郷土史会会長から、「君、出身が松阪だったら、韓天寿を知らないのか?」
と初対面で、刺激あるお言葉をいただいてから、少し調べると、色々と繋がりを感じ、
これからも松阪に帰った時に、住んだところに行ってもっと調査しようとしている。
そのチャンスが、先日24日におとずれ、今は何もない岡寺の隣の森田ギャラリーを訪ねた。
しかし、殆ど誰も知らず、今後はメール等で情報交換し、何かわかればまたお伺いすると
いうことになった。
昔のことを調査しているときに、少しずつわかっていく楽しみ、これがまさに、今、はまっている本質的なものである。
この件も、どうなることかわからないが、謎めいたものが少しづつわかっていけばと期待している。
韓天寿 江戸時代の書家、篆刻家。
京都から松阪の田丸屋の分家に養子に来た、中川長四郎。
多々羅の新宮社の祭司は、百済から鉄製造技術をもたらした、ニリクムの先祖余璋王。
中川長四郎は、余璋王の末裔。
繋がっていま~~す。
と初対面で、刺激あるお言葉をいただいてから、少し調べると、色々と繋がりを感じ、
これからも松阪に帰った時に、住んだところに行ってもっと調査しようとしている。
そのチャンスが、先日24日におとずれ、今は何もない岡寺の隣の森田ギャラリーを訪ねた。
しかし、殆ど誰も知らず、今後はメール等で情報交換し、何かわかればまたお伺いすると
いうことになった。
昔のことを調査しているときに、少しずつわかっていく楽しみ、これがまさに、今、はまっている本質的なものである。
この件も、どうなることかわからないが、謎めいたものが少しづつわかっていけばと期待している。
韓天寿 江戸時代の書家、篆刻家。
京都から松阪の田丸屋の分家に養子に来た、中川長四郎。
多々羅の新宮社の祭司は、百済から鉄製造技術をもたらした、ニリクムの先祖余璋王。
中川長四郎は、余璋王の末裔。
繋がっていま~~す。