昨日の続きです。
信楽小川の畳屋さんの家に入り、伊賀越えの道についてお話を聴きましたが、なかなか一番聞きたい逃走路の話が出てこず、若い時の修行の話や小川の土地に関係すること、聖武天皇や細川家との関係などで、絵図や写真などもどんどん出てきて、頭の中がパニック状態になりました。そして宿泊したのは、小川城、妙福寺ではなく、中ノ城ということで、早速案内してもらいました。途中、西ノ城、朝宮から中ノ城の道、その後の多羅尾への道も明確に説明していただきました。子供頃から、ずっと遊んできた山、場所なので、何でも知っているよとのことでした。中ノ城へ登るのにも、またまた危険かつスリル満載でした。曲輪、切岸が見える場所で、昔から林業やまつたけで栄えたなどの話が出てとまりません。土地の郷土史研究家によくあるタイプの方です。一応、所期の目的は達したので、また来ますと言って、帰路につきました。
信楽小川の畳屋さんの家に入り、伊賀越えの道についてお話を聴きましたが、なかなか一番聞きたい逃走路の話が出てこず、若い時の修行の話や小川の土地に関係すること、聖武天皇や細川家との関係などで、絵図や写真などもどんどん出てきて、頭の中がパニック状態になりました。そして宿泊したのは、小川城、妙福寺ではなく、中ノ城ということで、早速案内してもらいました。途中、西ノ城、朝宮から中ノ城の道、その後の多羅尾への道も明確に説明していただきました。子供頃から、ずっと遊んできた山、場所なので、何でも知っているよとのことでした。中ノ城へ登るのにも、またまた危険かつスリル満載でした。曲輪、切岸が見える場所で、昔から林業やまつたけで栄えたなどの話が出てとまりません。土地の郷土史研究家によくあるタイプの方です。一応、所期の目的は達したので、また来ますと言って、帰路につきました。