昼前に、ビオ多々羅(家の近くの古民家)に行くのに、場所がわからないと電話が入った。先日、間違って、ランチ予約FAXがあった方だ。近くなので、車を誘導し案内した。そして、当方は、ビオ多々羅のものでないことを説明するが、今ひとつよくわかってもらえず、一緒にこられた方々にお話しし理解を得た。人間思い込むとなかなか固定観念から脱出することができなく、困ることがあるから、注意しなければならない。オレオレ詐欺などもそういう時にひっかかりやすいのかもしれない。後から思うと、最初の予約FAXをもらい、ビオ多々羅が予約受理連絡をするときに、ビオ多々羅の正しい電話番号が伝わっていれば、このようなことにはならなかったのかもしれないと思った。
6月2日のブログは、『さわやかな朝、また新たな気持ちで~』と書いた。日の出1時間後の東の空や西の眺めをカメラに収めた。あとから考えると、この日この時は、あの本能寺の変が起き、家康一行が、地元普賢寺や多々羅を逃走していった時間帯である。今から434年前の旧暦であるがこの日時である。何かが教えてくれた、胸騒ぎがしたのか、突然、朝早く外に出て行ったのは、偶然のことなのだろうか。ますます、頭の中が戦国時代に覆いかぶされつつある。それではいけないと、夜、火星を写すが、ちょっと無理でこの始末。まだ収獲できずに複雑な枝に残った梅の実を写すが・・・。
さわやかな朝、日の出1時間後の東の空です。その反対方向の普賢寺・天王方面を写しました。この地は、いにしえより、幾多の歴史的な出来事があり、土地の人々はそれに耐え生きながらえ、そして、現在があるのだとちょっとロマンチックな気持ちになりました。その気持ちをより高めて、調査研究と討議の場に臨んでいます。
もうそろそろ梅の収穫時期と思って、早朝、梅の木を見に行くと、沢山のきれいな形の良い梅の実が落下していました。びっくりポンです。ここ数年、梅の収穫が激変し、老木とあきらめていました。昨年の剪定時に、久しぶりに以前依頼していた方にここ数年の不出来を伝え剪定をお願いしました。寒肥をやり、防虫剤も木の上からまんべなくやったところ、毛虫の発生はほんの僅かでした。しかし、1カ月ぐらい前から、虫に食われた実がたくさん落下。自然の間引きかなと思いつつ、収穫はあまり期待してはいなかったのですが、今年は、豊作です。2時間ほど、収穫作業をしましたが、まだ終わりません。