世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
アラ 呑気だね!
勿論 簡単には言えないが
この世には 「現実を語って生活している人と 現実から目を逸らして生活している人がいる。」と仮定すると
今日の行き詰まり混乱した社会は 後者が優勢と言うことか。
朝から晩まで至る所がコマーシャルだらけになり 人々はコマーシャル漬けになっているのだから 当たり前と言えば当たり前。
次第に現実に立ち返りつつあるが 深い眠りから目を醒ますようで ちょっと時間が掛かかりそう。「しばらくお待ちください」の声が聞こえて来るようだ。
なーんて 呑気にしていると アッと 目の前に地割のような大きな落とし穴。
親しい人や家族もいるだろうに‥
テレビは朝から晩まで楽しいことでいっぱいの娯楽番組が続く。それは良いのかもしれないが ここ数年は見るたびに‥めかくし鬼さん手のなる方へ‥が頭に浮かび 不安になる。
落とし穴のいっぱいある荒涼とした原野を 目を塞がれ耳を塞がれて歩かされるような気分になる。
良かれと思ってか 手を打って案内している人たちは それをお仕事にしているけれど 大丈夫だろうか? 親しいい人や家族もいるだろうに‥
全体として本気さを感じない政治とコロナ対策
世界も日本もまともな政策からは程遠い 時には逆の政策を実施しているのではないだろうか。
まともな政策をやっていたら もう少し良い結果を目にし希望が見えて来るのではないだろうか。
ちょっとしたら今やってるコロナ対策もお門違いかもしれない。
少なくてもそのぐらいの距離を置いて現状と対策を精査してみてはどうだろう。
行き詰まった現状の酷さ根深さに 目の前に振り回される現状に不安を感じ 全容を捉えて考えてみたい。
多分幾つもの段階を素通りにして目先を見ている気がする。多分コロナの扱いも同じだろう。本気さを感じない。
やがて成るものは成る
人は誰もが 他人と違う自分が一番大好きだ。
自分だけでは生きられないから 他人も同じように好きにならないと理屈に合わぬ。
だのに 比較競争のこの社会では それは無理
家族も近所も学校も職場も それを支配する国会議事堂も そうならないと
遠くに見えても やがて成るものは成る
落とし穴
子どもの頃 落とし穴を作って気づかず落ちるのを見て遊び 時々大人から怒られた。
今 地上は落とし穴がいっぱいで コロナもその一つ。 経済や温暖化による災害も似たようなもの。 武器を使った暴力 大人の差別やいじめっこ カジノやオリンピック リニアモーターカーも教育も娯楽も贅沢も 落とし穴に成りかねない。
落とし穴は 昔は子供の遊びだったが 今は大人が生活をかけ仕事でやっており 時々、子供が悲鳴を上げたり「ふざけるな! 目を醒ませ」と叱ったりしている。
子供は新型の大人になって 時間は掛かるが 落とし穴は減るんだろう。
今だって落とし穴は増えてるように見えるが ようく見ると減っている。分かるのはズーッと先だが。
滑稽なのは自分が作った落とし穴に自分が落ちて悲鳴を上げてる時だ。泣き笑いするよりほかない。
旧型現代人
物事は科学的に言葉は論理的に帰納する。
コロナの騒ぎは 人類が科学や論理を苦手にしていることを明らかにしたようだ。
新種のウイルスが風土病で済まなくなっていることの認識不足や検査を後回しにしていることも 一斉休校がもたらす結果を大して予測もせずに指示したことも 苦手としている表れか。
これを見れば 不登校や発達障害の原因や対応がいい加減になっているのは当然だと 類推出来る。
人は 当たり前にしていること(常識)と論理や科学が一致すると勘違いしやすい。
単なる自分と異なる考えを間違いだと錯覚するのと通じる。
勢力争いから生じた言葉の争いには 非科学 非論理が多い。逆に科学や論理に弱いから勢力争いや論争に走っているのかもしれない。
科学や論理からは争いは生まれない。旧型現代人の悲しさ。