香港の若者が毎日千人規模で脱出しているようです。やはり、今の状況では残りたい人は殆ど居ないでしょう。
動けないのはやはり持たざる人達でしょうか。同じ身だけに気の毒になります。
宮崎さんがそんな現状を報告してくれています。目指すはロンドンのようです。そのロンドンは支援金を出すそうです。
この人達が香港に戻る日は来るのでしょうか。それとも、二度と帰る気はないのか。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和三年(2021)7月24日(土曜日)
通巻第6992号
離情 酒半ば酣(たけなわ)なるを
断腸の春色 江南にあり(韋荘「別離」)
『唐詩選』に韋荘の「別離」と題する漢詩がある。
晴煙 漠々として 柳 さんさん
いかんともせず 離情 酒半ば酣(たけなわ)なるを
更に玉鞭を把りて 雲外を指せば
断腸の春色 江南にあり
毎日千人規模で香港から若者が離れている。若いカップル、ときに子連れ、いずれも片道切符でロンドンを目指す。かれらは 90年代の香港離脱組とは動機が異なっており、永久に香港には戻らない人たちである。スーツケースを幾つも抱えている。
香港返還前のエクソダスは、共産主義の恐ろしさを身に染みて知っている人々だった。かれらは移民条件が緩やかだったカナダ を目指した。当時、筆者は貿易会社を経営して毎月のように香港へ通っていたので数百の香港人と名刺を替え、そのうち数十人と は取引があった。30年後、誰一人香港にはいない。皆、小金をためてカナダへ移住した。二年前にその時の一人が日本に遊びに 来たが、香港民主化運動に興味を示さなかったことは驚きだった。
その後、オーストラリアが移民条件を緩和したためどっと豪へ住宅を購入して移住する人が目立った。金持ちが多かった。留学 生も夥しく、かれらは卒業後、外国で職を探した。
香港大乱と大弾圧のあと、英国はBON(海外籍パスポート)を認めた。
自動的に半年の英国滞在を認めるとした。その後の移住申請もプロフェッショナルな職業なら容易に認められるという。
この英国の計らいを頼りに、若い香港の人々は香港を捨てる覚悟を決めた。
毎日千人ほど、コロナ禍で航空便が制限されているが、香港國際空港にはわかれの風景が随処で見られ、ロンドン到着後は入国 審査に長い列ができているという。
支援金についても宮崎さんが書いてくれています。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和三年(2021)7月25日(日曜日) 弐 通巻第6994号
ロンドン市長、「香港からの移民を歓迎し支援金をだします」
153000名が英国への移住を予定。120万ドルの支援金を拠出
既報のように、一日千名前後の香港の若者、カップルらが「永久におさらば」して香港國際空港から英国へ向かっている。
英国が新天地というわけでもないが、とりあえず自由社会に腰掛け、西側の何処かに落ち着こうと子連れの若いカップルが多いことは前にも書いた。
ロンドン市長のサディク・カーンは「BNO(英国籍パスポート)保持者の英国移住を歓迎し、市としても、120万ドルを予算化して支援する」とした。
習近平の香港弾圧と植民地化により、未来に絶望した香港人に希望と勇気を与えようというのだ。おそらく123000名から153000名の香港からの移住者を英国は迎えることになるだろう。
ところで、サディク・カーンという市長の名前から中央アジア系イスラムだろうとあたりをうけて、調べてみると、市長はパキスタン系だ。
EU諸国内では初めてのムスリム市長であり、しかも政治歴は古く、弁護士から下院議員。ブラウン政権では運輸大臣をと務め、ロンドン市長に挑戦した。日本で言えば東京都知事である。
カーン市長はトランプ前大統領が訪英したとき「脅威の中でも最悪」と酷評し、トランプは「ろくな仕事もしていない負け犬」と応じたことがあった。ロンドン市長も左派系に握られているというのが、英国政治の実情。そのうちチャイニーズの市長が誕生することになるかも。
この Chinese問題はChinaが崩壊しても後々まで世界に混乱を齎しそうです。China肺炎による人口減作戦は特亜3国でやって貰いたかったと言えば顰蹙を買うのでしょうか。
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