世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
情報を基にした世界観
世界は情報のネットワークだと仮定して考えて見るのも面白そうだ。
自然も人も 政治経済文化メディアなどの全てを情報伝達と考えたら 何かに気づくことがあるかもしれない と思った。
例えば 今回のコロナ騒ぎは 世界がコロナの情報を入手するのが遅れて起きた騒ぎだとも言える。
伝達された社会が共存出来たら騒ぎは収まる。
だとすると 情報化社会と言いながら 情報に行き詰まっているとも言える。
コロナや温暖化など自然が発する情報を社会は 共存できるほどの情報を持ち合わせていなかった と言うことか。
ましてマスコミが伝える情報では間に合わないことを 私たちは今経験している。面白い仮説実験のようだ。
私たちは情報の歪んだ端くれで暮らしているようで 思いがけないことが次々起きる。
端的に言えば’(人類は自然へ適応出来ないでいる)とも言える。
公共上 精査が必要なもの
どこもかしこものべつまくなくコマーシャルが溢れてる。不快に感じることはあってもその逆は無い。
コマーシャルの社会や人に与える影響はどうなっているのか?どこかで調べているんだろうか 聞いたことが無い。
お金次第で自由にやられているようだが公共の福祉上 大丈夫か?
うっかりし気が付いた時にはウイルスの渦中にある今 気になることがいくつか思い浮かぶ。
経済社会が企業経営によって成り立っていることは事実だが だから企業は何をやっても良い理屈は成り立たない。
改めて不登校や発達障害 引き籠りの原因や背景が社会にある(普通)や(当たり前)の中に潜んでいる思いを一層深めている。
精査する必要があるが手を付けようとしていない。マスコミ情報には コロナ以上の落とし穴どころか 地球規模の地割れを感じる。
当たり前のことをやっている
十数年前 バブルは成るべくして突然崩壊し
9年前の今頃 原発の永き神話の正体を目の前にし
今年の1月20日 国会の先生方はじめほとんどの日本人は オリンピックに気をとられ コロナには気が付いていなかった。
個人であれ集団であれ常に 「あっても見えないものがある。」逆に「見えても無い物は無いんだよ」である。
物語やドラマは すでに存在していたものが 突如現れたかのように気が付き お話が展開する。
私たちの暮らしだけでなく世界も日本も政治も経済も教育も この世の全てはそういうものではないだろうか。
今のところ 大元である「自然と人」の関係に気が付かずにお話を進め その物語で動いてる。
だから思うようにいかないのは当たり前。
ネタ作り
例えコロナが上々に収束しても 国力の低下は 免れないだろう。
オリンピック終了後は経済の後退が予想され 対策を考えていたから ここでその対策を先送りすることになれば、
年貢の納め時を早める。
実際そうなるかは別にしても 公やマスコミはそんな先行きを予測しておく必要はある。
コロナの失敗を教訓が生かされるかが試される。悪循環を脱せるだろうか? 将来 落語のネタになりそうだ。
有言実行を期待するが・・・
地球的な推移とは別に 政治は根本的に解決数rことなく、目先の課題を糊塗するが如く 根本的な解決を先送りしている。
世界や日本は多くのツケを山積させており ますます解決を難しくしている。
そういう中 今 日本は当面するコロナやオリンピックの問題を抱えてしまった。
これまでの解決のパターンが通用するかどうかが問われている。首相の言うように 前例に囚われず先手を打ってほしい。
有言実行を期待したいが・・・ツケに無期限はないから その自覚が心配
憲法改正の先延しはまだしも 経済対策が遅れる損失は大きいだろう。