ある日の朝食後の会話です。
私が「それって…」と話し始めると、
夫「言わんでもええ!」
私「でも、それって…」
夫「言わんでもええ!」
私の意見など聞きたくもないということでしょうか。
それから寡黙になった私です。
人は、時に、予期しない、恐ろしい「言の葉」を浴びせられます。
最近、認知症になった人と話す機会がありました。
ある人は、同じ話を詳細に何度もなさいました。
ある人からは、小さな声で、独り言のように何度も同じ言葉を発するのを聴きました。
それらを聴いて、私が思うのは、「この人にとってはそれがずっと心の闇だったんだろうなぁ」ということです。
若い頃、或いは長きにわたって、
言われたこと
言い続けられたこと
することを強いられ、それに従ったこと
理解不能な発言に戸惑ったこと等々。
それらが形を変え、何度も繰り返されたとしたら尚のことです。
人の記憶の根っこには、嬉しいことよりも悲しみや悔しさが澱のようになって存するのだと思います。
「楽しいことをいっぱい積み重ねて生きて行こう!」と、私がずっと思っていたのはこれに通じるものです。
認知症になった人のために、そして認知症の人の周りにいる人たちのために、認知症そのものを治す薬があればいいなぁと思います。
が、認知症が完全回復不能な病気だとしたら、負の記憶が消えて、よかったことだけを思い出させる薬があれば、人はみな幸せになれるのになぁと思います。