孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

フィリピン  ミンダナオ島反政府勢力との和平枠組み合意が成立

2012-10-08 17:33:44 | 東南アジア
2日からアメリカ旅行中です。
今日、グランドキャニオンなどのグランドサークルツアーを終えてラスベガスに戻ってきました。
今朝は4時過ぎに起きて朝日見物、更にグランドキャニオンでミニハイキング、ラスベガスへのドライブ・・・ということで、いささか疲れました。


フィリピン・ミンダナオ島を基盤とする反政府イスラム勢力「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)とフィリピン政府の戦闘と和平交渉については、これまでも何度か取り上げてきました。
ただ、最後に取り上げたのが、11年8月5日ブログ「フィリピン アキノ大統領、反政府組織議長と日本で極秘会談 和平に向けて始動」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20110805)と、すでに1年以上経過します。

この間、あまり大きなニュースになることは多くありませんでしたが、ようやく枠組み合意が成立し、和平へ動き始めたようです。

****比政府とイスラム武装勢力 ミンダナオ、和平枠組み合意****
 ■2016年までに新自治政府移行
フィリピン政府と、南部ミンダナオ島を拠点とする反政府武装勢力「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)は7日、和平の枠組みに合意した。既存の「ムスリム・ミンダナオ自治区」(ARMM)の領域拡大を認め、2016年までに新自治政府へ移行し、「移行委員会」を設置して、新自治政府の統治機構と「基本法」を策定することが柱だ。軍とイスラム武装勢力との紛争が40年以上続き、10万人以上が犠牲になったミンダナオ問題は新たな局面を迎えた。

 和平交渉は2日から、仲介国マレーシアの首都クアラルンプールで、日本もオブザーバーとして参加し続けられていた。交渉の焦点の一つは、MILF側が要求するARMMの領域拡大を、政府側がどこまで認めるのかという点にあった。

 ARMMは1990年に住民投票を経て発足し、南ラナオ、マギンダナオ(以上ミンダナオ島)、スルー、タウィタウィ、バシラン(以上スルー諸島)の5州などで構成されている。これに枠組み合意では、ミンダナオ島中部コタバト市と、バシラン州イサベラ市を加えることとした。
 MILF側は2市以外にも、複数の州などを編入するよう主張していたが、これについては結局、住民投票を今後、実施し民意に委ねることで落ち着いた。

 双方は、新自治政府への移行へ向けたロードマップ(工程表)も作成した。具体的には、(1)政府とMILFのメンバーで構成する移行委員会を設置する(2)2年間で新自治政府の統治機構と基本法を策定する(3)そのうえで基本法を住民投票にかける(4)基本法成立後にARMMを廃止し、暫定政府を発足させる-などだ。

 合意を受けアキノ大統領は7日、声明を発表し「最終的、永続的な和平の道を開くものだ」と意義を強調したうえで、新自治政府の名称は、フィリピンのイスラム教徒を指す「バンサモロ」になると述べた。

 だが今後の課題は多い。警察権や、ミンダナオ島の豊富な石油、天然ガスの開発権などを、中央政府が新自治政府に一部移譲するか否かという問題がある。MILFの軍への編入、武装解除の行方も不透明だ。
 また、政府との徹底抗戦を主張し、MILFから離脱した強硬派「バンサモロ・イスラム自由戦士」によるテロが、激化する恐れもなしとしない。【10月8日 産経】
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MILFの兵力は公称約12万人、政府推定約2万人と、東南アジアで最大規模の武装勢力と言われています。
フィリピン政府とMILFは97年から和平交渉を始め、決裂と戦闘を繰り返してきました。

“フィリピンは8割以上がカトリック教徒だが、ミンダナオ島ではイスラム教徒が多く、60年代後半からイスラム勢力による分離独立運動が本格化した。反政府武装勢力「モロ民族解放戦線」(MNLF)は96年、政府と和平協定を締結したが、78年に分派したMILFは戦闘を継続した。MILFは03年にいったん停戦合意したが、08年に紛争が再燃し、40万人以上の避難民が発生した。10年2月に和平交渉が再開され、今回の和平交渉は仲介国マレーシアの首都クアラルンプールで2日から続いていた”【10月8日 毎日】

ここ数年では、アヨロ前大統領のもとで08年に一旦はMILFが拠点とするミンダナオ島にあるイスラム系住民の「ホームランド(先祖伝来の土地)」について、独自の治安維持、金融、行政事務、教育、法律などのシステムを認めるほか、天然資源の管理に完全な自治権を与えることなどが盛り込まれた合意がなされましたが、一部政治家らが「国の中にもう一つ国を作るようなものだ」、「憲法違反」だと反発、ミンダナオ島のキリスト教系住民も抗議デモを行う中、フィリピン最高裁が和平合意文書の調印を一時差し止める決定を下しました。
このため、08年8月21日、アロヨ大統領は和平合意を破棄することを発表、和平は実現しませんでした。

今後については、“政府とMILF、国際機関の代表からなる「移行委員会」を設置し、自治政府の権限など詳細を決める。憲法改正や基本法の法整備をしたうえで、16年の統一選挙後の運用開始を目指す”【10月8日 朝日】とのことですが、今回は前回のような保守派の妨害はないのでしょうか。

なお、アヨロ前大統領とアキノ大統領の確執については、11年11月21日ブログ「フィリピン アロヨ前大統領逮捕 アキノVSアロヨの新旧攻防」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20111121)で取り上げましたが、アヨロ前大統領再逮捕がほうじられています。

****アロヨ前大統領を再逮捕 公金約7億円の不正流用容疑****
 フィリピンのアロヨ前大統領が4日、公金の不正流用の疑いで警察に再逮捕された。大統領を退任した2010年までの約2年間に、慈善宝くじ協会(PCSO)の公金約880万ドル(約6億9千万円)を流用した疑いがもたれている。
 アロヨ氏は07年の上院選で票を不正に操作した選挙妨害の疑いで昨年11月に逮捕され、現在保釈中だった。首の病気のため入院しており、病院で勾留されている。【10月4日 朝日】
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権力者が交代すると前任者が逮捕されるというのは、エストラダ元大統領のときもありました。
もちろん好ましいことではありませんが、それだけ権力者による権力乱用の政治風土が存在しているということでしょう。
アキノ大統領のもとで、そうしたものも一掃されることを願いますが・・・。
コメント (1)
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