本や雑誌、資料の整理をしていると、明治時代の京田辺市周辺の地図が出てきた。自宅を中心に現在と昔について比較してみると、大変興味深い。多々羅~三山木の府道に相当するものがなく、南山経由で三山木へ。普賢寺川は現在のまま。古山陽道の本来の道筋が明らか。八幡・木津府道はない。家の周りの道はあまり変化はなく、もちろん同志社大学付近は、全くの山林。その他興味はつかない。郷土史の資料で見た、一ノ木戸(第1番目の城の門)は、筒城宮跡の第一城門と言われ、その位置が明確にわかる。また整理して、機会を見つけ発信していきたい。そして、有用となりそうなのは、現在調査している家康の逃走路について、この地図にも関係がある地域や道が記述されており、新たなことがわかることに役立ち、面白くなりそうである。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/f2/b06a106ab17323db21d13c12b049a33c.jpg)
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