(昨年4月にロシアで起きたポーランド政府専用機墜落事故から1年たった4月10日、悲劇を追悼するワルシャワ 厳重な警備は複雑な事情を反映したものでしょうか? “flickr”より By bylemwidzialem http://www.flickr.com/photos/bylemwidzialem/5608314940/ )
【「新たな(両国関係の)段階が始まった」】
ポーランドにはその歴史的経緯から根強いロシアへの不信感がありますが、そうしたロシアへの感情を象徴するのが「カチンの森事件」と言われる第2次大戦中の出来事です。
“「カチンの森事件」:第二次世界大戦中の1940年春、ソ連秘密警察がポーランドから連行した将校ら2万人以上を銃殺した事件。ドイツ軍が43年、現在のロシア西部スモレンスク近郊のカチンの森で遺体を発見、発覚した。ソ連はナチス・ドイツの仕業だと主張、90年にゴルバチョフ大統領が関与を認め、初めて謝罪した。事件はポーランドに対露不信を長く根づかせる一因となった。”【10年12月7日 産経】
そうしたポーランドのロシアへの不信感を払しょくする道を開いたのも、ロシア側の「カチンの森事件」に対する責任を認め、ポーランドとの和解を進めようとする対応でした。
事件の70周年の昨年4月、プーチン首相がポーランド首相を招いて初の追悼式典を開くなど和解への動きを見せ、ロシア下院は「スターリンら当時のソ連指導部が直接指示した犯罪」と断定する声明を初採択、メドベージェフ大統領も事件の捜査資料のポーランド側への提供を進め、スターリン体制の批判も明確にしました。
昨年4月には、「カチンの森事件」追悼式典へ出席するためにロシアに向かっていたポーランドのカチンスキ大統領(当時)のほか政府高官ら約90人が乗った専用機がロシア西部で墜落し全員が死亡するという衝撃的な事件が発生しましたが、このときロシアがポーランド側への協力を惜しまない姿勢を見せたことが、特にポーランド国民の対ロ不信感を和らげるうえで影響が大きかったと言われています。
****露・ポーランド首脳会談 カチンの森事件から70年 歴史的和解、友好へ一歩*****
ロシアのメドベージェフ大統領は6日、ポーランドの首都ワルシャワでコモロフスキ大統領と会談した。会談後の共同記者会見で両首脳は、「カチンの森事件」に象徴される第二次世界大戦をめぐる歴史的対立を乗り越え、友好関係構築に踏み出すことをアピールした。欧州屈指の反露派だったポーランドとロシアの関係は新たな局面を迎えた。
メドベージェフ大統領は記者会見で、「ロシアは最近、歴史的障害を取り除くために先例のない道を歩んできた」と述べた。ロシアは5月、カチンの森事件に関する公文書のポーランド側への提供を始めたほか、露下院では11月下旬、スターリンらソ連首脳部が同事件の指令を下したことを認める声明を採択、和解に向けた努力を進めてきた。
カチンスキ大統領(当時)のほか政府高官ら約90人が乗った専用機が今年4月、露西部で墜落し全員が死亡した事故についても、ポーランド側への協力を惜しまない意向を示した。
コモロフスキ大統領はカチンの森事件について、「(全容解明は)最後まで行われなくてはならない」としながらも、露下院の声明を高く評価、「新たな(両国関係の)段階が始まった」と述べた。
カチンの森事件をめぐっては、発生から70年となる今年4月、両国の首相が初めて現場での追悼式典にそろって出席、和解の機運が生まれていた。7月の選挙を経て大統領に就任したコモロフスキ氏は故カチンスキ氏と異なり、対露融和派として知られる。
メドベージェフ大統領はポーランド政府に対し、ロシアと北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)との交渉にも、積極的に加わることに期待を示した。大統領は7日までのポーランド滞在に続き、ブリュッセルでEUとの首脳会談に臨む予定で、ポーランドとの関係好転はロシアの対欧州関係全般にも影響を及ぼしそうだ。【10年12月7日 産経】
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こうしたポーランドとロシアの“歴史的和解”の流れは、これまでロシア批判の急先鋒だったポーランドに対ロシア融和派のコモロフスキ大統領が誕生するなど、ロシア外交にとって、ウクライナでの親ロ政権成立などとならんで、旧ソ連・東欧におけるロシアの復権を示す“成果”とも見られてきました。
【「ポーランドに対するあざけりだ」】
しかし、今年1月にロシア側から発表された昨年4月のポーランド政府機墜落事件に関する最終報告は、ポーランド機パイロットの判断ミスであり、ロシア側には責任はないとする内容で、ポーランドからの反発を惹起するものでした。
****ロシア:ポーランド政府機墜落で最終報告 露側に問題なし****
昨年4月、ロシア西部でポーランド政府専用機が墜落し、カチンスキ・ポーランド大統領(当時)夫妻ら乗員乗客96人全員が死亡した事故で、ロシア政府航空委員会は12日、操縦士がカチンスキ大統領を恐れて、悪天候の中で着陸を強行したことが事故原因とする最終報告書を発表した。ロシア側の対応には問題がなかったとの見解を示したものだが、ロシアの航空管制などに問題があったとの認識が広がっていたポーランド側からは「ポーランドに対するあざけりだ」と反発の声が上がっている。
この事故ではロシアが発生直後に迅速に対応したことから、従来歴史問題で対立していたポーランドとの和解を促進する格好となった。だが、ポーランド側の反発が強まれば、関係改善に水を差す可能性もありそうだ。
報告書は、管制室が他の空港への振り替え着陸を勧めたり、着陸許可を出さなかったにもかかわらず、同機が視界不良の中で着陸を試みて、障害物に衝突したと指摘した。
強行着陸の背景については、ボイスレコーダーの解析や遺体の損傷具合から、ポーランド空軍司令官ら2人が操縦室に入ってきたと断定し、司令官の存在が操縦士にとって「心理的な圧力」となった▽司令官の血液からアルコール成分が検出された▽操縦室内で交わされた「もし(着陸)しなければ、彼(=大統領)は激怒するだろう」という会話が録音されていた--などの調査結果を明記した。
一方、報告書について、死亡したカチンスキ大統領の双子の兄で保守系最大野党「法と正義」党首、ヤロスワフ・カチンスキ元首相は12日の記者会見で「証拠も無しにすべての責任をポーランド人操縦士とポーランドに負わせた最終報告は、ポーランドに対するあざけりだ」と反発。遺族を代表する弁護士の一人もロイター通信に「遺族が必要としているのは一方的な発表ではなく、真実だ」と述べ、「全く破廉恥な内容だ」と最終報告を否定した。【1月13日 毎日】
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カチンスキ大統領はじめお偉方が、式典出席に間に合うよう予定通りの着陸を強く求め、その結果無理な強硬着陸に至った・・・というロシア側見解は、個人的には「多分そんなところだろう・・・」という感がしますが、ポーランド側には受け入れがたいものもあるようです。
なお、ポーランドの調査委員会は、管制官と操縦士の交信記録から、政府専用機が着陸前に飛行コースから大きく外れていたにもかかわらず、管制官が伝えなかったと分析しています。
****政府専用機墜落:「ロシア管制ミス原因」ポーランドが反論*****
昨年4月にロシアで起きたポーランド政府専用機墜落事故の原因を巡り、両国間の非難合戦がエスカレートしている。すべての責任は機長の判断ミスなどにあるとしたロシアの最終報告に対し、ポーランドは現地(ロシア側)の航空管制にも責任の一端があるとの独自の調査結果を発表。両国の関係改善に影を落としている。
ポーランドのミレル内相は18日の会見で、政府専用機が悪天候下、ロシア西部スモレンスクの空港に着陸しようとした際、正常な高度やコースから外れていたにもかかわらず、「航空管制官は操縦士に針路から外れていることをまったく伝えていなかった」と述べた。
これを受け、ロシア政府航空委員会は19日、「異例の」対抗措置として管制官と操縦士などの全通信記録を公開した。この中で管制官は視界が400メートル以下だったことから、「着陸を受け入れる状況でない」と勧告していた。ただ、針路から外れていたことは直接的に伝えていなかった模様だ。
ロシアは今月12日の最終報告書で、事故で死亡したカチンスキ大統領(当時)の搭乗に伴う「心理的圧力」によって、操縦士が悪天候下で着陸を強行したことが原因と発表。航空管制や空港設備にも責任があると考えるポーランドのトゥスク首相は「不十分な内容だ」と反発していた。
ポーランドでは今秋の総選挙に向け、カチンスキ前大統領の双子の兄、ヤロスワフ・カチンスキ前首相率いる保守系最大野党「法と正義」が、トゥスク政権の対ロシア政策を「弱腰だ」と痛烈に批判している。
ポーランドでの最近の世論調査によると、ロシアの最終報告は正しくない、と考える回答者が半数近くに上っており、同国との関係改善を進めてきたトゥスク政権は苦境に追い込まれている。【1月21日 毎日】
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【「(現場は)カチンの森事件を追悼する場所ではない」】
こうした、ポーランド側の対ロ不信感を再び煽りかねない“事件”が表面化しています。
****ポーランド政府機墜落から1年、ロシアの追悼碑「交換」が火種に****
ポーランドのレフ・カチンスキ大統領らが乗った政府専用機がロシア西部スモレンスクで墜落し、95人が犠牲となった事故から10日で1年を迎えたが、事故現場にポーランドが建てた追悼碑がロシア政府によって取り替えられていたことが明らかになり、両国間にきしみが生じている。
■消えた「カチンの森」への言及
カチンスキ大統領らポーランド政府代表団は前年4月10日、第二次世界大戦中に旧ソビエト連邦の秘密警察がポーランド軍将校を大量虐殺した「カチンの森事件」の追悼式典に出席するため、ロシアのカチンに向かう途中、濃霧の中で墜落事故に遭った。
事故の遺族ら約40人は9日、追悼のため事故現場を訪れ、ポーランド語で追悼文を記した御影石の追悼碑が、別のものに交換されているのを発見した。ロシア側が新たに設置した追悼碑の碑文は、ポーランド語とロシア語で併記され、元のものより短いうえ、元の碑文には記されていた「カチンの森事件」への言及が削除されていた。
ポーランド政府は、ただちにロシア側の対応を非難する声明を発表した。
■ロシア、真っ向から反論
これに対しロシア外務省は、「ロシアの公用語はロシア語だということを、ポーランド政府は知らないのか」と述べる声明を発表。ポーランド側が設置した追悼碑は「暫定的」なものに過ぎず、事故に相応しいよう両国の言葉を併記した追悼碑を設置したロシア側の努力を、ポーランド政府は無視していると反論した。
「騒動の元を作ったのはポーランド側だ。解決を呼びかけたのに、返答がなかった。したがって、ポーランド外務省のコメントには困惑している」(ロシア外務省)
また、事故現場となったスモレンスク州知事も、現場は「カチンの森事件を追悼する場所ではない」と記者団に語った。
■和解ムードに水差す疑念
ポーランド軍将校ら2万2000人が虐殺された「カチンの森事件」をめぐっては、旧ソ連政府が長年、事件の存在を隠蔽(いんぺい)してきた経緯があり、いまだにポーランドとロシアの外交関係に影を落とす問題となっている。
ロシア政府が事件の調査結果の一部を公表し、虐殺はヨシフ・スターリンの命令によるものだったと認めたことで和解ムードへと移行しつつあったが、今回、ロシアによる追悼碑交換が発覚したことでポーランド国内では再びロシアへの疑念と不信感が高まっている。
ポーランド外務省は、ブロニスワフ・コモロフスキ大統領が11日に事故現場で行われる追悼式典で、交換された追悼碑には花輪を捧げない可能性を示唆。首都ワルシャワのロシア大使館前でも、数百人が抗議運動を展開した。【4月11日 AFP】
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詳しい事情はわかりませんが、ポーランドが設置した碑文を勝手に変えてしまうというのは、なんとも大胆な行為です。墜落事故直後の“ロシアの「誠実な対応ぶり」”はどこにいったのでしょうか。
こうしたことがポーランド側を刺激することはわかっていたことですが、プーチン首相やメドベージェフ大統領も了解したうえでのことでしょうか?
“ポーランドでは今秋の総選挙を控え、事故死した大統領の双子の兄で、保守系最大野党「法と正義」を率いるヤロスワフ・カチンスキ元首相が、愛国心を鼓舞する戦術を展開。対露協調路線をとる与党・市民プラットフォーム党首のトゥスク首相らは苦しい立場に立たされている。”【4月11日 毎日】