カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

セピア色の思い出

2007年03月21日 | ■ 短歌(越し方)
切花を頂いているお師匠さんに、画像の加工を教えてもらった。
そのままの画像だと文字色を選ぶ時、部分によっては読み辛くなってしまうのだか
ぼかしとグラデーション、セピアを使えばどんな画像を使っても、文字が読みやすくなるのがありがたい。

背景の画像は、先日行った大観音寺のを使用した。
短歌は、1984年のものである。
セピア色の彼方になってしまった世界だ。

3枚目のはさらに昔にさかのぼる高校時代の思い出だから、セピア色がさらに遠くなる。






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寒の戻りが・「つら~~い・・・」 辛夷の花の独り言

2007年03月20日 | ☆季節
3月14日・花開く日を待つのが嬉しいね
真っ白い蕾が空に向かって頭をもたげていたのは3月14日だった。
もうすぐ咲くだろうと毎日蕾のふくらみを確かめてこの木の下を通っていた。

3月19日・蕾の上が茶色に・寒い夜を過ごしたね
天気予報では、ここ連日霜注意報が出ていた。
近畿地方の北部には雪マークも見える。
18日は彼岸の入りでお墓参りのため、ウォーキングを休んだ。
そして19日悲惨な状態の蕾たちが、どの枝先にもある。

3月20日・さらに酷くなる・もう耐えられないね
さらに、今日20日には、こんな状態になっていた。
霜枯れの茶色が蕾全体に広がっている。

寒の戻りは、暖冬だっただけに身に応えるのは人だけではない。
この蕾たちは、どんな咲き方をするのだろう。
それとも咲かずに落ちてしまうのだろうか。
暫く見守り続けよう。
(画像にマウスオン=辛夷の独り言)

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宝満寺

2007年03月19日 | ☆ ふるさと・大和
彼岸の入りの昨日,お墓参りをした。

ここ宝満寺には実家の両親のお墓がある。
昨日のブログの「梁瀬義亮先生」の生家である。


宝満寺本堂

墓地は本堂の裏手にあるので、そこへの行き帰りに本堂に向かって合掌するのが習いである。



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マウスオン・ワンクリック・3画像

この本堂の深い軒下を飾る素晴らしい彫刻がある。
像鼻の彫刻と呼ばれている。
1枚目は中央の飾り・これは象の鼻でなく私には龍に見える。
2枚目は左の柱の外側にある飾り
3枚目は右の柱の外側を飾っている
目の部分が彩色されているのか、陶器のようなもので出来ているのか、見る場所によって光って見える。

とにかく迫力のある彫刻が施されている。


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マウスオン・ワンクリック3画像

門を入ると左側に鐘楼がある。
梵鐘の「南無阿弥陀仏」の文字の両側に天女像が空を飛ぶ美しい姿が浮き彫り(と呼ぶのかどうか分からないが)されている。

本堂の建築の古さと比べて新しいと思ってよく見ると「昭和」の年代の文字があった。
何年なのか読み辛いが、戦後であることには間違いない。
現住職にお尋ねすると、戦時中の鉄類の拠出で梵鐘も国に持っていかれたと聞いていますとの事であった。
鉄類であれば戦いの道具に変わった第2次世界大戦時代の犠牲になったのだ。

今の梵鐘は、この町の酒造業の方によって寄贈されたことが、施主として梵鐘に刻まれている。
奇特な方の酒蔵の煉瓦造りの煙突が、門前からよく見える。





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梁瀬義亮資料館を訪ねて・先生を偲ぶ

2007年03月18日 | ☆ ふるさと・大和



当市にある健康食品販売所「滋光会」で母の時代から会員として食品の購入をしている。

その販売所の前に「梁瀬義亮記念資料室」がオープンしたお知らせが、市の広報3月号に掲載されていた。




滋光会に買い物に行くたび資料室を訪ねたいと思いながら、ゆっくりした時間をとれたときにと延び延びになっていた。

水、金の週2回の開館であることを確かめて、先週の金曜日に訪ねた。

複合汚染」の著者有吉佐和子さんは梁瀬義亮先生の業績を「昭和の華岡青洲」と称えられたと広報にも紹介している。


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マウスオン・ワンクリック・3画像
階下が駐車場になっていて資料室が階上にある。
階段を上がるときに目に留まったのがこの電動昇降機である。
体に障害のある人や階段を登るのが難儀な人への優しい配慮は、故人となられた先生の一生を貫いた生き方だったが、その遺志が継がれているのだ。




ドアを開けたとたんヒノキのいい香りがする。
柱も天井も通路の腰板も全て木材そのものを使っている室内は癒しの空間といえる。
壁も白い漆喰である。

新建材を一切使用せずに建築されていると、係りの方が説明してくれた。
公害の恐ろしさを常に説かれていた先生の資料室は、それを象徴するかのように自然のものを用いられている。
先生亡き後の滋光会のかたがたの中に、こうした先生の考えが浸透されていることをここでも感じた。



ガラスケースの中には先生の著書の自筆の原稿が並んでいる。
昭和50年には吉川英治文化賞を受賞されている。




お寺に生まれ育った先生は、患者さんを診るとき、仏様への祈りの心を持っておられて、診察室にはこの阿弥陀様が置かれていたという。
何度も先生の診察室でお世話になったが、時間をかけた丁寧な診察が、頭をよぎる。




この往診鞄を目にした時、胸が熱くなった。

沢山の外来患者さんの診察を終えた後、その頃もう通院する元気のなかった夫の往診を、隔日ごとに必ずしてくださった。

往診の夜12時、1時であっても必ず単車でお見えになった。
その時の鞄である。
先生が来てくださると言うだけで夫は、その日気分よく過ごしているようだった。



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マウスオン・ワンクリック・3画像



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マウスオン・2画像


図書や、ビデオの貸し出しもしているとの事であった。
先生の著書のほか、「命」に関わるものが多い。

先生が好んで聴いておられたベートーベンの曲が流れる資料室で、「命」の大切さ、そのための「食」について「農作物の安全性」にいち早く取り組まれた偉業と共に、「医は仁術」の医師としての遺徳を偲ばせてもらうことが出来た。

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今日でさようなら・スイッチバック

2007年03月17日 | ☆ ふるさと・大和

スイッチバックで電車が動く最後の日である。
ウォーキングの後その足で北宇智駅に行った。
国道24号から駅に左折すると遮断機が降りている。
時間が掛かりそうなのでカメラを出して待つことにした。

小学生らしい子が、何かメモを取っている。この日の記録にするのだろう。




1枚撮ってから記録のために日時を入れたほうがいいと気が付い、以後の今日の画像は全てデーター入りにした。


6画像

先日来た時になかった仮乗車場ができている。
今夜から明日にかけての大工事のための大きい重機もスタンバイ。
かなり多くの人が工事に携わるように聞いている。


8画像

カメラを持った人が連日ここに来ているという。
マニアの人であったり報道局の人であったり、郷土の鉄道の記録として残したい私のようなものであったり、とにかく北宇智駅に多くの人が訪れる。





奈良行きが入ってきた。
駅舎を通過して、折り返し線に。



踏み切りのずっと向こうの停車位置で止まって、ワンマンカーだから、運転手がいったん電車から降りてバックする進行方向にある運転席に移動する。(これは、尼崎の事故以来安全面でこうなった)




バックして北宇智駅に来る電車が・・・遠くだが見えてくる。




ここに見える線路の真ん中の線に入ってくる。
そこで、乗客の乗り降りがはじめてできる。
そして、奈良方面へ・・・。



3月19日以降乗り降りの人以外に訪れる人のない静かな、無人駅に戻ることだろう。


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