あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

深く静かな山あいの村で、隠された豊かな文化

2010-07-19 18:05:08 | *南朝から後南朝の舞台に思いめぐらせ*吉
  

   東川(うのかわ)地区にある住吉神社は、南朝最後の後亀山天皇の皇子、実仁(さねひと)親王の墓所と伝わります。親王は別名を小倉宮広成(おぐらのみやひろなり)とも呼ばれ、土地の人々はこの小高い丘を「小倉宮」として祀ってきました。かつてこの地区に「小倉御所」が置かれ、後南朝の拠点となっていたともいわれるゆえんです。

 

 

<o:p> 写真:住吉神社の奥にある丸い高みが墓所と伝わる</o:p>

 

 

ちなみに大阪の住吉神社とは直接のつながりはないようで、あるいは「小倉宮」を隠すための表の名前だったのかもしれません。

 

 

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  <st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="20:川上村;" Address="川上村">川上村</st1:MSNCTYST>の後南朝の歴史おいて最も大切な儀式が、1458年から550年以上にわたって受け継がれている「朝拝式」です。毎年25日、厳しい寒さと雪の中で密かに執り行われてきました。

 

 

 写真右:Mさんが手にする「筋目証明書」

     (ご自分のものではありません)

 

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  2007年の「550年祭」を契機に、神之谷(こうのたに)地区の金剛寺で行われることに統一されました 。だが歴史的に古くは、村内各地区でのもちまわりで実施され、その後高原地区の福原寺と金剛寺の2ヶ所で行われるなどの変遷を経て現在の形になりました。儀式を行うのは「筋目(すじめ)」と呼ばれる家系の男性に限られていましたが、2008年から一般の人も拝観できるようになりました。

 

 

<o:p>写真:住吉神社や烏川(うかわ)神社には、材木商などが納めた珍しい生駒石の燈籠があります。</o:p>

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 筋目は後南朝最後の皇統「自天王(尊秀王:後亀山天皇の曾孫)」が赤松一族に暗殺されたとき(1457年)、戦って御首を奪い返した郷民たちです。大正末期に900戸も存在したという筋目も、高齢化と過疎化により現在は23地区で30名あまりとなっているそうです。

 

 

 

 

写真左下:烏川(うかわ)神社のご本殿は横向きです

写真右下:かつてもちまわりの時代に、東川地区はこの運川寺で「朝拝式」を行っていました。

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 Mさんはとても興味深い話を披露してくださいました。持ち回りで儀式を行っていたとき、自天王の遺品である「兜」の移動はおごそかな行列でした。しかも絶対に立ち止まってはいけないのです。寒い時期でもあり、がまんできなくなった担ぎ手から「お小水」が漏れることもたびたびあったそうです。

 

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 また儀式中に榊(さかき)の葉を口にくわえるのは、「御潔斎(ごけっさい:穢れをはらう)」のためでもありますが、「決して秘密を口外しない」という気持ちのあらわれでもあります。

 

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 それにしても南朝後胤たちの悲劇を哀れみ、長きにわたって儀式で追慕供養を営むという信仰心の篤さや秘密を守る意思の強さは、なんということでしょう!! 深く静かな山あいの村で、隠された豊かな文化やさまざまなエピソードが伝わっていることにただただ驚きです。<o:p></o:p>

コメント
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