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大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス

2014年08月15日 19時57分45秒 | 邦画1961~1970年

 ◎大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス(1967年 日本 87分)

 英題 Giant Monster Mid-Air Battle Gamera vs. Gaos

 staff 監督・特撮監督/湯浅憲明 脚本/高橋二三 撮影/上原明

    助監督/小林正夫 音楽/山内正 美術・ギャオスデザイン/井上章

    ギャオス造形/八木正夫、白熊栄次、鈴木昶、村瀬継蔵

 cast 本郷功次郎 笠原玲子 上田吉二郎 北原義郎 村上不二夫 西尋子(賀川ゆき絵)

 

 ◎特撮とボク、その27

 1966・67年は、たぶん、日本の特撮の絶頂期だったんじゃないだろか。

 東宝のゴジラ、松竹のギララ、日活のガッパ、そして大映のガメラがいっせいに作られ、

 百花繚乱といえば聞こえはいいけど、玉石混淆ともいえるようなありさまで、

 ともかく次から次へと怪獣映画やSF映画が作られて、

 当時のぼくのようながきんちょが何度も劇場へ足を運んでた。

 ただ、東宝の『サンダ対ガイラ』とこの『ガメラ対ギャオス』をピークにして、

 あとは観客動員数だけでなく、特撮それ自体も下降線をたどったようにおもえてならない。

 大映の製作者たちはガメラを子供の味方と定義して、

 この作品中でも阿部尚之がガメラの背中に乗ったときに子供たちが大喝采したというけど、

 当時、観客のひとりだったぼくは、そうじゃなかった。

 ぼくの憧れは、本郷功次郎だった。

 だって、すげえカッコよかったんだもん。

 ぼくの入れ込みようはかなりなもので、

 近所の作業着を売ってる衣料品店へ母親を連れて行き、

 本郷功次郎が劇中で来てた労働着のジャンパーを買ってくれとせがんだ。

 男の服ってやつだ。

 さすがに母親も衣料品店のおばさんも「似合わないからやめてくれ」といった。

 でも、そうはいかなかった。

 ぼくは茶色いボアのついたベージュ色の作業ジャンパーを手に入れ、

 小学校に着ていった。

 当時、ぼくは周りのがきんちょよりも成長が早く、体が大きかった。

 だから十歳前なのに、小さな大人くらいの体格はあったから、

 作業ジャンパーもちゃんと着られた。

 三つ子の魂とはよくいったもので、今でもときおり工務店の作業服を着てたりする。

 ぼくの当時の服装の趣味は恐ろしく変わっていて、

 帽子はレシプロ機の飛行帽を探して、似たようなのを買ってもらった。

 ボアの耳あてがついてるやつだ。

 まったくもって子供とはおもえないような異様な恰好だったろう。

 で、そんなぼくが憧れた怪獣がギャオスだった。

 とんでもない造形と設定で、なによりあのひらぺったい頭が素敵だった。

 朝日が当たると赤くなってくるんだぜ、誰がそんなこと考えたんだ?

 ギャオーと鳴くからギャオスだなんて、とんでもない命名だけど、

 そんなことはギャオスのかっこよさからすれば、どうでもいいことだった。

 内容に関していえば、

 高速道路の土地買収についてなんだかんだとあるんだけど、

 どうしてそういうつまらない人情話をもってくるのかがわからない。

 観客としてのぼくは、もっとガメラやギャオスの怖さをどんどん見せてほしかったし、

 ギャオスの首は音叉のような骨格をしているから後ろを向けないと説明されたときには、

 おお、なるほどっと感心した。

 徹底してそのあたりを追及してほしかったし、自衛隊にももっと頑張ってもらいたかった。

 ただ、

 ギャオスが人を食うのは、子供心にかなり怖かった。

 この時代の怪獣は、ガイラやバラゴンもそうだけど、よく人間を食らう。

 怪獣なんだからそれでいいし、怪獣ってやつは恐ろしくないとつまらない。

 だから、この作品以降、どんどんガメラは子供の味方になっていくんだけど、

 ぼくみたいにひねくれた子供は、そういうガメラに幻滅していったんだよね。

 そういうことからすれば、

 ぼくの特撮への憧れは、この1967年春が絶頂期だったのかもしれないなあ。

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