自己の最大の生甲斐としている、家康伊賀越えの調査を行いながら、ここ1年、現場に出向くことを殆どしていないが、本日、二十数年来の友人からの暖かいお誘いがあり、宇治田原での家康の足跡を尋ねて見た。もう大感動・大興奮の半日であった。ありがとう、友よ。
12時前に、JR同志社前で合わせ。
久し振りの会話をしながら、すぐに郷の口へ到着。
下町の案内板でコースを確認したのだが、山口城が見つからない。妙楽寺が、じゅぶせん碑がない。車を降り、その近くをぶらぶらしながら、やっとの思いでその場所を見つける。
ありました、山口城。やはり茶畑。極楽寺の北西。
ここで、山口秀康が、丁重に家康一行に昼食を供したのである。くたばり気味であった、馬を取り換え、奥山田の遍照院に向かう。
残念ながら、家康がたどったと思われる道は、車までは通れないので、307号線で遍照院に向かう。
途中、古老柿の柿屋、信西入道塚、大道寺神社に立ち止り、そして、永谷宗円の生家に着く。ここで面白い宗円タレントに出くわして、一時の安らぎを覚えた。
宗円生家で写真を撮っていると、扉が開き、どうぞお入りくださいとのお誘いを受けた。
その後、ガイドされる昭和35年生まれの女性の楽しいお話しを聞いたのである。
その奥様は、永谷家4つのルーツのひとつであるとのこと。ご主人のおじい様が江戸に進出。永谷園のお茶漬けも親族。
日ごろのうっぷんを晴らすような口ぶりで、多くのことをお話ししてくださった。女性は、愛嬌ですね。
有難い、いい人物に巡り合えたのである。
そのあと行った遍照院では、S住職が出てこられ、世間話をしていると、わが師であるFさんの話が出てきたのである。
吃驚くりくり大仰天でした。
多くの人に支えながら良い思い出の1日でした。
Kさん、ありがとうよ。
また、ご一緒に行くことを願っています。
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