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原子力戦争

2014年05月30日 20時20分03秒 | 邦画1971~1980年

 ◇原子力戦争(1978年 日本)

 当時のポスターを見ると、サブタイトルに「lost love」とある。

 なんじゃこりゃ?っておもうし、

 さらには本編のタイトルにはその表示がない。

 なんで?とまたおもう。

 いったい誰のlost loveなんだろ?

 原田芳雄だろうか?

 それとも風吹ジュンなんだろうか?

 わからない。

 ま、それはそれとして、時代を感じるな~。

 おそらく福島の原発なんだろうけど、

 原田芳雄が胸をおっぴろげたまま門からぶらぶら入っていこうとする場面がある。

 そこだけ、妙にドキュメンタリまがいな撮影になってるんだけど、

 たしかに物語の展開上、

 原田芳雄の恋人のトルコ嬢と心中したと見せかけて殺されたとおぼしき、

 原子力発電所の技師を呼び出した山崎なる男に詰問しようとするのはわかるし、

 ある種のデモンストレーションとして突入を図ろうとするのもわかるし、

 そうすることによって原田芳雄のなんも考えないチンピラの無鉄砲さを、

 ここで一気に表現しようとするのもわかるんだけど、

 やっぱり中途半端になる危険もあるし、

 むつかしいよね。

 にしても、

 大学に行ってるはずの市会議員の娘がトルコ嬢になってて、

 しかも心中したってことにされてるにもかかわらず、

 村人はいっさいそのことを噂しないばかりか、

 漁業組合長をしてる兄貴までその陰謀に加担してるってのはどうよ。

 旧家の面目を保つってこともあって妹殺しを認めたんだろうか?

 まじか?

 技師の妻の山口小夜子にいたっては、

 原田芳雄に自宅でも浜辺でも抱かれるのに、

 さらに原子力専門の化学者ともできてるっていう恐ろしい展開で、

 にもかかわらず、旦那が残した原発事故の証拠書類とネガを、

 原田芳雄に安易に手渡しちゃうというのはいったいなにを考えてるんだか。

 まじか?

 村人たちにしても、

 森の中で原田芳雄を追い掛け、結局は口封じをするっていう展開は、

 原発の補助金の方が漁業よりも事故の不安よりも大切だとする気持ちなわけだよね。

 まじか?

 ていうような内容で、

 やけに原田芳雄は胸を見せつけるんだけど、なんでだろう?

 ていう疑問はどこかにすっとんじゃうような感じだった。

 そうしたあたり、佐藤慶がなんとも人間臭くて、

 奥さんと子供を置いての単身赴任の記者だから、

 案の定、地元の女とできちゃうわけで、

 でも、いつかはその女を捨てて本社に返り咲きたいっていう欲望があって、

 そのためにはせっかくつかんだ原発事故の記事が差し戻されても、

 テレビ局や他の新聞社に持ち込むというほどの正義感はない。

 いやまったく人間臭い。

 ちょっと気になったのは、原子力専門の大学教授かなにかの岡田栄次で、

 いかにもモノがわかったように、

 炉心溶融について「チャイナ・アクシデント」という単語を使う。

 アメリカでブラックユーモアのように使われていたものを紹介したという設定だけど、

 これはちょっとね~。

「チャイナ・シンドロームじゃない?」

 とかいっちゃいたくなる。

 そもそも、アメリカだからチャイナ・シンドロームなわけで、

 チャイナ・アクシデントだったら中国でなにか起こらないといけなくなっちゃうでしょ。

 映画の『チャイナ・シンドローム』がなかったら広がらなかった言葉なんだけど、

 どうやらそれまではたしかにブラックユーモアとしては多少知られていたらしい。

 この『原子力戦争』の方が『チャイナ・シンドローム』よりも一年早く製作されたから、

 こういう言葉のふしぎな伝えられ方をしちゃったんだろね。

 ただ、1978年当時、こういうゲリラ的かつ挑戦的な映画が作られたことは、

 まじな話、すごいとおもうし、よくやったな~っていう気もする。

 ただ、これって実は、

 当時の話だから原子力発電所になってるわけで、

 中世のヨーロッパとかだったら、

 悪魔の棲んでる城かなにかがあって村人が洗脳されちゃってて、

 そこに恋人を追い掛けてきた旅の男が登場して、

 結局のところ巨大なちからに立ち向かうんだけど返り討ちにあっちゃった、

 みたいな話とおんなじなわけで、

 物語の骨格ってのは変わらないんだな~ともあらためておもった。

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