◇プライドと偏見(Pride & Prejudice 2005年 イギリス)
18世紀のイギリスにかぎらず、
多かれ少なかれ、女性が嫁ぎ先を漠然と夢見るとき、
玉の輿に乗りたいとおもうのは、世の常なんじゃないか?
ぼくが女の子だったら、もちろん、そうおもう。
好きだったら貧乏だっていいじゃんか~といえるのは若いときだけで、
年食って、人生いろいろと辛いことを味わったりして、
ああ、貧乏は嫌や~とかおもったりすると、
地位と名誉と財産と才能に恵まれてる人間を、
ものすごく羨ましくおもったりするもんだ。
でも、人間ってやつはほんとにめんどくさい生き物で、
自尊心が高く、つまり高慢だったり、
ついつい他人を色眼鏡で見、つまり偏見を持ったりして、
人間関係がぎくしゃくしちゃったりする。
そういうのは良くないよっていってるのがこの映画だ。
ただ、
地位だの名誉だの財産だのといったつまらんものは置いといて、
物事にしても人間にしても素直に見ようよっていわれてるんだけど、
そのあたりはちょっぴり理想主義的な匂いもしないではない。
だって、
肩書とか資産とかとは別に、
キーラ・ナイトレイもマシュー・マクディファンも、
もうひとつ、なかなか手に入れられないものを持ってるんだもん。
綺麗だとか、恰好いいとかいう、外見だ。
ま、要するに、
美男と美女だから成り立つ世界っていう側面を持ちながら、
素直に恋愛すれば、いつかかならず幸せになれるものさっていわれてるような、
家柄も地位も肩書も名誉も資産も財力も、
ちょっとばかし遠いところにあるぼくは、
それでも蚤のようなプライドを持ちながら、
そんなふうに偏見の眼差しで、この作品を見ちゃうんだよね。
だから、最初にも書いたように、
玉の輿っていいよな~とか、
恵まれてる人間だったらよかったな~とか、
ついついおもったりしちゃうんだ。
でもさ、
ときどき、そんな自分を反省しつつ、こうもおもったりする。
自慢ばかりする高慢な人っていない?
こんなものを食べた、こんなものを買った、こんなところに行ったとかって、
そんなの聞きたくないし、
あんたのほんとのところを話してくれればいいんだよっていいたくなるし、
それって、今の自分がどれだけ心が淋しいのかの裏返しでしょ?
とかともいいたくなっちゃう。
プライドも偏見もいかにさもしいものかが、
この21世紀の日本でもわかるよね、いやまじで。
いやほんと、
ぼくも含めて、人間ってやつは、高慢と偏見と理想の狭間を、
行ったり来たりする生き物なんだよ。