「京都eラーニング塾のスクリーング案内」のブログを見られ、当日参加されるリリーさんからメッセージをいただきました。こちらこそ、こういう言葉に励まされ大変嬉しく思います。このような小さな素直なコミュニケーションこそ、今の社会生活の中で、忘れられたこころ温まるものです。小さな親切を、大きくさせていきたいものです。ありがとうございます。
京田辺市は、
かぐや姫の里、ということで、十年ぐらい前に盛りあがった時があります。でも、その後、そのような話はいつも間にやら、フェイドアウトしてしまったようです。
際だったものがない市を全国に知らしめすのには、絶好のチャンス、非常に良いテーマであったと思いますが、・・・。
そこで、ボランティアガイドとして、かぐや姫を今一度、紐解き、関心が持たれるまとめを行い、市の活性化に役立てたいと思っています。
まずは、素直に、該当資料を読みだしました。つぶやき・・・京田辺市のPR不足は、他を学び、改革しないといけませんです。
5/16(月) 「継体天皇eラーニングスクーリング」(5/21(土) 10時~15時)の下見にガイド連中と行ってきました。曇り空で、少し暑いなかでの12km(ドアツードア)は、顔はほてり、足腰にこたえました。
10:11 新田辺駅 ~
10:37 一休寺道と府道山手幹線交差点 2187 歩
10:55 花見山公園 1249 歩
11:30 中央公民館 902 歩 田辺中央公園 昼食
12:36 酒屋神社 867歩
13:05 筒城宮跡 (同志社大学校内) 1262 歩
13:34 下司古墳 1160 歩
14:06 観音寺 1387 歩
多々羅、都谷
15:58 山本駅 4677 歩 合計 13691 歩
多々羅、越前について、説明させていただきました。
たたらは、砂鉄と木炭を交互に入れて、還元作用で鉄を取り出す製造技術。
6C後半に伝わる。
こしまえが筒城宮の候補地といわれるのは、近辺にある南山城跡が、浅井光政の住居では
あるが、住む前からあったといわれ、それがみやこの跡といわれている。
昨年8月6日に、駅の階段を踏み外し、右足首をねんざ。その完全回復に6カ月ぐらい要した。本日、夜玄関の戸締りをしようと外に出たところ、土のくぼみで、同じ右足首をぐしゃり。また、やった!と思った。少し、様子を見ているが、それほどでもないようだが、本当のところは、明日の朝にならないとわからない。明日は、eラーニング塾のスクーリングの下見(10kmは歩かねばならない)である。このために、先週から準備をしてきただけに、どうなることやら。
平成23年度の同大公開講座が始まった。
今年は、自然科学から見た歴史。800名の応募の中から、抽選で400名になり、教室満席の参加者。いつものように、熱心なシニア連中。本日は、
奈良文化財研究所の山崎健研究員の「動物遺跡から見た考古学」。1点の骨から、動物の大きさ、病変、利用のされ方(役畜、祭司、贈答品 等)、人間の生活、大陸とのつながり、まさに文化そのものが、発展過程がわかる。
非常に熱心に調査され、次から次へとわかってくる楽しさ、喜びが、お話を聴いていて、ひしひしと伝わってくる。
学ぶということはこうでないといけないと痛感した。また、話を聴いていて、武士の家計簿の磯田道史さんを思い起こした。若手、寝食を忘れて熱心に調べる、生きる、楽しみ、幸せということをわかりやすく伝える、
声に張りがある、輝いている、・・・このようなことが二人共通に感じることである。いろんなしがらみに影響されずに、独自に進める、若手の考古学、歴史家、良いねえ。「邪馬台国は、畿内?九州?どちらと思いますか?」という、俗世間の質問に対して、「どちらというよりも、両方に、大きな国があったと考えるほうが良いではないですか」の返答に、
場内大拍手でした。まさにこういう考え方・生き方を、人生を少しでも味わいたいと思い、頼もしい若者だなあと感心しながら帰途についたのである。
多々羅(たたら)の響きがこころを癒してくれる。
弥生時代のころに、朝鮮の渡来人、百済がやってきた。というよりも、弱小国の百済は、高句離や新羅に追われ、倭国に来たのではないか。
その時に大陸の生活文化を二つもたらし、この地域の発展に大きな影響を及ぼす。一つは、蚕。中国から朝鮮半島に渡り、西暦100年前後に、日本に伝わった。その最初の養蚕地が、多々羅という。「日本最初外国蚕飼育旧跡」が府道65号線沿いに建っている。仁徳天皇のお后の磐之姫が天皇の浮気の為に、多々羅に来て、死ぬまで帰らなかった。歌人でもある、磐之姫が三度も姿を変遷する蚕を不可思議な気持ちでうたっている。蚕繭から、生糸、絹織物となり、需要が高まると同時に大化の改新以降、税として、絹製品を納めることが見られる。
もうひとつは、鉄の製造法。砂鉄と木炭を交互に炉に入れて溶かし加工するために、必要な高温の熱をつくりだす風を起こし、還元作用で鉄を取り出す。これを「たたら製鉄」という。百済人のにりくむ王が鉄工業を伝えたために、朝廷より、多々良の姓を与えられた。この近くの新宮社には、かつては、この子孫が祖神を祭神として、祀っていた。
継体天皇は百済と、越前時代に盛んに交流があり、その関係で多くの朝鮮人が住む京田辺を都としたのであろう。普賢寺川の水域が今よりも広範囲で水上交通が発達し、都にちなむところが方々に残る普賢寺や多々羅一帯は、筒城宮があったのではないかとまた思ってしまう。
京都eラーニング塾 「京田辺における継体天皇ゆかりの伝承地を訪ねて」
スクーリング の ご案内
5/21(土) 10時 近鉄新田辺駅前 西側に集合
参加者 108名 (5/9 現在の申込み)
【 ウォーキングルート 】
新田辺駅 ==> 一休寺道と府道山手幹線交差点 ==> 花見山公園 ==> 中央公民館
==> 酒屋神社 ==> 筒城宮跡 ==> 下司古墳 ==> 観音寺 ==> 多々羅
==> 日本最初外国蚕飼育旧跡 ==> 三山木・山本駅 (15時頃到着)
【 ガイド案内 】
薪堂の後、堀切古墳、 京田辺市の歴史・地理的背景、筒城宮候補地、酒屋神社、継体天皇、
筒城宮跡、下司古墳、観音寺、多々羅、日本最初養蚕石碑、都谷、越前、三山木・山本駅 等
について、京田辺市観光ボランティアガイドがご案内いたします。