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鉄塔 武蔵野線

2014年05月12日 18時59分26秒 | 邦画1991~2000年

 ◎鉄塔 武蔵野線(1997年 日本)

 封切られたときから、観たくて観たくて仕方がなかった。

 でも、観る機会がなかった。

 それが、ようやく観られた。

 伊藤淳史の初主演作であると同時に代表作だとおもうんだけど、

 なんともふしぎな映画で、

 自主製作映画の匂いが濃厚に感じられる映画でもある。

 手づくり感が満載で、ぼくはこういう映画は嫌いじゃない。

 銀林みのるっていう原作者がどういう人かはわからないんだけど、

 鉄塔に興味を持ち、

 ひたすら写真を取り続けていきたいとおもうような、

 そういうこだわりを抱えた人であることはまちがいないわけで、

 なんとなくわかる。

 鉄塔オタクな人々がいるかどうかは知らないものの、

 高圧線が続いていく果てになにがあるんだろうとぼんやりおもい、

 大人だったら「どこかの変電所か発電所だろ」とか結論づけて、

 そのまま思考を停止させちゃうんだろうけど、

 子供の場合はそうはいかない。

 電線の続いている元はどういうところなんだろうとおもうよりも、

 番号の「1」あるいは「0」を観てみたいと素朴におもい、

 そのまま行動にうつしちゃうのが子供だ。

 しかも、

 両親が離婚しそうになってるところへもって、

 ひっこしをしなくちゃいけないなんてことになったら、どうだろう?

 父親は磁力にはとてつもないパワーがあると信じてるし、

 伊藤くんもまた信じてる。

 ふたりは純粋な心を持ちながらも社会にそぐわない人間という共通項を持ってる。

 だから、伊藤くんは父親のことが好きだ。

 でも、母親の手前、どうしても父親に面と向かえない小心さがある。

 だから、伊藤くんとしては磁力のパワーに期待するしかない。

 かれが、子分になってるアキラを連れて、巡礼めいた冒険の旅に出、

 鉄塔の真下にビールの王冠でつくったメダルを埋めていくのは、

 番号「1」もしくは「0」まで至ったときに奇跡が起きるのを信じたからで、

 そのためにも夢中になって自転車を漕いでいく。

 もちろん、途中で、

 ちょっとありえないだろ、みたいな作業員に襲われたりもし、

 いくら子供で、しかも夢中になったとはいえ、

 無計画すぎるだろみたいな感じもあるけど、

 まあ、そのあたりは深く追求しないでおこう。

 ともかく、伊藤くんの祈りは、両親が離婚をおもいとどまることで、

 そのためにぼろぼろになりながらも鉄塔巡礼をしないといけない。

 このあたりは、涙が出るほどに悲しい冒険だ。

 でも、伊藤くんはやりとげることはできない。

 で、別れてまもなく父親が死ぬ。

 離婚をおもいとどまらせていれば、こんな不幸は起きなかったかもしれない。

 まわりは伊藤くんがなんの感情を浮かべていないことに不思議がるかもしれないけど、

 それだけ、この子は自分を表現することが苦手なんだ。

 だから、お葬式だって、かれには上手にできない。

 長崎に引っ越してからアキラにも会っていなかったら、アキラの家にも行く。

 もちろん、アキラに会いたいのもあるけど、それよりアキラのママに会いたい。

 だって、伊藤くんは大人の女性が好きで、

 母親の麻生裕未が父親の連れ合いとはおもえないほど魅力的なもんだから、

 当然、母親のように官能的で魅惑的な大人の女性を求めちゃうのかもしれいけど、

 ともかく、近内仁子の演じるアキラのママは、右の太ももにちょっとした痣があったりして、

 それがまた謎めいた官能を匂わせ、天真爛漫に見えながらも、

 オタク心をくすぐってやまない少女が同居したような魅惑をかもしだしてる。

 そんなアキラのママも、たぶん、アキラをぼろぼろにした伊藤くんを恨みながら、

 どこかに引っ越しちゃってることに、伊藤くんは悲しむわけだけど、

 伊藤くんはそんな悲しみにひたってる閑はない。

 なぜって、かれなりに父親との別れをしないといけないんだから。

 父親を野辺に送るのは鉄塔しかないと伊藤くんはおもうんだな。

 このあたりの不器用さは、ほんとにしみじみ感じられる。

 伊藤くんは出かけ、ふたたび鉄塔を巡礼する。

 これが、伊藤くんなりの野辺の送りだし、

 もしかしたら、奇跡が起きて父親が蘇るかもしれないじゃん。

 でも、変電所っていうとんでもない神殿に至ったとき、絶望するんだ。

 おとうさん助けてとおもったとき、ちいさな奇跡が起きる。

 変電所の草刈にやってきた業者とラーメン屋で遭遇するんだ。

 それはお父さんとふたりでワンタン麺を食べたところで、

 これはまさに死んだお父さんが奇跡を起こしてくれたにちがいない。

 だから、伊藤くんはまるで死んでしまったかのように裸になって、

 棺桶のような竹かごに乗りこんで、トラックの荷台で眼を閉じる。

 伊藤くんは生きているんだろうけど、

 そのときの表情は祈るっていうより父親と心中するみたいな雰囲気になってる。

 いや、まじ、おもしろい映画だった。

 でも、ぼくみたいな解釈をしてる人に、

 ぼくはこれまで出会ったことがない。

 やっぱ、考え過ぎなのかな~?

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