あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 ③

2018-10-15 14:04:27 | 対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 

           写真上:多久頭魂(たくづたま)神社を守る狛犬たち 

 

 対馬の南部に向かうと雰囲気が大きく変わります。宿泊が美女塚近くだったので、翌早朝ご主人とスタッフに車で案内してもらいました。小雨と霧のなか、原生林が生い茂る山々、神様が宿る神社、古くからの篤い信仰心と歴史的な神事、ともかく尋常ではない霊的雰囲気に圧倒されそうです。

 

 まず「美女塚」へ。ここ「豆酘(つつ)」に生まれた美しい村娘「鶴王御前(つるおうごぜん)」の悲しい伝説を伝える石碑です。昔住んでいた鶴王という美しい娘は采女(うねめ)として都に召されることになりましたが、年老いた母を残していく悲しみに耐えられず、都に上る日に自らの命を絶ったのです。「美しく生まれたために、二人は哀しみにあうのなら、今後この里に美女が生まれませんように・・・」と言い残したそうです。※采女は古代天皇の宮廷に地方豪族の娘が出仕した制度。

 

 ううむ~、今では考えられない運命ですね~。世が世なら喜々として上京するでしょうし?、亡くなってしまったらお母さまもよけい哀しむとも思えるけど・・・。(伝説にいちゃもんつけてすみません)

                                           


 近くの小さな神社が「雷(いかつち)神社」で、ここでは1500年前から続く「亀卜(きぼく)神事」が執り行われます。「亀卜」は古代中国の殷(いん)とか周(しゅう)の時代から「亀の甲羅に甲骨文字を書き、それを焼いて国政(祀りごと)を占っていた」というもので、日本には朝鮮半島を経て奈良時代に伝わったとされます。

 

 現在では伝統的神事も簡略化され、多久頭魂(たくづたま または たくずだま)神社の宮司による祝詞に始まり、火鉢の炭で焼いた附木(つけぎ)を甲羅に当て、ひび割れた状態から天啓を得て、農業や漁業などを占うそうです。かつては朝廷でも行われましたが、今では全国でこの神社だけとなっています。時代による変遷はあるものの、こうした古典的な伝統が存続していることがすばらしいです。

 

 晴れていたら美しい「豆酘崎(つつざき)」を山上からながめ、降りて港や海の神社を見た後、最後に「多久頭魂神社」に向かいます。周囲を取り囲む 龍良山(たてらさん)の原生林と、立ち上る霧雨も重なり神秘的オーラに包まれています。

 

 龍良山は古来不可侵の聖地であり、「なんびとも入山禁止」でした。スダジイ、イスノキなどの、通常は巨木になりえない樹木が巨木に育って林立する、自然度が極めて高い原始林・照葉樹林です。スタッフの説明では「山中では磁場が強く磁石が狂うために、迷う人亡くなる人も多かった」そうです。そのため神社の境内には主峰(標高558・45m)を霊山として崇める「遙拝所」が設置されています。


 それにしても地名「豆酘」はじめ、「多久頭魂神社」「龍良山」…とっても難しい漢字や読み方を見ると、この地域が古くからの伝統文化を保持していることを感じますね~。なにしろ対馬は日本一神社密度が高く、さらに独自の神信仰を守っている地域です。

   ***  続く  ***
  

        「美女塚」悲しい伝説を伝える石碑

  

   ひっそりとたたずむ「雷(いかつち)神社」。前庭で「亀卜神事」が

   行われる。

 

    港で今も使っている船留めの木杭は珍しいもの。

    学者さんが研究しているそう。

   港の近くでは走る動物に遭遇。「テン」らしい。

   豆酘埼に向かう山道では沖縄・ヤンバルクイナ風の鳥が歩いていた、だけど

   飛び去ったので違うよ~。写真撮れず残念!

 

    聖山 龍良山(たてらさん)遙拝所がある。 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 対馬・壱岐  防人の島・聖... | トップ | 対馬・壱岐  防人の島・聖... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

対馬・壱岐  防人の島・聖地の島 」カテゴリの最新記事