◎大魔神(1966年 日本 86分)
英題 Majin
staff 企画/奥田久司 監督/安田公義 特撮監督/黒田義之
脚本/吉田哲郎 撮影/森田富士郎 美術/内藤昭
魔神造形/高山良策 音楽/伊福部昭
cast 高田美和 藤巻潤 遠藤辰雄 伊達三郎 青山良彦 月宮於登女 大魔神/橋本力
◎特撮とボク、その22
時は戦国、丹波の山里…。
幼い頃の記憶というのは鮮烈なものがある。当時、親たちはなにを考えてたのかよくわからないんだけど、子供が映画を観たいというと、映画館まで子供たちをつれていき、入場券を買い与え、映画が終わった頃に迎えに来て家へ連れて帰った。小学校の低学年のときは、そんな感じだった。
ぼくの田舎は、映画館が7つあって、東宝、松竹、大映、東映、日活の封切館があって、後のふたつは芝居小屋で、ときどき映画も上映してたから2番館だったんだろう。で、東宝と松竹の劇場はときどき洋画の封切りもやったりしていた。画面はどこもでかくかったけど、椅子はポンコツだったけど、大映の封切館だけは、どういうわけか椅子の背に弁当台がつけられてて、ちょうど新幹線の座席みたいで、そこに弁当をおいて映画が観られた。
どこの劇場も2階席があったんだけど、大映は2階の前部が桟敷になってた。だから、寝っ転がって映画が観られた。たぶんその昔は芝居小屋も兼ねていたんだろうけど、ぼくが高校生になったときはピンク映画の封切館になって2階は閉鎖されてた。玄関ロビーはあまり広くはなかったけど、横の廊下部分がやけに広く、待合所みたいになってて、ポンコツの長椅子がいくつか置かれてて、たぶん、昔は食べ物類の販売所があったんだろう。
ぼくが高校生になった頃にはもう販売所はなくて、なんでか知らないけど白黒テレビが端っこの壁に置かれてて、誰もいない待合所でテレビだけが小さな音でつけられてた。三和土の床のかたすみには、エロ雑誌のちょーぽんこつな販売機があった。
小学生だったぼくがこの小屋に行くのはガメラと大魔神の封切りか、夏休みの怪談くらいなもので、年に数回だけで、そのときはがきんちょどもでそれなりに座席も埋まってたけど、あとの封切り時、どれだけの入場者があったのかよくわからない。
そんな田舎の稀有な小屋で、ぼくは近所の子供にまじってこの作品を観た。もちろん、2階の桟敷で体育座りをしながら観た。併映は『ガメラ対バルゴン』だった。いやまあ『大魔神』はかなり衝撃的で、がきんちょどもは大魔神が現れないときは寝っ転がったりして、なんにもわからないって感じだったんだけど、いったん魔神が暴れ出すとみんな固唾をのんで銀幕を見つめてた。
たしかに今観直してもこの作品はきちんとしている。時代劇としても、下剋上とその復讐劇として成立しているし、なにより高田美和がかわいい。魔神は記憶しているより小さかったんだけど、どうにも滝の上で鎮座しているときの方が小さく感じる。
この映画の迫力はもちろん京都大映の総力を結集した特撮の冴えにあるし、それについて最大の貢献はやっぱり森田富士郎だろう。深みのある撮影は、色調が変わるからと特撮まで引き受けたのが功を奏している。セットもさすがに大映で、魔神の大きさに見合ったミニチュアがしっかり作り込まれ、よくもこれだけ丹念に作ったもんだっていうくらいの凄さだ。
伊福部昭の音楽はあいかわらずの旋律ながらなんとも重厚で、しっかり堪能できる。
いやまったく見事な1本でした。
(以下、2022年12月28日)
感想は今回もまるで変わらない。藤巻潤もがんばってるし、遠藤太津男もなんとなくまだ若い。それにしても特撮の丁寧さにはやっぱり目を瞠る。大魔神をいれこんだカットもそうだけど、手の動きにあわせてミニチュアが壊されてゆくところの合成はたいしたものだ。東宝の特撮よりも凄いんじゃないかって気がするわ。しかし、空を飛ぶのは大魔神の魂だけなんだね。ラストカットの土くれの空虚さがいいね。