも、印象的でした。
このように、掲載させていただける機会を与えてもらえたことにとても感謝しています。
昔は道具でも丁寧に大切に使っていました。
こんなに立派なかまどではありませんでしたが、20年代、我が家でもかまどでお釜のご飯を炊いていました。
付け木、薪。釜から噴出す湯気が釜に張り付いたパリパリ煎餅が楽しみでした。
いま思えば、いい時代でした。
たぶんリフォームされていると思いますが、そのままの形を残されているのには敬服します。こちらも100年以上たった家なので、残骸が残ってはいますが、もう物置台になっています。
同じように竈を知る年代ですから去来する思い出も、同じようにありますね。
割り木に粗朶が置かれているのを見た時は、なんともいえない郷愁を憶えました。
ことさら、感慨深く読んでいただけたことが嬉しいです。有り難うございました。
こういう家具も写真で拝見していると展示物とはえらい違い棚とつくづく拝見しました。
このI邸の、分家がすぐ近くにあるのですが、もうだいぶ前になりますが、映画「大誘拐」の撮影現場になって北林民江さんが、古民家に偽装誘拐という展開のものでした。映画館では見なかったのですが、テレビで見ました。
大和の原風景の見られる場所といえますね。
これからも住む人達によって受け継がれていくことでしょう。