2008/9/21付けの奈良新聞の一面、「行者宿に時代の波―変わる天川・洞川旅館街」という見出しが目に留まりました。修験道や行者宿について初めて知ったことがたくさんありました。内容を紹介します。
写真:写真が大峯山と無関係でスミマセン。先日行った「童仙房地区」で撮った秋風景です。名産のお茶畑が広がっています。
かつて洞川(どろがわ)の行者宿は、大峯山が「戸開け」(山開きのこと)される5月から「戸閉め」の9月まで、約5ヶ月間を中心とする営業でした。オフシーズンには各地にある「行者講」に、「クニ参り」と呼ぶあいさつ回りを行います。
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しかし近年、行者さんが最盛期の半分ほどに減った一方で、一般観光客や普通の登山客が増加してきたそうです。また「星の観察会」「山伏修行体験」などの行事も増えてきました。必然的に客層が変わり、宿も「露天風呂設置」「部屋の改装」などの対応に迫られているのです。変わるのか変わらないのか、いつどのように、という選択が重要になっているのです。<o:p></o:p>
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写真:韓国寺の「高麗寺」は、日本のお寺と似てるところと、全く違うところがあります。
「行者講」というものが全国に存在し、これまで親類関係のようななじみの客が支えてきたのですね。そして修行体験参加者が増えたとはいえ、従来の行者さんたちは減っているらしいです。村の高齢化や状況の変化も影響しているようですが、四国88ヶ所や西国33ヶ所巡りが盛んになっていることを考えると、やはり女性を交えて、手軽に参加できる、というほうが人気もあるのでしょう。
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このあと熊野古道・修験道ゆかりの「熊野那智大社」(和歌山県)にお参りしたとき、とても驚いたことがあります。一緒に階段を登っていた一群は「こっち、こっち」といって大社とは違う方向に向かいました。「???」の疑問が解決したのは、隣接する青岸渡寺(せいがんとじ)に周ったとき。<o:p></o:p>
写真:高麗寺の御本尊は金ぴかに輝いています。
大社とはうってかわって、線香の煙がもうもうとたちのぼり大勢の人で賑わっています。お寺の中ではお祈りの人はもちろん、なにやら一心不乱に書いている人たちが並び、書いてもらう人たちも列をなしているのです。ここが西国33ヶ所巡りの第一番札所とわかりました。御朱印帳を何冊も抱えている人もいます。「わあ!すごい人気だなあ」と実感したのです。
写真:大きな違いが鐘楼にあります。鐘は地面すれすれまで長く、
床が、たぶん良く響くように、掘り込んであり、鐘を撞く棒は太く
二方向から伸びています。
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話は少し変わりますが、「日本古来の伝統だから」と女性の土俵入りを否定してきたすもう協会では、事件・問題が噴出しています。「これほど閉鎖的な組織で、こんな人たちが物事を決定してきたのだなあ」と感じてしまうことは残念です。「日本古来の伝統・文化」は脇に置いて、結局は「興行成績」つまり経済的なことが優先したのでしょう。
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あいよっこの個人的意見としては、大峯山の独自性や強い聖域性などは残して欲しい気持ちはあるのですが、こうした時流の変化に柔軟に対応することもいずれ必要になってくるような気がしています。ただ物事の変化が経済的理由によることは本当に残念ですが・・・。(「大峯山で考えたこと」終了)<o:p></o:p>
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