「こんにちわッ、テディちゃでス!
ついにィ、じつげんッしましたでス!」
「がるる!ぐるるるる~!」(←訳:虎です!おめでとう~!)
こんにちは、ネーさです。
祝!ラグビーワールドカップ開幕!
現役選手さんとOBさん、
日本のすべてのラグビーファンの夢がとうとう実現しました。
素晴らしい大会になることを心から願いつつ、
読書タイムも頑張ります!
本日は、こちらのご本を、さあ、どうぞ~♪
―― もっと知りたい 岸田劉生 ――
著者は蔵屋美香(くらや・みか)さん、
2019年9月に発行されました。
『生涯と作品』と副題が付されておりますように、
画家・岸田劉生さんの画業と生涯を紹介するアートムック本です。
「ことしはァ、めもりあるゥ!」
「ぐるがるるぐるるる!」(←訳:没後90年なんです!)
岸田劉生(きしだ・りゅうせい)さんは、
1891年に生まれ、
1929年に病没……
38歳での、早過ぎる旅立ちでした。
今年2019年は、
岸田さんの没後90年にあたる年であり、
ちょうどいま、東京ステーションギャラリーで
『岸田劉生 展』が開催されています
(10月20日まで)。
展覧会のポスターやチラシ(フライヤー)で
いわば“主役”となっているのが、
この御本の表紙にもなっている、
《麗子肖像(麗子五歳之像)》(1918)。
「ゆうめいィでスねッ!」
「がるるるるぐるる!」(←訳:岸田さんの代名詞!)
そうですね、
岸田さんの名を聞けば
先ず《麗子像》が思い浮かぶ御方も多いことでしょう。
しかし、著者・蔵屋さんは
本文14ページで
このような文章を記しています。
『《麗子像》の誕生、
そして突然の終り』
「むゥ? おわりィ??」
「ぐるる?」(←訳:突然の?)
1916年7月、
岸田さんは肺結核と診断されました。
病気の療養のため、
東京郊外へ、
次いで神奈川県の鵠沼(くげぬま)へ、
岸田さん一家は転居します。
海まで歩いて15分のそこは、
現在の湘南とは比べものにならぬほど
静かで穏やかな土地柄であったせいでしょうか、
岸田さんは健康を取り戻し、
作品の制作に力を注ぎました。
この“鵠沼時代”に生み出されたのが
岸田さんの長女・麗子ちゃんをモデルにした
《麗子像》シリーズ。
「ひとめェみればァ、わすれないィ!」
「がるるぐるる!」(←訳:印象的だよね!)
御本の巻末近くには、
麗子像を論じた特集ページ
『いい子のれい子、いいれい子ォ』があり、
そこには《麗子像》シリーズについて、
制作当時から人気が高く、
ほしいというコレクターも多かった――
と書かれています。
思うに、この“鵠沼時代”が
岸田さんにとって
もっとも幸福な時間だったのではないでしょうか。
「えふでとォ、ともにィ~」
「ぐるるがる!」(←訳:充実の日々!)
残念なことに、
幸福な時間は長く続きませんでした。
1923年9月、
関東大震災が発生し、
岸田さんの自宅は半壊してしまいます。
「あァ~…」
「がる~…」
銀座生まれの都会っ子・劉生さんが、
海辺の風の中で目にした
つかのまの光。
展覧会で、
この御本で、
岸田さんが描いた《麗子像》を、
切り通しの赤土の風景を、
皆さま、ぜひご覧になってくださいね。
おすすめです!
ついにィ、じつげんッしましたでス!」
「がるる!ぐるるるる~!」(←訳:虎です!おめでとう~!)
こんにちは、ネーさです。
祝!ラグビーワールドカップ開幕!
現役選手さんとOBさん、
日本のすべてのラグビーファンの夢がとうとう実現しました。
素晴らしい大会になることを心から願いつつ、
読書タイムも頑張ります!
本日は、こちらのご本を、さあ、どうぞ~♪
―― もっと知りたい 岸田劉生 ――
著者は蔵屋美香(くらや・みか)さん、
2019年9月に発行されました。
『生涯と作品』と副題が付されておりますように、
画家・岸田劉生さんの画業と生涯を紹介するアートムック本です。
「ことしはァ、めもりあるゥ!」
「ぐるがるるぐるるる!」(←訳:没後90年なんです!)
岸田劉生(きしだ・りゅうせい)さんは、
1891年に生まれ、
1929年に病没……
38歳での、早過ぎる旅立ちでした。
今年2019年は、
岸田さんの没後90年にあたる年であり、
ちょうどいま、東京ステーションギャラリーで
『岸田劉生 展』が開催されています
(10月20日まで)。
展覧会のポスターやチラシ(フライヤー)で
いわば“主役”となっているのが、
この御本の表紙にもなっている、
《麗子肖像(麗子五歳之像)》(1918)。
「ゆうめいィでスねッ!」
「がるるるるぐるる!」(←訳:岸田さんの代名詞!)
そうですね、
岸田さんの名を聞けば
先ず《麗子像》が思い浮かぶ御方も多いことでしょう。
しかし、著者・蔵屋さんは
本文14ページで
このような文章を記しています。
『《麗子像》の誕生、
そして突然の終り』
「むゥ? おわりィ??」
「ぐるる?」(←訳:突然の?)
1916年7月、
岸田さんは肺結核と診断されました。
病気の療養のため、
東京郊外へ、
次いで神奈川県の鵠沼(くげぬま)へ、
岸田さん一家は転居します。
海まで歩いて15分のそこは、
現在の湘南とは比べものにならぬほど
静かで穏やかな土地柄であったせいでしょうか、
岸田さんは健康を取り戻し、
作品の制作に力を注ぎました。
この“鵠沼時代”に生み出されたのが
岸田さんの長女・麗子ちゃんをモデルにした
《麗子像》シリーズ。
「ひとめェみればァ、わすれないィ!」
「がるるぐるる!」(←訳:印象的だよね!)
御本の巻末近くには、
麗子像を論じた特集ページ
『いい子のれい子、いいれい子ォ』があり、
そこには《麗子像》シリーズについて、
制作当時から人気が高く、
ほしいというコレクターも多かった――
と書かれています。
思うに、この“鵠沼時代”が
岸田さんにとって
もっとも幸福な時間だったのではないでしょうか。
「えふでとォ、ともにィ~」
「ぐるるがる!」(←訳:充実の日々!)
残念なことに、
幸福な時間は長く続きませんでした。
1923年9月、
関東大震災が発生し、
岸田さんの自宅は半壊してしまいます。
「あァ~…」
「がる~…」
銀座生まれの都会っ子・劉生さんが、
海辺の風の中で目にした
つかのまの光。
展覧会で、
この御本で、
岸田さんが描いた《麗子像》を、
切り通しの赤土の風景を、
皆さま、ぜひご覧になってくださいね。
おすすめです!