あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

あなたは山と海のどちらが好き?

2008-10-22 22:59:22 | 山は地球の見晴らし台

 

 

写真:水中窓から見ていると、こちらも観察されているとわかる。

 

 ついに海にでたあー!なんだか嬉しい。小雨ながらも、山と比べると数倍明るい、そして広々だ。県道からR42に出て左折すると、砂浜に大きな岩石が見えます。高さ25m、周囲210mの「獅子岩」です(写真)。<o:p></o:p>

まさに目前の熊野灘に向かって吼えているようで、別名「日本のスフィンクス」とも呼ばれるそう。波の浸食と隆起による自然の造形は、時に奇跡的ともいえる面白い形を作るのですね。 

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 そこから1kmほど南にある「花の窟(はなのいわや)神社」も、巨石文化と深くかかわっていて、ご神体は高さ70mの巨大な岩塊です。周囲は深い天然林に囲まれていて、通常見られる木製の社殿はありません。日本最古の神社といわれます。

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お祀りしているのは、日本の国つくりをされた「イザナミノミコト(大地母神)」とその子どもである「カグツチノミコト(火の神)」です。史記が伝えるように、イザナミノミコトはイザナギノミコトと結婚して大八島国(日本の国)と35の神々を産みましたが、カグツチノミコトを産むときに火傷を負い、それがもとで「神逝る」とされています。神さまも逝去するなんて、人間くさいところがあるのですね。

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岩石の正面に壇をつくり、玉垣で囲んだだけの拝所は素朴で、「これが原初的なお祈りのかたちなのだ」と弥生時代に思いを馳せます。「花の時に花を以って祭る」(日本書紀)と伝わるように、春と秋の大祭日にはいっぱいの花で飾られるとか。上を見上げると結界の綱が高く張ってあります。こんなに高いところにあるのは初めてです。「お綱かけ神事」は大変だろうなあ。

 

写真:イザナミノミコトをお祀りしている拝所はシンプルです。

 

 「山と海のどちらが好き?」たいていの人は、山派か海派に分かれるなどといいますね。あいよっこは断然海なのですが、最近は山の魅力もわかってきました。でも「やっぱりそうか」と思うのは、くじら、いるか、魚たち、そのほか海に住む生物が大好きなこと。いつまで見ていても飽きないのです。動物園も好きだけど、水族館がもっと好きなのです。

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写真:見上げるとはるか高く結界の「お綱」が張ってあります。面白い形ですね。

 

 だから道の駅 ウミガメ公園」を見逃すわけにはいきません。道の駅に付随してウミガメを飼育するプールがあるなんて、とっても珍しい!泳いでいる姿はプールの上や、水中窓から見ることができます。大きさや種類はさまざまで、10匹(頭か?)くらいいました。

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 写真のウミガメ君はウミガメ公園のHPと同じみたいです! 好奇心が強いらしく、まっさきに、そして何度も寄ってきました。説明プレートによると、アカウミガメの「いっちゃん」かな?「頭と前足が白い・性別不明」とあります。

 

でも顔のクローズアップ、迫力あるでしょう?<o:p></o:p>

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自然の偉大さにひれ伏す

2008-10-13 22:00:31 | 山は地球の見晴らし台

                                           

 さて大峯山のところで、またまたいつもの道草をしてしまいました。その後無事に<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="20:川上村;" Address="川上村">川上村「</st1:MSNCTYST>杉の湯」のところに出ることができました! 広い道に出るとフツーに昼の明るさで、「山道(山の天気)ってそれほど暗いんだなあ」と思います。

 

<o:p> 写真:池原ダムから見ると、はるか下にきなりの郷などが広がっています。</o:p>

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今回の目的は<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:下北山村;" Address="下北山村">下北山村</st1:MSNCTYST>の歴史と伝説、そして自然を巡ることですよ。なので宿泊地は下北山きなりの郷「村立宿舎やすらぎ」です。ネットで申し込みすると、隣接する「きなりの湯入浴券」をもらえるのが嬉しい。んー、でもお部屋は公立なので?合宿風で、トイレも洗面所も共同です。(12食¥7000)温泉は新しくて立派で「ぐぅ~!」、お部屋はいまいちってところかな。

 

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次の朝も、のんびり台風15号のためにお天気は下り坂。山の上には雲がかかり、霧のような、もやのようなものがたちこめていて、9時過ぎだというのに場所によっては夕方のような感じです。

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「お天気の良い<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="29:下北山村;" Address="下北山村">下北山村</st1:MSNCTYST>に!」といった看板を見ましたが、たしかにダム湖のたっぷりとした水、川や池の水、山々から流れ落ちる水、さらに雨が降ってくるとどういうわけか元気が出ないのです。山や水の勢いに負けてしまいそうなのです。はっきりいうと「怖くてとても入れない」のです。お陽さまの力って本当に偉大なのですね。

 

写真:村内の川は比較的ゆったりと流れています。ダムが多いためでしょう。

 

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「ひとりでも大丈夫」と張り切って旅をしていますが、こんなとき古来よりヒトが群れになり、身を寄せ合って暮らしてきた意味がわかります。大自然の中でヒトが生きていくのは、とても恐怖に満ちていて不安がいっぱいです。たとえば車やケータイなど、また家とか衣服も含めて、文明の利器というものがなかったら、とても太刀打ちできないと初めて感じました。

 

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街中でたくさんの人や文明に囲まれていると、自分1人でなんでもできる、特に不便はない、と傲慢になっているのでしょう。実はたくさんの力で自分が生かされている、となかなか気がつかないのですね。<o:p></o:p>

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写真:トンネルを抜けて、和歌山県「七色ダム」に向かいます。

 

こんどお天気の良いときにまた来よう、と和歌山県に向かうことにしました。<o:p></o:p>

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経済的理由での変化はビミョーな気持ち

2008-10-08 16:02:39 | 山は地球の見晴らし台

2008/9/21付けの奈良新聞の一面、「行者宿に時代の波―変わる天川・洞川旅館街」という見出しが目に留まりました。修験道や行者宿について初めて知ったことがたくさんありました。内容を紹介します。

 

写真:写真が大峯山と無関係でスミマセン。先日行った「童仙房地区」で撮った秋風景です。名産のお茶畑が広がっています。

 

かつて洞川(どろがわ)の行者宿は、大峯山が「戸開け」(山開きのこと)される5月から「戸閉め」の9月まで、約5ヶ月間を中心とする営業でした。オフシーズンには各地にある「行者講」に、「クニ参り」と呼ぶあいさつ回りを行います。 

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しかし近年、行者さんが最盛期の半分ほどに減った一方で、一般観光客や普通の登山客が増加してきたそうです。また「星の観察会」「山伏修行体験」などの行事も増えてきました。必然的に客層が変わり、宿も「露天風呂設置」「部屋の改装」などの対応に迫られているのです。変わるのか変わらないのか、いつどのように、という選択が重要になっているのです。<o:p></o:p>

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写真:韓国寺の「高麗寺」は、日本のお寺と似てるところと、全く違うところがあります。

 

「行者講」というものが全国に存在し、これまで親類関係のようななじみの客が支えてきたのですね。そして修行体験参加者が増えたとはいえ、従来の行者さんたちは減っているらしいです。村の高齢化や状況の変化も影響しているようですが、四国88ヶ所や西国33ヶ所巡りが盛んになっていることを考えると、やはり女性を交えて、手軽に参加できる、というほうが人気もあるのでしょう。

 

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このあと熊野古道・修験道ゆかりの「熊野那智大社」(和歌山県)にお参りしたとき、とても驚いたことがあります。一緒に階段を登っていた一群は「こっち、こっち」といって大社とは違う方向に向かいました。「???」の疑問が解決したのは、隣接する青岸渡寺(せいがんとじ)に周ったとき。<o:p></o:p>

 

写真:高麗寺の御本尊は金ぴかに輝いています。

 

 

大社とはうってかわって、線香の煙がもうもうとたちのぼり大勢の人で賑わっています。お寺の中ではお祈りの人はもちろん、なにやら一心不乱に書いている人たちが並び、書いてもらう人たちも列をなしているのです。ここが西国33ヶ所巡りの第一番札所とわかりました。御朱印帳を何冊も抱えている人もいます。「わあ!すごい人気だなあ」と実感したのです。

 

 

写真:大きな違いが鐘楼にあります。鐘は地面すれすれまで長く、

床が、たぶん良く響くように、掘り込んであり、鐘を撞く棒は太く

二方向から伸びています。

 

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話は少し変わりますが、「日本古来の伝統だから」と女性の土俵入りを否定してきたすもう協会では、事件・問題が噴出しています。「これほど閉鎖的な組織で、こんな人たちが物事を決定してきたのだなあ」と感じてしまうことは残念です。「日本古来の伝統・文化」は脇に置いて、結局は「興行成績」つまり経済的なことが優先したのでしょう。

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あいよっこの個人的意見としては、大峯山の独自性や強い聖域性などは残して欲しい気持ちはあるのですが、こうした時流の変化に柔軟に対応することもいずれ必要になってくるような気がしています。ただ物事の変化が経済的理由によることは本当に残念ですが・・・。(「大峯山で考えたこと」終了)<o:p></o:p>

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女人結界の規制緩和が必要

2008-10-03 21:08:50 | 山は地球の見晴らし台

 

        写真:京都府南山城村にある「童仙房地区」の田んぼ風景。

       今ではあまり見なくなりました。

 

女性問題やジェンダーなどの視点から見ると、「女人結界」は差別になります。大峯山が世界遺産に登録される時には、女性団体が入山を強行する事件があり、山の管理者はあたらめて「伝統を守る宣言」を出したというニュースがありました。最近では当時の喧騒がうそみたいです。 

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女性学には関心があり学んできましたが、今では「それほど自分たちだけの聖域が必要なのね、そしてがんばって守りたいのね」とエールを送りたい気持ちもあります。実際に現地に行き、「大切に守られている聖域」という独特の雰囲気を感じました。

 

 写真:童仙房は標高500mの高原にあります。比較的街に近いけれど、いうまでもなく自然がそのまんまです。

 

確かに大峯山は他の山々とは違う特徴があるからこそ、これまでたくさんの人々を集めてきたのでしょう。だから前回の話のように男子の通過儀礼として、また男性たちの訓練や修行の場としてもっともっと活かして欲しいです。現代生活は身体を動かすことより、脳への感覚のほうが肥大気味ですし・・。<o:p></o:p>

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だけどちょっと待って!異議を唱えたいところもあります。なぜ?の理由として「女性は穢(けが)れているから」とか「伝統だから」と言われてきました。穢れているという理由は、さすがに最近では表立っていませんが、修行の周辺に「性的なにおい」がちらつくのは納得できないことです。単なる言い訳にすぎないように思えます。(詳しく書くと長くなります)  

 

写真:この季節、朝方は雲海がみられるそうです。

 

そして今度の体験で発見したこと!結界の中に公道が通っていると、女性は道路が使用しにくくなるのです。あいよっこも「洞川から<st1:MSNCTYST Address="川上村" AddressList="20:川上村;" w:st="on">川上村</st1:MSNCTYST>に出れますよ」を聞かなかったら、次の人の「<st1:MSNCTYST Address="大淀町" AddressList="29:大淀町;" w:st="on">大淀町</st1:MSNCTYST>まで引き返すしかない」を信じたでしょう。時間的にも経済的にもロスがあるし、山道の運転では不安も大きくなったはず。それは本当に困ります。<o:p></o:p> 

 

車に女性1人なら当然「女人禁制」ですが、男性多数のなかに女性が1人の場合、また半々の場合、女性の中に男性が1人の場合などなど、ケースにより違うのでしょうか?その時、女人禁制だからと男性は納得するのでしょうか?なにか基準もあやふやです。 

 

写真:スーパーもコンビニも、お店は一軒もありませんが、民宿「童仙房山荘」では名物「地鶏のすきやき」が美味しい。予約が絶対必要です。

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そもそもの矛盾は、女人結界に公道が含まれることです。山には管理者や所有者がいて、ある意味商業的にも運営方針があると思います。しかし道路の通行は平等であるべき。

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そこで提案しま~す!この問題の解決には「女人結界の規制緩和」が必要です。つまり「道路とその周辺は解放する」という柔軟な対応です。実はこうした矛盾の中から堅固な守りが崩れ、ほころびが広がっていくと思えてならないのです。<o:p></o:p>

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通過儀礼としての荒業修行

2008-09-30 12:15:30 | 山は地球の見晴らし台

 

さて洞川の町を過ぎ、灯りが燈る赤い建物を「あっ、これが母公堂だな」と思いながら通り過ぎました。次に「必ず左折」といわれた地点も見過ごして大きい道路のほうを進んでいると「お茶屋」が見えてきました。「大峯山遥拝所」とも書かれています。小雨がふりだしていましたが、「せっかくだから、大峯山を見よう」と思い立ちました。お腹もすいていたのです。

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中に入ると雨のためか営業も終わりにしようという雰囲気です。「おでんを三つ」頼むと「小鍋で暖めます」とのこと。席に着きおもむろにあたりを見回しますが、なんとなく感じるこの「違和感」はなに? 

 

<o:p>写真:大淀町の道の駅はたいへんな賑わい。大型観光バスからの観光客も降りてきました。</o:p>

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まあ山の茶屋はどこもそうなのでしょうが、漂う殺風景な雰囲気、お客は男の子と父親らしい何組かの団体、若い男性グループと男性のみ。「えっ?もしかしてここはすでに女人禁制ゾーン??」という恐れがよぎります。

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<o:p>写真:上北山村から下北山村にかけての道路にそってダム湖が広がります。</o:p>

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「しかたないか、知らなかったんだし。この機会に『ご遥拝』もさせていただこう」とちゃっかりと企みました。

 

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周囲はたくさんの山々で囲まれ、いったいどれが大峯山なのかまったくわかりません。車の近くで「修験者用の白い装束(たぶん)」を着替えている男性に聞きました。「こちらに説明図がありますよ。あの急に深く切り込んでいるところが有名な『西の覗き』です。晴れているとくっきりときれいに見えるのだけど・・・」と残念そうです。小雨のなか遠くからですが、遥拝することができてなんだか嬉しくなりました。(前回の写真を参照)<o:p></o:p>

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ところで「西の覗き」で何をするかご存知ですか?話に聞くところによると、断崖絶壁で命綱だけが頼りという状態で吊り下げられ、仏の世界を垣間見る荒行らしいです。奈良の地元では、今でも「男の子は10歳くらいになると父親と大峯山に登る」ことを慣わしとしている家があります。かなり少なくなってはいますが・・・。周囲のお母さんたちから「行かせた」と聞きました。もっと早く知っていたら家の息子たちにも行かせたかったです。

 

 

写真:池原ダムは朝もやのなかでした。その深さ、大きさ、静かさ・・・。怖いぐらいです。

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綱をにぎる山伏の人は「親孝行するかっ?」「悪いことはしないかっ?」などと戒める(いましめる)のだそう。思うに現代日本の都会生活では、子どもから大人になる儀式(イニシエーション)がほとんど無くなっています。女性は比較的周囲からの期待や、妊娠・出産などを通じて大人になる機会もありますが、一方で男性は難しくなっていると感じます。(続く)<o:p></o:p>

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