ねずさんが教えてくれた衝撃的な日本の文化財を騙し取って売却するという悪巧みには、驚くしかありません。一体、こんなことを考えるのはどんな奴なのでしょう。
反日売国左翼・在日共は、こういう問題には触れないとうことを考えても、その背景が分かります。やはり一日も早く一掃して、素晴らしい日本を取り戻す必要があります。
ねずさんが11回目をアップしてくれています。今回は、何時もと違って短いので、全文を取り上げさせてもらいます。
これは、日本人全てが一丸となって防がなければなりません。
大和心を語る ねずさんのひとりごとより 2018年03月29日
新渡戸記念館存続のための報告(11)
青森県十和田市の「新渡戸記念館」をめぐる記念館存続のための報告記事です。
今回で11回目のご報告になります。
☆☆☆☆☆過去記事☆☆☆☆☆
15/06/06 新渡戸記念館を守れ!
15/07/27 新渡戸記念館の文化財が霧散の危機に瀕しています
15/08/21 十和田市の暴挙と新渡戸記念館
15/09/14 新渡戸記念館問題
16/08/31 新渡戸記念館問題シンポジウム開催のお知らせ
16/09/06 十和田市誕生と新渡戸記念館
16/09/25 安倍昭恵夫人も心配する十和田市政
17/02/23 特定の会社の上下水道料金が50%もカットされているという奇妙なお話
17/6/30 新渡戸記念館廃館問題続報(第9回)
18/2/20 新渡戸記念館廃館問題続報(第10回)
18/3/29 新渡戸記念館廃館問題続報(第11回)
この問題は、ひとことでいえば、十和田市の成り立ちにおおいに貢献した新渡戸稲造博士をはじめとする新渡戸家三代を懸賞する記念館を、十和田市の実権を握る副有名人が、記念館に難癖をつけて一方的に記念館の廃館ならびに建物の取り壊しを決め、一遍の文書による通達もなしに、土地建物を管理する新渡戸家に立ち退きを要求した事件です。
事件は、青森地裁に持ち込まれ、青森地裁は裁判所の管轄外であると訴えを却下した(一審)のですが、仙台高裁は、裁判所で扱うべき事件であるとして控訴人(新渡戸家)の申立を全面的に認め、青森地裁への審理差戻しの判決を下しました(二審)。
いま、この事件は、青森地裁で差戻し審が行われているところですが、3月23日に第4回口頭弁論が行われ、次回は6月7日の公判となります。
23日の公判で、新渡戸家側は、市が廃館の根拠としている建物の耐震診断について、正規の手続きに従って再診断を行ってもらいたいとしました。
これに対し市側は、言を左右にして言い逃れをするので、裁判長が
「なぜ建物の再検査を拒否するのか、
その合理的根拠を
次回審までにきちんとまとめるように」
と指揮をするに至っています。
十和田市は、新渡戸記念館の建物のコンクリート強度について、一回だけの診断結果に基いて、
「コンクリート強度が低いという
結果が出たから廃館を決めた」
と主張しているわけです。
ところがマニュアルによれば、
「建物の耐震診断で
コンクリートの強度が
低いという結果が出た場合、
再度コンクリートを採取して
試験を行ない確認すること」
となっているわけです。
当然、
「どうして再診断が
行われなかったのか」
が問題になります。
このことについての合理的根拠となる説明を、裁判長が求めたわけです。
裁判が始まるよりもずっと以前に、この問題が発生した当初から、新渡戸記念館側は、市が行った耐震診断についての再診断を求めてきました。
そのために何度も交渉を行ったのです。
このとき、
「いったいコンクリートの強度が
いくつという数字になっているのか
確認させてもらったところ、
なんとその数値は、
分厚いコンクリートが
ダンボール程度の強度しかない
という数字になっていたのです。
ダンボールなら、指で押したら穴が空きます。
いくらなんでも、それはありえないと、再診断の要請を何度もしたのですけれど、市は再診断を拒否し続けてきました。
しかも調査をしてみれば、その耐震強度診断を行ったのは、なんと十和田市の副有名人の身内というのではありませんか。
明らかにきな臭い診断です。
この新渡戸記念館は、その所在地の地所は、もともと新渡戸家の地所で、記念館に展示されている遺品もすべて新渡戸家の所有物です。
記念館の建物だけが、市の所有です。
ところが今回の公判では、市は、
「建物取壊しに際して、
館内の展示資料は
原則的に市で所有することが
必要になる」
という認識を示しました。
これもまた、以前から
「記念館内の遺品をよこせ」
と言っていたことから、ひっこみがつかなくなって、裁判でも同じことを述べるに至ったようです。
新渡戸稲造博士といえば、世界的に有名な著名人であり、記念館に展示してある遺品の中には、室町時代の刀剣や甲冑なども含まれます。
かつて5千円札に描かれた新渡戸博士のもとになった写真もあります。
遺品を海外で売りさばけば、何百億円というお金になる遺品です。
十和田市の副有名人は、かねてから
「ガタガタいわずに、
黙って記念館にあるものを、
こっちによこせばいいんだ」
と何度も凄んでいます。
では市に展示品を引き渡したら、その後展示品をどうするのか。
副有名人さんは、
「すべてコンテナに積み込む」
という以外、その行き先については、一切、口をつぐんできていたのです。
いくら換金すれば高額な展示品とはいっても、簿価はゼロ円です。
記念館のすぐ裏にあった駐車場に設置してあった資材置き場の倉庫は、すでに市が勝手に取り壊して、中にあった什器類は、まるごとゴミのように地面の上に盛り付け、上からブルーシートをかぶせられました。
日本が誇る新渡戸稲造と、三代の十和田の市街化、そして室町以来続く十和田の歴史の遺品の数々を、要するに市は、無料で粗大ゴミとして引取り、後の処分がどうなるかは、誰にもわからない、という状況だったから、新渡戸家では裁判を起こしたのです。
いよいよ次回は、裁判所によるコンクリートの耐震強度の鑑定となりそうです。
近年、全国各地の記念館が、続々と廃館に追い込まれています。
不思議なことに、このときなぜか、記念館所蔵の文化財が、いつのまにかヨーロッパなどでオークションに出されたりしています。
日本の文化財は、実は途方もない値打ちがあって、せんだっては西洋における某オークションで、日本の縄文時代の土器ひとつに、なんと1億円を超える値がついたりするのです。
記念館は、誰かの懐を肥やすためのものではなく、我が国の文化資産です。
みなさまの引き続きのご支援を、よろしくお願いします。
新渡戸記念館廃館取り壊し撤回のご署名並びにご支援のページ
詳しい経過は、ここに記載されています。
また記念館存続のためのご寄付も受け付けています。
お読みいただき、ありがとうございました。
これは、ねずさんの言われる「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達の仕業であることは間違い無いでしょう。
一体、今までに全国でどの位の文化財が盗み取られたのでしょう。それを考えると、怒りが収まりません。
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