今日だけ、いつ以来だか忘れたくらゐ久しぶりに、ネクタイを締めて外に出る。
それでも、學生時代に父から教はった締め方──“ウインザー巻”と云ふことをかなり後になって知る──は、しっかりと憶えてゐた。
これもひとつの、“財産繼承”。
私は、ネクタイを締めてのシゴトにだけは就くまいと心に決めて、現在に至る。
忘日、元營業マンと云ふ男性が自身の現役時代の苦勞自慢を延々披歴したのち、「……まう二度とスーツなんて着たくない」と、締めくくってゐるのを傍聴して、すなはちスーツとは企業組織に収監される囚人服であり、彼らのネクタイとは企業組織から首に縄を掛けられてゐることを示す手綱であり、手柄はすべて企業組織に吸ひ上げられ、自身の手許に残るのは、「まう二度とスーツなんて云々」なる不快な思ひ出のみ──
やはり學生時代、芝居を観た帰りの電車内で職場の不平不満を口にし合う勤め人たちを見て、「だったらそんなシゴトさっさと辞めちまえ……!」と強く反感を覺えたことが、現在の私につながってゐる。
私が生んだ“利益”は、私のもの。
私は私のために、生きる。
ネクタイは、お洒落のためのもの。