孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

パキスタン  村議会の指示で集団レイプ・・・最高裁で無罪

2011-04-24 20:27:31 | 世相

(写真右の水色のスカーフが下記産経記事にある事件被害者のMukhtar Maiさん。彼女は事件後、泣き寝入りも(家族の名誉を守るために周囲から期待される)自殺もせず、告訴を選択しました。写真は、2005年6月28日、最高裁法廷を弁護士・支持者と退出するときの様子ですが、このとき最高裁は高裁判決を覆して関係者の再逮捕を命じたようです。しかし、今年2月の最終判決は高裁判断を支持するものでした。 “flickr”より By jmcannon2286 http://www.flickr.com/photos/jmcannon2286/1707267991/

なお、パキスタンでは、16歳で誘拐され1年間に及ぶ暴行から抜け出し警察に訴えた女性が、今度は警官から輪姦を受けるという事件もありますが、こうした事例も珍しくないようです。この事件の被害女性が警察に訴え出たのは、Mukhtar Maiの行動から影響受けたからとのことです。)

ライバル部族の女性と関係を持った弟の罪で集団レイプ
報道されるニュースを“いいニュース”と“悪いニュース”に分ければ、その性格上“悪いニュース”が殆んどを占めています。そうした“悪いニュース”の中でも、下記のようなものはとりわけ気分が悪くなります。

****集団レイプは無罪 パキスタン、最高裁判決に批判相次ぐ****
パキスタン東部パンジャブ州の村で起きた集団レイプ事件で、被告の男6人のうち1人を除く全員が無罪となる判決が、最高裁であった。被害者の泣き寝入りが常となっている社会の因習を破り、勇気を持って法的手段に訴えた被害女性の行動は国内外の関心を集めていただけに、人権団体は最高裁の判決を非難している。

被害女性は、同州南部の村に住むムクタラン・マイさん(40)。2002年6月、村議会の指示により、公衆の面前で6人の男性からレイプされた後、裸で街頭を歩かされた。当時12歳の弟がライバル部族の女性と関係を持ったことに対する相応の行為として、姉のマイさんをレイプする判断が下された。

この後、マイさんはレイプ犯や指示を出した男らを訴えた。ラホール高裁は「証拠不十分」で、直接レイプに関わったとされる6人のうち5人に無罪、1人に終身刑を言い渡した。事件に関わったのは計14人。1人を除いて全員が自由の身となった。これを不服としてマイさんは05年に最高裁に上告。しかし、約6年を経て今月21日に出された判決は高裁の判断を支持するものだった。

判決について、パキスタン人権委員会は、「レイプが横行し、犯罪が報告されずに終わる国で、この判決は被害者に声をあげるのをとどまらせ、女性への犯罪を増加させるものだ」と非難した。「これが私たちの娘の扱い方だ」といった怒りの声が地元紙(電子版)に掲載されるなど、批判が相次いでいる。
一方で、読み書きもままならず、地方の農村から声をあげたマイさんの勇気ある行動は、これまで国内外の称賛を集めてきた。マイさんはいま、各地から寄せられた支援金で女子学校を設立して運営している。【4月24日 産経】
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言い様のない不快感
こうした女性の人権が無視される出来ごとは、別に珍しくも何ともなく、現在も世界中に山のように溢れていることは承知しています。
今回の件も、被害者が訴訟に持ち込んだため話題になっただけで、話題にもならずすまされている同様の出来ごとは巷にあふれています。

アフリカやアジアの国々だけでなく、女性の権利が当然のこととして認められている欧米社会であっても、例えば、イタリアの首相は“ブンガブンガ”(リビアのカダフイをまねたというハーレム風セックスパーティー)を楽しんでいるようですし、そのイタリアの男女平等度は世界経済フォーラム発表で74位ですが、日本はその下の94位です。
産経記事のような明らかな人権無視から、“ガラスの天井”まで、いろんな差別が存在していることも承知しています。

別に私はフェミニストでもありませんし、むしろ日常生活では、その他男性同様に、家事や育児を女性に任せきりにすることもごく普通に行うような人間です。
それでも、記事のような男性の欲望を一方的な“社会正義”で覆い隠したような行為には、通常のレイプ事件より不快な陰湿さを感じます。

価値観・文化は地域で異なる・・・とは言うものの
人間の感情はより具体的なもの、特に性的なものに反応しますので、メキシコで麻薬絡みの遺体が177人見つかった・・・といったニュースにはそれほどの不快も感じないのに、上記記事に強い不快を感じるというのは、そうした事情もあるのでしょう。本来は、177人それぞれの殺され方を見れば、上記記事の事件は177分の1であり、しかも殺されずに済んでいるので更に悲惨さは少ない・・・とも言えるのかも。

一般論として、それぞれの地域には独自の文化なり価値観があり、自分たちの社会の価値観でそれを断罪するのはおかしい・・・という議論はわかります。
しかし、そうしたことを考え合わせても、どうしても上記記事のような出来事を、「そんなこともあるだろう・・・」と飲み下すことが困難です。

今回事件は女性の人権無視ですが、何らかの信念・価値観・宗教・因習・その他で、あるグループ・ある人の人権を認めないという社会においては、同様の理由で、他の民族・思想グループの人権をも無視することも容易にありうるでしょう。

今回事件はパキスタンでのものですが、隣接するアフガニスタンにも同様の部族社会の因習があり、宗教的なものも合わさって、女子学生の顔に酸を浴びせたりするタリバンの極端な女性蔑視にもつながります。
価値観はそれぞれ・・・とは言いつつも、どうしても認めがたいものもあります。

なお、被害女性が“各地から寄せられた支援金で女子学校を設立して運営している”と、強く生きているとのことで、救われるところがあります。


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