11月9日(土)令和になって初めて伊勢神宮に行ってきました。今まで、30回ぐらいは、訪れていますが、歴史に興味を持ってから、毎回巡るところやその場での思いが異なります。今回は、内宮のすべての宮や神社を回りました。月讀宮、風日祈宮(かざひのみのみや)、正宮、古殿地(こでんち:前正宮跡)、荒祭宮、子安神社、大山祇神社、宇治橋、遷宮から6年たち、鳥居はやや灰色に、杉の大木のねじれが少なく、五十鈴川のせせらぎが穏やかに、金色の棟木もおごらずに見え、心が少し落ち着いていたのだと思いました。
郷土史会の役員宅を訪れ、近くに住んでいた生駒翠山の暮らしぶりについて、色々教えていただきました。また、帰りには、めだかを五匹いただいてきました。さあ、これから、めだかを飼育し、観察してみたいと思っています。そういえば、11月1日に、毎年にやってくる、『ジョー君』こと、ジョービタキが屋根のTVアンテナに止まり、鳴いているのを発見。その後も、鳴き声だけはするのですが、中々目の前には現れません。いつものように、梅の木にとまり、朝夕、鳴いてほしいものです。
中央図書館の文化講座に行くと、「つつきはっけん百回記念の集い」に参加された方々から、異口同音に、「この前は楽しかった、良かった、新聞も見ましたよ。また、案内が欲しい。」とのことで、もう二十三日も経つのに、うれしい言葉が続きました。もっと内容的に面白いことを企画していたのだが、やや中途半端になったのではないかと、そして、次回の11/20甘南備山でリベンジしようと思っているだけに、その一言で気持ちがスーッとなりました。やはり、ハイキング、ウォーキング、また歴史講座にもやや飽きられた現実の姿がここに現れていると思った次第です。今後のキーワードは、「心地よさ」、アメニティの世界へ向います。このことをゆるり、ゆるりと歩んでいきます。
乱立し多数ある、世界プロボクシング協会における真のチャンピオンを決めるワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)バンタム級の決勝が行われ、WBA、IBF王者・井上尚弥が、WBAスーパー王者ノニト・ドネアを判定で負かした。二回に初めての体験である瞼と鼻血の流血ながら、十一回にボディでダウンを奪い、判定勝ちとなった。十歳も年上ながら、五階級制覇を成し遂げ、世界最高のボクサーといわれ、井上も指導を受けたこともあり、井上が目標にし、尊敬していたその相手に勝った。やはり、冷静さが世界制覇を成し遂げた。劣勢であったが、セコンドの指示を守り、出血を大きくさせず、自分のパンチ・実力を信じ、最後まで、緊張感緊迫感を持って戦った。世界に誇れる日本選手最高のボクサーの実現である。この試合をフル見られたことに感激感動感謝である。ただ、二人の審判の判定が、開きすぎたことがやや気になるが…。
市の上下水道部から委託を受けた業者が水道メーターを取り換えにやってきました。数週間前に回覧で連絡を受けていたので、作業をやっていただきました。8年で交換とのことで、新装置メーターがゼロリセットされるので、今までのメーター数情報を控え、次回メーター検針時(12/8頃)に加算されるのだろう。次月の請求時にそうなっているのかを確認したく思います。今週は、晴天が続きます。朝晩は冷え込みますが、昼間が暖かく、同志社山手外周を1時間ウォーキングしました。新しく建った多々羅区公民館を見ながら、区民の活動を活発にするために、あれこれ思いめぐらしていました。
ラグビーW杯は、今までで最高であったと大会会長が評価。ラグビーになじみがなかった日本の人々も、にわかファンとなり、大フィーバーとなっている。かつての女子サッカーなでしこジャパンを彷彿させる。その要因は多く伝えられているが、なんといっても日本チームのベスト8。サクセスストーリになった『ワンチーム』力。FW8人のうち、6人の外国人。「間合い」「塩梅」などの日本語そのものを理解しそのまま活用する。国歌斉唱で、君が代を歌うだけでなく、さざれ石を実際見て、その心をつかむ、リーチ・マイケル主将を先頭に、逆三角形の形態で、それぞれの肩に手を置き、歩く姿は、勇気を持って戦う、頼もしさの何物でもないと心が躍った。多様化、個性が尊ぶられる現代、彼らには、物事の基本、共通的に守らなければならない定めをしっかりとつかみ歩んできた精神がある。今の世の中に忘れられ、全くの自分勝手さでふるまう世界の人々に警鐘をもたらしてはいないだろうか。
ミツマンボ、天井川について、市民から問い合わせがあり、少し、整理してみました。
◆「マンボの名前の由来」 三重県の資料で記録上もっとも古いマンボは、寛永13年(1636)につくられた三重県の北勢町平野新田の「六反マンボ」で、その後、江戸時代後半から明治にかけて各地で掘られているが、昔の呼称は「間風、間歩、間保、間府,間夫、間符、万歩、万法、万堀、真風」などであり、何時からマンボと呼称されるようになったかは明確でない。一般に、関西以西では、短い地上のトンネルのことをマンボ、マンポ、マンボリ、マンプウ、マンプなどと呼ぶ。
マンボと言えば、京都市の蹴上のインクラインが通る下に三条通から南禅寺に抜けるレンガ造りのトンネル「ねじりまんぼ」がある。水路橋や、人造の水路をくぐる装置を、江戸時代からマンボと呼んでいたよう。
◆「マンボ」とは人工的に昔作られた農業用地下用水路のこと。近代的な土木工事が行われる前から水路を確保するため、日本で独自に発達してきた農業用地下用水路(トンネル)技術。
◆京田辺市では天井川の下に造られたトンネルのことをマンボと言う。赤いレンガづくりの水路橋。かつて京田辺市には、大谷川、虚空蔵谷川、手原川、天津神川、馬坂川、防賀川、普賢寺川、遠藤川の八つの天井川があった。今では、さまざまな改修工事・宅地開発により、天津神川、馬坂川、防賀川の三つの天井川だけが残る。この水路橋の下を列車が通過し、トンネルのようになっており、通称「マンボ」と呼ばれている。ちなみに小さいのは「あまんぼ」と地元の人は呼んでいる。
★ミツマンボ(みつまんぼ) 田辺小学校東側の線路に架かるマンボは三つのトンネルがあるためか「ミツマンボ」(三つマンボ、みつまんぼ)と呼ばれ、赤いレンガ造りの見事な水路橋が市民に親しまれている。このミツマンボは馬坂川の水路橋で、JR学研都市線の上を流れる。
◆「マンボの名前の由来」 三重県の資料で記録上もっとも古いマンボは、寛永13年(1636)につくられた三重県の北勢町平野新田の「六反マンボ」で、その後、江戸時代後半から明治にかけて各地で掘られているが、昔の呼称は「間風、間歩、間保、間府,間夫、間符、万歩、万法、万堀、真風」などであり、何時からマンボと呼称されるようになったかは明確でない。一般に、関西以西では、短い地上のトンネルのことをマンボ、マンポ、マンボリ、マンプウ、マンプなどと呼ぶ。
マンボと言えば、京都市の蹴上のインクラインが通る下に三条通から南禅寺に抜けるレンガ造りのトンネル「ねじりまんぼ」がある。水路橋や、人造の水路をくぐる装置を、江戸時代からマンボと呼んでいたよう。
◆「マンボ」とは人工的に昔作られた農業用地下用水路のこと。近代的な土木工事が行われる前から水路を確保するため、日本で独自に発達してきた農業用地下用水路(トンネル)技術。
◆京田辺市では天井川の下に造られたトンネルのことをマンボと言う。赤いレンガづくりの水路橋。かつて京田辺市には、大谷川、虚空蔵谷川、手原川、天津神川、馬坂川、防賀川、普賢寺川、遠藤川の八つの天井川があった。今では、さまざまな改修工事・宅地開発により、天津神川、馬坂川、防賀川の三つの天井川だけが残る。この水路橋の下を列車が通過し、トンネルのようになっており、通称「マンボ」と呼ばれている。ちなみに小さいのは「あまんぼ」と地元の人は呼んでいる。
★ミツマンボ(みつまんぼ) 田辺小学校東側の線路に架かるマンボは三つのトンネルがあるためか「ミツマンボ」(三つマンボ、みつまんぼ)と呼ばれ、赤いレンガ造りの見事な水路橋が市民に親しまれている。このミツマンボは馬坂川の水路橋で、JR学研都市線の上を流れる。
市民文化祭に出向き、知り合いの方々の作品、演技、おもてなしの応援に行ってきました。一閑張り(紙漆細工)の説明を受け、郷土史会の歩みに足を止め、男たちのクッキングのカレーを食し、知人の白内障手術状況について、詳細に聞くことができました。『京田辺の今と昔』の写真展示の前では、やはり、あの時代のあの時の様子を夫婦や友人と語り合う姿が多々見られ、「やっぱり」と思いました。市民が観て、感じて、会話する能動的な光景に好感を持ちました。4年前に京田辺のむかし・いまを動画で作り、つつきはっけんで紹介、市のほうにも提案したことが拡大展開している様子に少し満足感を味わいました。ただ、標語については、京田辺のアイデンティがなく、文化創造や新市長指針、市民の思いを含んだものを期待したいのですが、毎年同じパターンで、盛り上がりや選考について、十分考えていただきたいものです。
本日も親戚の来客があり、いつものように家族で和気あいあいのおもてなしをしました。とはいっても、家人はいろいろと気を遣いすぎるタイプなので、大変です。まずは、コーヒーがいいですか?紅茶ですか?お茶ですか?と聞くところから始まりますが、あちこちと忙しく振舞います。しかし、ゲストさんとゆっくりと話をすることが大事で、それに集中するために、最もホットな話題である、最近旅行されたイタリアについて、聞き出しました。観光地や食事のこと、街中で車をぶつけても平気で猛スピードで運転しているとのこと、どこでも、英語が通じたので良かったのだが、勉強中のイタリア語を使えなかったのが残念だったとのこと。飛び出す話題は、若者の何ものかにとらわれない自由な考えや行動が、我々とは異なり、理解しがたいことが多々見られました。なんだか、知らないことが多すぎて、世の中から取り残され、寂しい気持ちになりました。笑い!
半年前に知り合いとなり、電話等で情報交流させていただいているご夫妻が突然来訪されました。世間話から住まいされているところの土地やこれまでの暮らし、家族のことなど、聞きたかったことがわかり、一挙に話が盛り上がり、より親しい間柄となりました。人生には、必ず、山あり谷ありでつらかったことや思い通りいかないことの方が多く、お互いに同感する会話が続きました。訳あって、サラリーマンから農業を始められ、いろいろ勉強しながらイチゴ栽培をされているとのこと。収穫したばかりの新米や新鮮な野菜、柿を沢山いただきました。ゆっくりと語られ、穏やかな表情のご夫婦の姿や雰囲気に、自分たちが失っている多くのものを感じ、心が癒されるような良い心地になりました。